ミッドウェイ海戦 その1

蕎麦屋でソバをたぐりながら、置いてあった日経新聞を読んでいた。

日経新聞で唯一面白い記事?である"私の履歴書"シリーズは今回、野中郁次郎であった。

 

野中郁次郎は日本の経営学の祖である。その野中郁次郎アメリカから帰国後すぐ取り掛かった仕事は、日本軍の敗戦を分析した「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」で、なんか苦労したけど良かったみたいな話を"私の履歴書"で語っていた。

 

そーいや俺、「失敗の本質」が未読であったと思い、蕎麦屋を出てすぐに本屋で探すと文庫版であったので即購入。

 ※俺が購入したのは中公文庫だった。

 

第1章ノモンハンの敗戦分析、そして第2章のミッドウェイ作戦で、思わずオッ?となる。つい先日、ネットフリックスのドキュメンタリー「WWII最前線: カラーで甦る第二次世界大戦を見たばかりで、そのシリーズ4作目がちょうどミッドウェイ海戦だったのだ。

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ネットフリックス側は映像を含めてアメリカの歴史研究によるミッドウェイ作戦の分析であり、「失敗の本質」側は日本人による分析(ただし歴史専門ではない)との違いが面白かった。

 

とりあえず先に俺がミッドウェイ海戦を一言でまとめると、日本軍も米軍も判断ミスが多くグダグダの戦闘であった。しかし終わってみれば米軍の圧勝、日本海軍は当初有利な立場から壊滅状態まで追い込まれたのである。

これは、日本にとって日清戦争からはじまって日露戦争、そして真珠湾攻撃とイケイケドンドン状態を180度変える転換点となった。

 

果たして日本側は何がミスで何が不運で負けたのか?ネットフリックスと「失敗の本質」との分析の違いについては、後日まとめて書こうと思う。

 

以下、クソ長くはなるが、50分のネットフリックスのドキュメンタリー「WWII最前線: カラーで甦る第二次世界大戦を文字起こし、それにあわせて「失敗の本質」とを比較してみたい。

 見ての通り青文字は「WWII最前線: カラーで甦る第二次世界大戦であるが、関係ないと思われるところは俺が勝手に省略したり、要約したり、あるいは説明を加えたりしている。一方、赤文字は「失敗の本質」からで、これはもともと海戦の時系列自体かなり要約してあるし、俺が勝手に読みやすいよういくぶん変えてある。「失敗の本質」は海戦の詳細が本筋ではなく、分析であるため、その分析自体については後日「WWII最前線: カラーで甦る第二次世界大戦と比較してみたい。

黒文字は俺のコメント。

 

------------「WWII最前線: カラーで甦る第二次世界大戦スタート--------

 

ミッドウェー海戦の前、日本軍の真珠湾攻撃で米海軍は一方的にボコボコになった。

真珠湾で(米国側)太平洋艦隊の8隻が撃沈または大破。
(米国側は)これで日本人を甘く見ていた偏見が一変した。

当初は(軍事力については)数も質も日本が圧倒。
第二次大戦前、アメリカは軍事大国ではなく開戦当時は(軍事力ランキング?)17位であった。

 

真珠湾攻撃を受けた後)ミニッツが太平洋艦隊トップになる。
当時の日本は領土を拡大中。ミニッツは4隻の空母で対応しなければならなかった。
攻撃すると当時に決して空母を失ってはならないジレンマがあった。

 

真珠湾攻撃で多くの米軍艦を失ったため)ルーズベルト大統領は"世間が注目する作戦をすぐにやれ"という。国内世論から真珠湾攻撃に対して応酬せざるを得ない。
"即刻真珠湾を出て勝つまで戻るな"

 

ワシントンでの当初の計画は東京空爆だった。
しかし、空爆には日本の海域に入らねばならず、爆撃機は空母から片道燃料で東京を空爆後に中国に着陸するというものだった。
ミニッツは東京空爆は単にアメリカ国民向けのパフォーマンスであって危険が大きすぎると判断したが、命令は実行された。
爆撃機は空母用にはできておらず、ギリギリ発艦できるレベル。

 

この空爆により、アメリカ国内向けには大々的に報道される一方、皇居内にいくつか爆弾が落ちたこともあって日本は対米戦にいきり立つ。もし天皇空爆で死んだら軍部は文字通り腹切り状態になる。あまりに衝撃的な出来事だった。
日本では開戦当初、勝っているとマスコミが喧伝していたので、皇居への空爆に憤慨した。

