はじまりへの旅

今、ネットフリックスで一番面白い映画は何かとアメリカ人と話す。
俺が「鑑定士と顔の無い依頼人」あるいは「裏切りのサーカス」だ!と提案。

 

アメリカ人が早速「鑑定士~」を見て、so goodだと伝えてきた。で、今度はアメリカ人が「はじまりへの旅(CAPTAIN FANTASTIC)」を見ろ!と言ってきたんで、見た。

※予告編はほぼネタバレになってるので、本編を見るなら予告編は見ない方がいい。

 

うむ。so goodだ…!

コメディなのでボンヤリ見てても面白いが、"知性・教養とは何か"を考えさせられる。
んでもって、子供を持つ親目線か否かでかなり感想が違ってくる気がする。

 

5人?6人?きょうだいを父親ひとりで育ててるんだけど、山奥で電気もなく、野生の獣を狩猟して生きている。その一方で、8歳の子供も含めて、医学・物理・哲学・政治など大学生レベルの教育も叩き込んでいる。


なので親子喧嘩でも、高校生の息子が父親に向かって"俺をトロツキストと呼ぶな!その呼び方はスターリン派で、そもそも俺は毛沢東派だ!"というレベル。クリスマスは無いがノーム・チョムスキーの誕生日は家族で祝う、そんな家族の物語。

 

で、ひょんなことから都会に行くことになるが、予想通り行く先々で色んな出来事が起こる。これをコメディタッチで秀逸に描いている。

 

まあ、こういうパターンはよくある。「ブッシュマン」とか「クロコダイル・ダンディ」とか、文化的に異質な人が現代社会で思わぬ視点を投げかける、という感じ。

 

ただし、この親子の異質性はそんな映画の方向性とはちょっと変わってて、いわゆる教養的なものは非常に高い水準で持っているが、世間を知らない。

例えばナイキと聞いてギリシャ神話の女神であることを子供たち全員が知っているが、靴のメーカーだと子供たち全員が知らない。それで親戚の子供にこいつらアホなんじゃねーかと言われるのだが、その親戚の親は(こいつらアホやと思ってたけど自分の子供の方が100倍アホやった…)と黙ってしまうのである。

 

教養とは具体的に何か、というのはむずかしい。時代によって教養の定義が変わるからである。例えば、日本で江戸時代以前なら教養と言えば四書五経、そして陽明学より朱子学を知っているかだった。

しかし、現代日本でそんなモノはもはや知性でも教養でもなくなった。せいぜい論語を知ってるか否か、程度だろう。

 

この映画での家族たちはそーいう意味においては極めて現代的ながら微妙にズレてる。資本主義を批判して原始共産主義的社会を理想っぽく語り、キリスト教を批判して仏教思想を語る。ちなみにここで語られる仏教は原始仏教思想で俺は好きなんだけどね。。

 

まあ、世の中こーいう人がいてもいいんだけど、自分の隣にいると面倒くさいよね、というコメディだが、問題はそーいう父親に育て上げられている子供たちはこれでいいのか?という問題をずっと考えさせられる。

山奥でひとりで生きていけるサバイバルの術、大学レベル以上の学術的知識はあってもいわゆる世間知を知らないままの子供たちは幸せになるのだろうか?

 

物語のラストは…コメディなのでこーいう終わり方で正解だとは思うが、このお父さんの生き方には、現代人は皆、多かれ少なかれ考えさせられるハズ。

親というのは子供に教養を身につけて欲しいと願うものだが、さて、どのレベルで?と問われると実は困るからだ。

 

教養を身につけて一人で生きていく術とは何か、をトコトンまで追求していくとこのお父さんになってしまうのだが、ここまでやり過ぎでいいの?とフツーに思うのだが、果たしてフツーに教養を身につけてフツーに就職してフツーに生きていく、そのフツーってなんだろう。

 

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久々に劇場で映画「TENET」見る。


『ダンケルク』を超える衝撃!クリストファー・ノーラン監督最新作/映画『TENET テネット』予告編

…?俺ぁ何が何だかサッパリわかんないんだけど。。
画面の中では皆大騒ぎの超大作アクションというのはわかるが、何が目的で何をしてるのか、ここまで訳がわからん映画は「イレイザー・ヘッド」ぐらいワケわからん。

 

G監督も見たとゆーので、
俺が「ジョジョに出てくる時間を操作するラスボスにはめられた、ってこと?」と聞くと「マーベルのドクター・ストレンジだよねぇ…俺たちは敵目線だよ!」というお答え。

 

今、ネットでネタバレ解説なんかを見てるんだけど、それでも理解できん。

金払ってクリストファー・ノーランに「お前馬鹿じゃね?」と言われる、そんな映画。