伊藤博文を暗殺したのは誰なのか

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伊藤博文を暗殺したのは誰なのか 安重根と闇に隠された真犯人」大野芳

オススメ度 ★★ (難解で読みにくいが興味があれば絶対面白い)

 

伊藤博文ハルビン安重根に暗殺された"というのが一般常識である。まあ、昔のことだし、だから何?別に興味ないというのもわかる。しかし、現在に至る日韓関係を含めて大いに考えさせられる一冊である。

 

伊藤博文暗殺事件にはいろいろ謎が残されている。例えば

 

・致命傷となった弾丸は、体の右上・右肩から左下方向へと入っている。安重根はロシア警備兵の足の間から狙撃し、打たれた瞬間に伊藤は立っていた。もし安重根ならば弾道は下から上になるはずである。

 

安重根が使用したブローニング銃の弾倉は7発入りで、1発が残っていた。つまり最大6発のはずだが、弾痕は13発あった。これは1つの弾が跳弾したり突き抜けたりして2つ以上穴をあけたことなども考慮した結果である。

 

・そもそも伊藤はなぜハルビンに来たのか、といえば、ロシアの大蔵大臣ココツェフとの非公式会談であった。

 しかし、ココツェフは全く別の要件を皇帝から依頼され、極東へ移動する列車の中で、プィハチョフ将軍から「ハルビンでは、びっくりすることがありますよ」と言われる。この時点ではじめて伊藤博文に会うことを知って驚いた、という。

 

・暗殺の約一ヶ月前、ロサンゼルスの抗日朝鮮新聞に、韓国人が伊藤博文をブローニング銃で暗殺するイラストが掲載されたのは偶然の一致か?

 

安重根が逮捕され、伊藤暗殺について15の理由を述べた。無論、韓国併合反対のためであったのだが、暗殺理由の1番目は「明治天皇の父(孝明天皇)を伊藤が毒で殺害したため」だと主張した。それは何故か?

 

韓国併合について日本では併合賛成が大多数である中、唯一といっていいぐらい伊藤は併合反対であった。なぜ併合反対派の安重根が殺す必要があったのか?

 

安重根が死刑になった後、抗日韓国人グループ内で殺人事件があった。それは何故か?

 

などなど、数えだすとキリがないぐらい怪しいのである。

本文ではこのような個所もある。

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安重根の夥しい数の遺墨は、それを如実に物語っている。遺墨は、ありあわせの紙や筆ではなく、書家が使う絹の白布、または紙に書いてある。死刑囚に、しかも自国の元勲を殺した属邦の罪人に、おおっぴらに墨と筆、白布を差し入れて揮毫を赦す獄舎が、どこの世界にあろうか。また揮毫を求められたのが排日派の韓国人にならばともかく、安重根を裁いた当人、または関係者たちなのである。常識では考えられない事態が、旅順監獄では起きていたのである。

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最後、著者はこれらすべての謎を鑑みたうえで、非常に興味深い推理をするのだが、それは本書を読んだ方がいいと思うが、とにかく本書は読みにくい。500ページを超えるし。

 

およそ、状況からして非常にややこしいというのもある。

暗殺された当時のハルビンは、清国の領土だがロシヤの租借地であった。そこで日本の要人が韓国人に殺されたのである。警察としての捜査権、そして裁判権はどこになるのか?という国家権力の駆け引きも描かれるので、当時の国際情勢、国家間の力関係なんかも考えながら読む必要がある。

 

文庫版へのあとがきに、こう書いてある。

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 本著は、2~3千ページにおよぶ外交機密文書を基に書いた。通読するだけでも二カ月はかかる膨大な資料である。日本の在外公館が総力を挙げて集めた資料であり、これらの傍証調査のためにペテルブルグの図書館司書の協力を得て確実を期した。この事件には、ロシア側に隠れた協力者がいたからである。おそらく伊藤博文の暗殺事件に関しては、もっと詳細かつ実証的な著作になっているはずである。

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正確性を重んじるためなのはわかるが、登場人物がとにかく多いし、漢文に近いような和漢混合文、常用漢字じゃない旧字体がしょっちゅうでてくる。
特に韓国人の名前はほぼ読めない漢字の上に、いくつもの別名が実際に使われていたらしく、次から次へと新しい名前がでてくるが、実は同一人物という説明もたくさんでてくる。例えば安重根=安応七で、"応七"とだけ書いてあればそれは安重根だと読まねばならない。

 

なので、一読しただけで理解するのはかなり困難だろうと思うが、興味深いのは間違いない。

 

俺はこれまで"安重根って勢いにまかせてテロはいかんよなぁ"程度ぐらいにしか思っていなかったが、本書で安重根の思想に触れ、考えを改めさせられた。この著者が伊藤博文安重根に畏敬の念を抱いているのもわかる。

 

その安重根の遺書にこういう悲壮な部分がある。

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われ何の罪ありや。われ何を過ちたるか。千思万量をなして忽然と深く悟れり。手を叩きして大笑いして曰く。果せるかな。われ大罪人なり。われ罪を犯せしにあらず。われ仁弱き韓国の民たる罪なり。すなわち疑い解け、安心せり。

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 つまり、韓国人に生まれついたことが「大罪人」であることに気が付き、大笑いし、安心したというのである。

俺は寺山修司の句、
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」
を思い出した。

 

現在、韓国は安重根を絶対的英雄扱いし、あの事件でホントに何があったのかを問うことを許さない空気に対して著者は残念がっているが、その通りだろう。