 

この空爆への怒りを利用したのが山本五十六だった。これでアメリカの空母を再攻撃する理由付けができたからである。山本は官僚的かつ組織的な資源戦争で攻撃的な海上戦を続けて米艦隊をつぶそうと考えていた。

山本は侍時代を終えた最初の世代で、中世に日本を率いた武家とのつながりが深い。敵を任すだけでは不十分。完全に壊滅させることを求めていた。
日本中が山本を応援した。

 

以下、赤文字は「失敗の本質」より

もともと日本海軍は明治40年以降、仮想敵国は米国であった。その戦略思想は、短期決戦を前提として太平洋を越えてきた米艦隊を一挙に撃滅させる、というものだった。この基本方針で30年以上兵器開発・兵力整備・研究開発・艦隊編成・教育訓練を行っていた。(これを「漸減邀撃作戦」と呼んだ)

 

しかし、山本五十六はこんな受け身では負けるとして、積極的に攻撃にでようとする。これが真珠湾攻撃となり、ミッドウェイにつながる。

この山本の姿勢は長年にわたって日本海軍が踏襲してきた作戦方針とは相いれない。結局、山本に押し切られる形で真珠湾攻撃となった。

 

ここらへん、ネットフリックスも「失敗の本質」も山本五十六の評価はしてないが、後から考えたら山本の判断は間違っていたといえる。

 しかし、そもそも守りで勝てるわけねぇだろ、という山本の判断は、アメリカの国力差をあなどっていた他のメンバーより妥当だったともいえる。

 さらにいえば、山本が予想した以上にアメリカの物量はあまりに圧倒的だったために、攻めようが守ろうが結果は同じだっただろう。結局、アメリカにケンカを売った日本側としては、もはや負け方の問題だったといえる。

 

ともかく、軍・政府中枢内部でも独断ともいえる山本の積極策を後押ししたのは、皇居を爆撃されていきり立った日本国民の声だった。

 

山本の作戦はアメリカ空母を真珠湾基地からおびき出し、壊滅させるというものだった。

そのため、ミッドウェイに侵攻。
(地図を見るとわかるが、ハワイ真珠湾ミッドウェイ島は近い)
ミッドウェイは貴重な前線飛行場で米軍の燃料補給基地だった。
日本軍にとってミッドウェイ侵攻は真珠湾から米艦隊をおびき寄せる餌だった。
ミッドウェイを助けに来た米艦隊を日本艦隊でぶっ潰す。つまり罠だった。

 

しかしミッドウェイ作戦開始を待たずに山本にチャンスが訪れる。
パプアニューギニアポートモレスビーの攻撃の際に、米空母レキシントンとヨークタウンを発見。
結果、レキシントンは沈没。ヨークタウンは沈没寸前で使えなくなる。(珊瑚海戦)

真珠湾攻撃の後、米軍側で太平洋に浮かぶ空母は4隻しかなかったのに、ここで2隻が使えなくなり、残りの空母は2隻になる。

 

これで日本側に自信がついた以上に、米海軍をあなどることになる。

 

山本のミッドウェー作戦は綿密で複雑だった。
まずは日本の強い空母からミッドウェー島を奇襲し、島の防御を壊滅させて地上侵攻への道を開く。その奇襲がトリガーとなり米艦隊が真珠湾からあわてて駆けつける。1000マイルを航海して罠にはめる。

山本自身は大型船隊を島の沖に停泊させて待機。米国空母が到着したころ、島の制空権もすべて手中におさめる。さらに日本空母が有利な立場から米国を壊滅させる。

 

日本側実行部隊のトップは南雲
本来なら南雲が米国と対峙する日数は(ミッドウェイ島奇襲から)3~4日はあるべき。
完全に島を掌握し、前線基地としたうえで米海軍に挑むべき。

 

しかし、山本と南雲は仲が悪い。ところが年功序列で当時世界最強の空母艦隊の指揮を南雲がとることになる。南雲はこの空母艦隊システムが好きではなく操作方法も知らなかった。
南雲は典型的な手順重視の海上戦を好む。政策に従い命令に従う。訓練通りに。
したがって自発的な手動が多く要求される現場には不向きであった。

ネットフリックス側の南雲の評価は極めて低い。無能呼ばわりである。

 

