波にさらわれた魂

昼飯に自分でわかめうどんを作った。
ひと口目、咀嚼して飲み込もうとしてむせた。わかめうどんの上にゲロをトッピングしたみたいになった。

 

うーん…コレを食わねばならんのか…まあ腹減ったし…しょーがねーなと、NETFLIXでクダらない番組でも見ながら食おうと、新着番組を検索したら「未解決ミステリー シーズン2」で、唯一、日本の回を見つけた。
「波にさらわれた魂」

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紹介動画


『未解決ミステリー』シリーズ2 予告編 - Netflix

このシリーズ、何も見たことは無かったが、東日本大震災後のミステリーを外人が描いているというのがちょっと気になったので見てみた。
まさか、ゲロみたいなうどんを食いながら涙を流すとは思っても見なかった。

 


あの東日本大震災津波で、多くの犠牲者が出た石巻市が舞台となる。

 

津波の映像、津波に流され九死に一生を得た人のインタビュー、そして、津波で流された家族の遺体をひとつひとつ見つけていった様子を語る人のインタビューに続いて、幽霊を見た、という話になる。

 

この幽霊の話は3人が話し手になり、女性は自称霊視ができるということで、まあ、そーいう人の話はちょっとね~…という感じであったが、あとの2人、寺の和尚と、大学の先生の話が非常に興味深かった。

 

寺の和尚の体験は、津波直後にあまりの多くの遺体、それも子供を含み、火葬場が機能しないので、一時的に土葬することになった話からはじまる。

 

そして、震災からしばらくたって、霊が体に乗り移ってきて苦しいという女性が寺に駆け込んできた、という。
とりあえず話を聞いて、お経をあげて、焼香をすると、体が楽になったという。
また苦しくなったら、いつでも来なさいと告げると、何度も来るようになってしまった。

 

いくつも別人の霊が、自分の体に乗り移るのだという。
たいてい夜7時ぐらいに来て、落ち着くまで夜中の2時3時までかかることもあったという。

 

和尚がその女性の素性をいろいろ聞いた。
あなたは津波でつらいことにあったのか、あるいは親類、友人、知人が?というと、そうではないことがわかった。自宅も津波の被害からは無関係だったという。

 

しかし、その女性の語る体験が実にリアルである。
ある晩には、自分は少女の霊に乗っ取られた、という。その少女には弟がいて、津波当日、弟の手を握って、全速力で2人で津波から逃げていた。しかし、弟がもう走れないと言って、ついに少女は手を放してしまった。自分は、その少女の目線で、弟が津波に飲み込まれるのを見てしまった、という。そして、なぜ、大人たちは助けてくれなかったのかと号泣しだすのである。

 

和尚は語る。
彼女自身、私は(精神的)病気ですか?と聞いてきたが、私は違うと答えた。私は病気にはしたくない、と。

 

この和尚は、彼女が精神病理学的に異常であろうことはわかっている。実際、現地を調査していた科学者らからは、宗教者がそういうことを言うからダメなんだと説教されたと語り、和尚自身も霊的なモノの見方には批判的立場である。
しかし、それだけ…科学的態度だけでは、あの津波を体験した者にとっては、納得できないものがあると感じるに至ったという。

 

和尚はさらに、
私のやってること(まるで悪魔祓いのようなマネ)は異端だが、現に困ってる女性がいるのだから助けるでしょう?と。

そして、なぜ津波で私は助かって、彼らは死んだのか?と問う。

 

(…いや、そりゃ物理的に高台にいたからだ、とか、そーいう質問ではない。なぜ他でもない私が生きているのか?という問いは、実存問題である。それは科学的には問題にできない性質で、実存哲学の分野になるが、哲学に回答は無い。究極的には宗教でないと答えは出ない問題である。まあ神様が決めたとか、そーいう答えしか、今のところ無い。)

 

しかし、和尚は、そこで神や仏に安直に直結させないあたりが興味深い。

日本における死生観は、障子を隔てたあっち側と向こう側程度であるのはないか、と考える。死者が障子の向こう側に影としてうっすらと見えるような存在だと日本人は思っているのではなかろうか、と。

 

次に、災害での心理を研究しているという大学の先生がインタビューに答える。

 

ある学生が、震災後の話として「石巻のタクシー運転手が幽霊を乗せた」というレポートを提出した。
客を後部座席に乗せて、目的地に行くと、その客は消えているという。なんか古典的な幽霊話ではあるが、実際に運転手はメーターを倒しているので、タクシー料金をどうしたかと言えば自腹で支払ったという。
しかも、同じ体験をした運転手はたくさんいて、皆、自腹で支払っていたことがわかったという。

 

その大学の先生の指摘が非常に興味深いのだが、
広島の原爆や、阪神淡路大震災では幽霊話が無い。なぜこの震災で石巻に幽霊話が出てくるのだろうか?

 

これは確かに面白い指摘である。が、わかる気もする。
まずは殺され方として、原爆や交通事故というのはなんか現代的である。さらに土地柄として阪神淡路大震災は都会、それもまわり一面ビルだらけの都会のど真ん中だった。比べて石巻は、海と山との隙間にある田舎町に見える。

 

さらにイタコのような口寄せの文化は西日本ではあまり聞かない。多分、東北の文化ではなかろうかと思われる。
つまり、幽霊と言うのは文化的な心理現象であることを、先生は指摘する。

 

ある女性は、3歳過ぎの息子を津波で失い、うつ病になった。残った娘に、私はまもなく自殺するが、私はよろこんで死んでいくのだ、と言い聞かせていたという。ある日、食事時に、息子の遺影に向かって食事の挨拶をしたところ、何故か息子のおもちゃの電源が突然入ったという。
それで、その女性は、死んだ息子が実は自分を見ているのではないか、と思うようになり、やがて立ち直ったという。

 

大学の先生は、幽霊というのは、そういう心理的クッションとして機能する、と。
津波のあと、皆、幽霊でいいから故人に会いたいと言う。

 

そして、日本人は心理カウセリングをあまり受けようとしない。カウセリングを受けると心が楽になるだろうということは理解しているのに。

なぜなら、それは故人を忘れてしまうことになってしまって嫌だから、という。


そーいう気持ちは俺も理解できる。 

気がついたら、ゲロみたいなわかめうどんを食いながら、俺は泣いていた。