こんな夜更けにバナナかよ

本屋に貼ってあった映画のポスターを見て仰天した。
「こんな夜更けにバナナかよ」…え?コレが映画かよ?


映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』予告

 

俺は10年以上前に読んだと思うんだが、ノンフィクションの傑作である。
思わず新装の文庫本を手に取ると、写真なんかが追加されてたので買って再読した。

 

 
オススメ度 ★★★

 

うーん…2度目でも震える。

この本が傑作である一番の要因は、著者の立ち位置が"ノーマル"ではなかろうか。障害者のノンフィクションという時点で普通の読者は"身構える"だろう。いわゆる障害者の本…社会がどうとか、差別がどうとか、ある程度政治的・道徳的に偏った本ではなかろうかと予測してしまうのだが、本書はそういう点において実に"正直"という印象がある。

 

著者はこれまでそんな重いテーマなど扱ったことがない、と告白する。障害者というと、障害者が善で社会が悪みたいな、あるいは、本人とボランティアたちは聖なる者的な見方をしなきゃいけないのか?という問いを頭に描きつつも、自分で寝返りもうてないのに恋人ってどういうこと?夜の生活ってどうやって…?など、下世話な興味も正直に書いている。

 

この本は、筋ジストロフィーで手先以外体が動かせない鹿野と、その介助(介護)者たちの物語となっている。実際、多数の介助者たちのインタビュー記事で構成され、その記事から障害と健常という境界線がどんどん崩れていく。

 

障害の問題は、"障碍"あるいは"障がい"と書くのかレベルで微妙な立ち位置を意味付けされてしまうぐらい繊細な問題となっている。が、当の障害者はそんな悠長なことを言っているレベルではない。日常生活はもとより、単に黙って生きていくだけでも痰の吸引などで誰かの手助けが無いと文字通り死んでしまう。だからといって、病院で死ぬまで同じベッドで同じ位置で生物学的に生きるだけ、というのは耐えがたい苦痛である。

 

そこで鹿野は、人工呼吸器をつけながらも自宅で暮らすことを選らぶ。そのためには24時間制で常に数人の介助者が必要であり、その介助者たちを自らがイチから介助を教育していくのだが、単にボランティアなので、ほとんどが辞めていく。そして次の介助者をイチから…しかし、気に入らないボランティアには帰れ!と怒鳴りつける。ボランティアがいないと自分は死んでしまうのに、である。

 

延べ人数だと数百人?にもなるだろう介助者たちも、当初はカワイソウなどと思っていた鹿野に対して本気で腹を立てて辞めていく。しかし、その介助者たちも個々人それぞれに事情を抱えており、鹿野のボランティアを通じて、何か意味付けされていく様子が描かれる。

 

何とも言えない読後感ではある。
正直、単なるワガママとしか思えない鹿野にはカリスマ性があったからかな?とは思えるし、そのボランティアに参加する人たちも、本書にも書いてあるように「不幸な人を見れば幸せに感じる」という強烈なボディブローに加えて、様々な人間模様を見ることができる。