ハワイの暗号解読処理班HYPO(ハイポ)局が日本の暗号解読をしていた。
HYPOの隊長は奇抜な大佐ジョセフ・ロシュフォード
国保守派の海軍将校はロシュフォードに懐疑的だった。あまりに不適切なインテリに見えた。部屋着のガウンとスリッパで作戦本部をウロウロした。
彼は日本で過ごしたことがあり、日本語+日本語文化を習っていたので暗号文に言語的な内容だけでなく隠された意味を探し続けた。

 

当時のHYPOは暗号の20%しか解読できなかった。
ロシュフォードは日本の標的コード"AF"に関して多くの通信を傍受。AFの謎を解読する。思い出したのは1942年3月の傍受で"日本偵察機がAFの横を通り過ぎた"というものだった。

 

攻撃まで一週間程度と予測。ワシントンに報告するが無視される。
海軍上層部はなぜAFがミッドウェーなのか理解できなかった。
AFがミッドウェーである根拠がなかったからである。

これはちょっと意外だった。ここで実は米国側はミスをしているのである。

 

6月4日夜明け、ミッドウェー250マイル圏内に日本空母隊が移動
どうみても日本側が有利だった。日本の先進航空機搭載の空母4隻 訓練豊富な飛行隊員=真珠湾と珊瑚海を経験している。 

ミニッツの回顧録によれば「日本の暗号を解読できていたので、日本側の計画に関する情報はきわめて完全であった。(略)このように敵情を知っていたことが米国の勝利を可能にしたのであるが、日本の脅威に対処するにはあまりにも劣勢な米兵力の点からみれば、米国の指揮官にとって、それは不可避な参事を事前に知ったようなものであった」

 

日本側が(空母から)一斉に戦闘機を発射、総攻撃を開始
6時20分に日本の航空隊がミッドウェーに現れる
このとき(たまたまミッドウェイ島にいた)ジョン・フォード監督が映像に収める

ミッドウェー島側は高射砲がいくつかがあったが、ほぼ守るすべはなかった。

 

日本側の航空隊は奇妙なことに気が付く。
主要な目標である爆撃機が見つからない。ほぼ飛行機が無い。つまり飛行中なのか?と疑問に思う。

ミッドウェイ島の航空兵力はすでに発進済みで残っておらず、基地施設に大損害をもたらしたものの、滑走路などの破壊は十分でなかった。このため、攻撃隊指揮官が第2次攻撃の必要だと報告する。

 

実は早朝に米国爆撃機は急発進していた。
その爆撃機は日本の空母の上空に現れる。南雲の奇襲作戦は失敗した。

 

一方、高高度を飛行する米軍側B17爆撃機海上戦は未経験だった。
日本の船長たちは上空6キロから降ってくる爆弾の落下時間に気が付き、中には爆弾を見てから向きを変える船もあった。
実際の写真で見ると大きく旋回しているのがわかる。
日本の船は8~10個の爆弾による水柱に取り囲まれている。

日本側はゼロ戦を数十機射出し攻撃を阻止しようとする。
ゼロ戦は強かった。速さ・操作性・上昇力がずば抜けていた。
熟練のパイロットが使えば圧倒的であった。

熟練のゼロ戦が新人の米軍飛行機をおさえる。
米軍のパイロット証言"類を見ない操縦性だった"

米軍50機以上で臨んだ島の反撃は日本の空母に一発も当たらない。

米国側の攻撃は一時間半に及んだが、戦闘指揮不適切のため事前の打ち合わせもなくバラバラに実施され、さらに搭乗員の経験不足もあって、一発も当たらなかった。さらに大半が撃墜されたために第二次攻撃隊を断念せざるを得なかった。

 

まずは日本側の奇襲は米国に筒抜けだったために大失敗する。しかし、米国側もミッドウェイ島にあった航空戦力を失ってしまう、というミスを犯す。

実は、結果的には米国側のこの攻撃が役に立ってしまうのだが、この時点では日本側の損害無しなのに米国側の航空部隊が壊滅する。

 

しかし、その最中に南雲があやうく死にかける。
爆撃機B17が南雲の近くに落下したからだ。アメリカ人が抵抗するとは思わなかった。
決死の覚悟で向かってくる米軍に対して南雲は興奮した。
取り乱した南雲は島を再攻撃せよと命じた。

