ユートピアと性

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ユートピアと性 オナイダ・コミュニティの複合婚実験」倉塚平

オススメ度 ★★

俺的面白さ度 ★★★

 

平等という思想は魅力がある。権力や財産の平等をどうやって実現するか、そのため様々な政治・経済システムが登場した。
社会主義なり共産主義なり民主主義なり、あるいは無政府主義なり、今もなお考案され、議論され、試行錯誤され続けている。

 

しかし、あえてというか、ほぼすべての人間が極めて重要だと心底思っているのにもかかわらず、性の平等はあえて議論しない。わかりやすく言えばモテ・非モテ問題である。

 

モテる奴は憎い。なんで俺はモテないんだ!…この不平等をどのようにして解決できるのか、あるいは、解決すべきなのだろうか。

 

本書は冒頭のくだりからして、面白い。

 

プラトンはポリスのイデア観照しつつ、セックスの国家管理にまで及んだ。

 

 

モテ・非モテ問題はプラトンの時代から議論されていたそーである。

 

そもそもセックスを個々人の選択に委ねるべきではない。セックスは、どうしたら優れた次代の男女戦士を生みだしていくことができるのかという点で、まさしく重大な国家的関心事に属する。だから、哲人王の指導下に国家によって管理され、男女戦士のうち優れた者たちだけが交わるチャンスをもつよう巧みに処理されなければならない…。
このセックスの国家管理というアイディアは、カムパネルラの「太陽の都」でも繰り返された。
(略)
そもそもこの世に不平等が発生するのは、才能、体力、気質、容貌などに差異があるからである。この差異をなくし皆を同質化しなければならない。だからこの都の生殖を司る官僚たちが行う生殖パートナーの組み合わせは、全く対照的である。利口なのと馬鹿なのと、背の高いのと低いのと、太ったのと痩せたのと、せっかちなのとおっとりしたのと、美しいのと醜いのと、これによって中庸のとれた子孫が生まれるというわけである。

 

 

そうだ!醜い俺は美しいのと合体することで平等なんだ!と声をあらげそうになるが、まあ、アイデアまではいい。どう実現するかである。

 

原始共産主義あるいは宗教団体が乱婚OKという社会実験?をした例は数多くあるが、ほぼ1年以内に消滅した。

 

性の平等を最も長期にわたって実現しているのは、一切の性行為を否定し、独身を貫く宗教集団である。キリスト教にせよ仏教にせよ、生涯独身であることを強いる宗教は多い。

 

しかし、1848年~1879年までの31年間もの長期にわたって性の平等を実現したコミュニティがアメリカに存在した。
教祖ジョン・ハンフリー・ノイズを中心に数百人規模のキリスト教的宗教団体が、アメリカのニューヨーク州オナイダ湖の近くに土地を購入し、コミュニティ管理下での集団婚を実践したのである。

 

本書はそのオナイダ・コミュニティについての学術論文をまとめた本である。

 

いや、ホント真面目なだけに異様な内容である。教祖ノイズがどのようにして天啓を得てカリスマとなり、その信者たちがどのようにして集団を形成し、セックスの平等!を実現し、崩壊に至ったのか、実に詳細に書いてある。

 

ノイズの根本原理は"完全主義"と呼ばれる。世の中には善と悪があるが、悪はすべて悪魔の仕業である。人間は生まれながらにして善であるが、悪魔にそそのかされて悪となる。悪とはエゴイズムである。1対1の恋愛・夫婦などはエゴイズムであり、多数の人間に等しく愛を求め、受け入れなければならない。セックスの快楽は生来備わった人間の機能であるので、これを抑制するというのも性善説に反する。

 

では、どうするのか?

このキモとなるのがメイル・コンティネンスであった。

(略)だからノイズはこういっていた。「メイル・コンティネンスはコミュニティがある意味ではその存在を負うている原理であり、この作動する組織体の魂をなしている」

 

 

メイル・コンティネンス…学生の頃、sistrkが俺に語ってたヤツだと分かった瞬間、可笑しくてしょうがなかった。つまり、セックスはしても射精は駄目というのである。接して漏らさずという言葉もあるが、ソレがこのコミュニティ最大のキモであった。

 

んじゃ、パートナーはどうやって決めるのか、については、

・20歳以下の男性が更年期前の女性との組み合わせはほとんどない

・20~25歳程度の女性はさして年上でない男と交わることを許された

・20歳以下の少女は40歳以下の男と交わることはほとんどない

などのルールがあった。

ただし、それほど単純ではなく、組み合わせの可否は組織上層部がとりおこなった。人気がある人はやはり限られるので、いかに平等(的)に割り振るかは集団内での政治的判断だったようである。聖的ステージが高いとされる者=教祖に近い権力を持つものが実際にはパートナーを選ぶ権限が強かったようだが、受け入れ側にも拒否権があった。ただし、狂信的ともいえる集団においてパートナーの指名を断るというのは容易ではなかったようだ。

 

などなど、何やコレ…という学術書であることは間違いない。

教祖ノイズの思想というか教義というか理論の詳細と、その実践を目の当たりにすると頭がいい感じにクラクラする。 

 

ちなみに、sistrkは一週間後ぐらいに「失敗した…」と暗い表情で俺に告白してきたのを思い出した。sistrkが自慰とはいえ一週間で我慢できないという修行(?)はなかなかツラいと思うんだよね。。