ネットフリックスの南雲の評価はボコボコだなぁ…。この描写は「失敗の本質」には無い。


しかし空母の残りの爆撃機は戦艦攻撃用魚雷だった。

そこで地上戦闘用爆撃に切り替えろと命令。
それには90分~2時間程度時間がかかる。
攻撃隊の準備が整うまでに数時間かかる。
一度命令すれば変更できない。

ここの描写は「失敗の本質」に無い。魚雷を地上爆撃に変えろという記述は無い。

南雲は索敵について予定時刻になっても敵艦隊発見の連絡がなかった。そのため、予想通り米艦隊はいないもの判断。予定通り、ミッドウェイ島へ第2次攻撃を実施することにした。

 

しかし30分もしないうちに(日本の)偵察機から
”詳細不明の米艦隊をミッドウェー付近に確認"
(7時40分に無線を傍受)
これは誤報でないかと南雲が確認するが、実際にいると報告。
南雲は全く予想してなかった。

この時点で兵器の取り換え中だった。
(日本側の)計画によれば3~4日は米艦隊は到着しないはずだった。

 

俺は南雲の兵器取り換えでミスったという話は聞いたことがあるが、「失敗の本質」にはその記述はさらりと一行、後ほどでてくるだけ。

他の資料だとまた別の記述かもしれないが、今回はネットフリックス側と「失敗の本質」だけで話をすすめる。

 

実は上司に無視されても暗号解読ロシュフォードはあきらめてなかった。
裏ルートでミニッツ司令長官に連絡。

ミニッツはAFがミッドウェーである確認が欲しい。
そこでロシュフォードは日本側に偽情報を流す。
"ミッドウェーは偽の緊急電信「水道システムが故障した」を流す。"
その後、日本側がAFの水不足を伝える電文を傍受することで証明した。

これをミニッツは大喜びした。

日本海軍において最も広く用いられた戦略常務用「海軍暗号書D」の解読にかねてから取り組んでいた米海軍情報部は5月26日までにほぼその解読に成功していたのである。これによって、ミニッツは日本側の作戦参加艦長・部隊長とほぼ同程度の知識を得ていたという。

この暗号解読のくだりの描写は少々異なる。「失敗の本質」では米海軍が組織的に暗号解読に成功したように読めるが、ネットフリックス側は個人プレーで解決したという。しかし、ミニッツへの裏ルートって何だよ…。


攻撃日の朝、ミニッツ艦隊はミッドウェー付近で待機。
3隻の空母を準備した。
これはサンゴ海で壊滅させたと日本側が信じていたヨークタウンを真珠湾で修理したからである。
当初3~6っカ月は修理に必要とされたが、ミニッツは3日でやれと命令し、それで復活した。

この時点で
 日本側空母4隻
 アメリカ側空母3隻+ミッドウェー島

朝7時、エンタープライズとホーネットより日本艦隊への攻撃を開始。
雷撃機(魚雷を発射する飛行機)と急降下爆撃機の戦隊が日本艦隊に向かった。

(日本側の)ダメージコントロールの不備。空母の飛行甲板の損傷に対する被害局限と応急処置に関しては、ほとんど研究・訓練がなされていなかった。(略)このヨークタウンの例をみるとき、特に顕著であるといえよう。

 

「失敗の本質」では、数カ月かかると思われた空母ヨークタウンを3日で修理した米海軍を高く評価しているが、米国側もかなり無理して修理したことがわかる。

 

一方で南雲は米艦隊がミッドウェーにいる、という情報で困惑していた。
そもそも第一目標はアメリカ空母の撃沈。
島はエサで標的は空母である。ここで作戦の練り直しが迫られた。

ここで「失敗の本質」で指摘がある。そもそも山本が計画した作戦の目的を、南雲以下の日本兵たちは理解してなかったという。

この作戦の真の狙いはミッドウェイの占領ではなく、誘い出した米空母の撃破であった。ところが、山本は南雲らに十分な理解・認識させる努力をしなかったのみならず、軍司令部に対しても、連合艦隊の幕僚陣に対してすらも十分な理解・認識させる努力をしなかった。しがって、ミッドウェイ占領が目的のような形になってしまった。

さらに、ネットフリックスのいう「作戦の練り直し」は物理的にできなかった。

山本司令長官自らが主力部隊を率いて出撃したため、逆にかえって適切な作戦指導を行うことができなかった。奇襲攻撃のため無線封止してしまったからである。

 

日本艦隊の対地兵器への交換命令後にも船上には対艦兵器の爆撃機が残っていた。
しかし、日本の規則では「攻撃は完全に配置された飛行部隊のみ可能」とされた。
南雲はそれに従ってしまったのである。

米空母の存在を確認したら、(南雲は)護衛戦闘機なしでもすぐに攻撃隊を発進させるべきだった。航空決戦では先制奇襲が大原則なのである。

 

ちょっと指摘している部分にズレがある。

ネットフリックス側は「南雲は攻撃隊の数がそろうまで出撃させない」と解釈できるが、失敗の本質側は「南雲は護衛戦闘機無しの攻撃隊は出撃させない」と解釈できる。

 

そのため射出できる爆撃機を送らず、全機が対艦兵器に変更されるまで待つことになった。
それに要する時間はこの時点から2時間は必要となった。
南雲の明らかなミス。
ここで南雲は挽回しようとした。
対艦→対地→対艦と装備変更を要求され、日本空母内は大混乱に陥る。

 

対地兵器を正しく格納する時間がない。
装備は隔壁に立てかけていた。銃弾もそのまま、機体には燃料補給もされている。
この時点で一触即発の危険な状態であった。

ここらへん「失敗の本質」には以下の描写がある。

 

(日本側の)索敵機は、敵は空母らしきもの一隻を伴うと報告してきた。これは空母機の攻撃可能範囲のなかにあった。原則からしてすぐに攻撃隊をださねばならない。しかし、ミッドウェイ島からの米軍機による防衛で攻撃隊につける護衛の余裕がなくなっていた。

さらに攻撃隊航空機の兵装転換作業も完了していなかった。

※ここは対地爆撃→対艦魚雷への変換と読める。南雲の兵器取り換えで手間取ったという逸話は「失敗の本質」ではこの一行しかない。

さらにミッドウェイ島攻撃隊が空母に帰投しはじめていた。

 

ここで南雲はジレンマに陥る。

「米国空母を攻撃しようとしてその飛行機を甲板に並べれば、ミッドウェイ攻撃から戻ってきた隊が着艦できなくなる。そうかといって、先にミッドウェイ攻撃隊を収容してからだと空母への攻撃が著しく遅れる」

 

このとき、源田航空参謀は次のように回想している

「図上演習であれば空母への攻撃を行った。しかし血の通った戦友を動かしている。"燃料がなくなったら不時着して駆逐艦でも助けてもらえ"とは言えなかった」

 

また、敵機の来襲には時間があると判断し、もし米国側の攻撃があったとしても、これまで同様十分撃退できると判断した。

 

つまりネットフリックス側と「失敗の本質」側で南雲の説明が決定的に異なる。

 

ネットフリックス側の説明は"頭に血が上った南雲が、空母を攻撃しようと兵器の取り換えを命令して時間がかかり、ミスった。"

一方「失敗の本質」側の説明は”味方航空機を不時着させてまで敵空母を攻撃しようとせず、時間はかかるものの一旦味方航空機を収納させようとしてミスった"

 

朝9時20分、米国攻撃機が日本艦隊上空に現れる。
日本側空母を守る戦闘機がいない。
しかし、ここでアメリカ側がチャンスを逃す。
なぜなら、アメリカ側は複数編隊での作戦に慣れてなかった。
せっかく米国空母2隻から多数の攻撃機が飛び立ったが、分散し、支援体制もなく、互いの位置もわからなくなる。

空母は飛行甲板の広さの制約から、発着に多くの時間を要する。第一次の発艦から第二次の発艦までは約1時間を要する。このため、航空力に余力のあるものをまず発艦させて上空で待機させ、次の発艦準備を行う。そして準備でき次第発艦させ、上空で合流し、全兵力一体となって進撃させる。

ところが、米空母エンタープライズのレーダーが南方に日本軍をとらえ、ただちに攻撃隊を日本側に向ける必要があると考え、すでに上空にあるものから逐次進撃することを命じた。

 

日本側の空母が発着に手間取っている最中、アメリカ側が発見し絶好のチャンスで攻撃するが、またしてもミス。連携して攻撃できなかったため、日本側に返り討ちにあってしまうのである。

 

はじめに日本空母を攻撃したのは雷撃機部隊だった
雷撃機は速度が遅く兵器が少ない。320キロ以上のゼロ戦の敵ではなかった。
雷撃機が指示を待っている間にゼロ戦に撃墜された。
しかもこの雷撃機は欠陥品であった。搭載している魚雷の9割が爆発しないという機能不全だった。
戦前の砲撃実験では爆発率が10%であった。
米軍の長官たちは賭けとして雷撃機を3部隊先頭に送り込む。

雷撃機はこの戦いで最も勇敢だった。
もし魚雷が爆発すれば少しは役に立つが、自分たちは使い捨てと知っていた。
ある急降下爆撃機パイロットの話では、友人が雷撃機パイロットで戦闘の朝に最後の別れをした、と。
この時点で雷撃機が帰還する可能性は低かった。

雷撃機が打たれると爆発で巨大な火の玉になる。ガソリンが飛び散り楽に死ねない。
成功の可能性は低いと知りながら、発進していた。

最初の雷撃部隊の生存者はただ1人。次の2つの部隊もほぼ全滅。
最終的に帰還できたのは4機のみ。

ここらへんはアメリカ視聴者向けに感動的に描写している。

米機動部隊を発進した攻撃隊は、全兵力一体となった協同攻撃を行うことができず、低空を進撃する低速の魚雷機隊が単独でバラバラに攻撃することになってしまった。このため、一本の魚雷も命中させることができず、ほぼ全滅に近い損害を受けたのである。

 

日本の神風特攻隊はまるでキチガイ沙汰のように喧伝されるが、この当時の米国側雷撃機も同様かそれ以下ではなかろうか。そもそも特攻はおおよその戦争で見られる。負けそうになったが最後、突撃するのは珍しくないからである。

 

アメリカ側は急降下爆撃機だけが頼みとなる。
ここで(米軍機が)完全に洋上で迷子になってしまう。海上で目印は何もない。コンパスと鉛筆のみで500~600キロの海上を飛行する。
間違った方向を支持されて燃料もなくなりつつあった。

 

南雲は雷撃部隊を壊滅させたとき、有利になったと感じた。
ここで魚雷の準備を終えた。
これで4隻の日本空母より集中攻撃の準備が整った。
ミニッツ艦隊は絶体絶命となる。

 

ここでアメリカ側攻撃機が迷子なるというのは致命的ミスのはずだった。

 

信じがたい瞬間が訪れる。アメリカの急降下爆撃機隊長が虹を見つけた。
これは日本の駆逐艦"嵐"の水の噴出からできる虹であった。
この駆逐艦は単独で、近くに空母が見当たらない。
燃料は帰還ギリギリであったが駆逐艦の後を追うことに決める。
この隊長機が反転したことで他の機体も追随した。

 

その10分後、午前10時05分、日本艦隊を発見する。
奇跡的に空母ヨークタウンの急降下爆撃隊も同時に発見する。
単なる幸運によって攻撃機4隊が日本軍を挟み撃ちできるかたちになった。

 

「ホーネット」「エンタープライズ」「ヨークタウン」から発進した各隊はバラバラに目標に向かい、意図せざる結果として、雷撃機部隊による攻撃と爆撃隊による攻撃が連続し、しかも「エンタープライズ」「ヨークタウン」から発進した爆撃機隊の急降下爆撃がほぼ同時になされることになった。

 

これは(米軍側が)当初に予定されたシナリオ通りではなく、錯誤ないし偶然が重なっていたとはいえ、指揮下の全機全力投入を果断に決断したスプルーアンスの意思決定によるものである。彼の瞬時の果断な決断は、日本側の指揮決定の遅れや逡巡と際立った対照をなしていた。

なお、ホーネットから発進した爆撃機、戦闘機隊は日本軍を発見できなかった。

 

 

日本側の戦闘機は雷撃機を追撃しており分散していた。
したがって(低空から攻撃する)雷撃機の攻撃自体は無駄だったが、後からの(高高度)爆撃機の攻撃から目をそらす役目となった。
高高度には日本の戦闘機はいなかった。

 

第一機動部隊の各空母は、米空母雷撃機隊の攻撃に対処するため回避行動に従事し、上空警戒もこれに対処するために大部分が低空に降りてきていた。ちょうどこのとき、高高度より米空母爆撃機隊が接近してきたのである。

 

当時、日本軍にはレーダーがなかった。
目視で突如米軍の急降下爆撃を発見する。

急降下爆撃機の降下角度は80度。風防は開いてて風が吹き込む。
命中しそうなところで爆弾を落として急上昇する。

 

パイロットは1年の訓練をしており、熟練パイロットの命中率は高かった。
戦闘開始から5分間で空母3隻に爆弾が命中。
蒼龍には3発、加賀には多くの爆弾が命中。赤木は1発だがこれが致命傷となる。

「加賀」が9機の攻撃を受け4弾命中、「赤城」が3機の攻撃を受け2弾命中、「蒼竜」は12機の攻撃を受け3弾命中し、いずれも大火災となった。

(空母で待機中の)各機とも燃料を満載し、搭載終了あるいは搭載中の魚雷や爆弾が付近にあり、艦内は最悪の状況であった。

しかも南雲司令長官らは甲板下に閉じ込められる。
魚雷に交換中であった。
爆弾は誘爆し、大爆発を起こす。

 

南雲は旗艦を捨てるしかなかった。
ゼロ戦は海に不時着するしかない。

 

しかし日本側は最後の賭けに出る。
唯一残った空母飛龍が攻撃を開始する。
日本の攻撃隊は片道燃料で突撃し、ヨークタウンを破壊。

※片道燃料で突撃という記述は「失敗の本質」には無い。
しかし、最後の飛龍も壊滅。

 

ここの記述は「失敗の本質」がかなり詳しい。省略すると、

まず、日本側に残った一隻の空母「飛竜」が「ヨークタウン」を発見、攻撃し、炎上させる。

このとき、索敵部隊から別の米空母発見の連絡が入る。

さらに飛竜から2次攻撃隊が発進し、炎上していない空母を発見し、攻撃する。

 

実は、2次攻撃隊が攻撃したのは同じ「ヨークタウン」だった。炎上をすぐさま消火させたため、日本側は別空母と勘違いして2回攻撃したのである。これで「ヨークタウン」は沈没するが、同時に「飛竜」側の攻撃機隊の損失は大きかった。

 

「飛竜」は、十分な攻撃隊を編成できないため、攻撃に有利な日暮れまで待つことにする。

ところが「エンタープライズ」「ホーネット」の攻撃隊が「飛竜」を発見。日本側は警戒していたにもかかわらず、太陽を背にした米爆撃隊により「飛竜」は飛行甲板を破壊され使用不能となる。

 

速度が遅い戦艦のため500キロ後方にいた山本五十六に米軍攻撃の知らせが届く。
そして空母4隻が爆破された連絡も入った。
山本の作戦は裏目に出た。
ここで日本海軍の生命線は断たれたのである。

先に書いたが、奇襲作戦のため無線の使用を停止していた。そのため山本は状況がわからなかった。 

 

山本は空母艦隊創設の立役者であり、国家にとっての価値を理解している。
それを失った意味は大きかっただろう。
日本空母は燃え続け、多くの乗組員は脱出できずに焼死した。

 

2国の海軍がこのミッドウェー海戦を終えると、合わせて3千人以上の兵士が死亡した。

 

お互いの司令官は反省した。
ミニッツは戦いの半ば以降まで偶然の出来事が連続しなければ勝てなかったかもしれないと。

 

南雲と参謀将校らは東京に避難民として逃げ帰りながら言い訳を考えていた。
日本側はこの戦いのデマを流し始めたため、有名人である山本をクビにできない。
その他の責任があるはずの将校の多くも留任した。
国民にばれないように。

 

昭和17年6月11日 朝日新聞によれば「ミッドウェーに対し猛烈なる強襲を敢行すると共に、同方面に増援中の米国艦隊を補足猛攻を加え敵海上及航空兵力に重要軍事施設に甚大なる損害を与えたり」

 

読売新聞によれば「わが海軍部隊勇士が獅子奮迅、鬼神を哭かしむる激戦死闘を敢行した有様が想像され一億国民は重なる偉大なる戦果にただただ感謝感激の誠を捧ぐるのみである」

 

アメリカではミッドウェー勝利は大ニュース。1941年12月から5月まで負け続けのアメリカを奮い立たせた。

 

しかし2か月後、ミニッツ海兵隊は地上戦に参加していた。
ガダルカナル奪還作戦のためである。
ギルバート、カロリン、マーシャルなど日本軍によって要塞化された島々の奪還作戦は困難を極めた。

アメリカは莫大な産業資源を戦争にそそぐ。
1943年までには最新型空母が毎月建造され、軍艦隻数が90となり圧倒する。

山本は米軍の攻撃機に打たれて戦死。
南雲はサイパンで負け戦を指揮し、自決。


1942年6月4日午前10時30分ごろ、これほど歴史が変わった瞬間はなかった。