続・ボラット!!

この歳になってくると、テレビを見て笑うなんてことはほとんど無くなる。が、サシャ・バロン・コーエンにはいつも笑わせられる。

 

10年以上前に公開された映画「ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習」で、アメリカにスゲェ奴がでてきたな、と(実際にはイギリス人らしいけど)思ったが、次の「ブルーノ」で完全にファンになった。

「ブルーノ」のギャグは客を選ぶ。超ブラックというか、基本的には差別ギャグなので"わかっている客"しか笑えない。

 

で、今回の
「続・ボラット 栄光ナル国家だったカザフスタンのためのアメリカ貢ぎ物計画」
久々に、画面見てゲラゲラ笑った。前作よりも差別がキツイ(笑)


『続·ボラット 栄光ナル国家だったカザフスタンのためのアメリカ貢ぎ物計画』10月23日 独占配信開始!

ただ、今回はものすごい政治に偏っている。前作まではそれほど政治色は無かったように思うが、今回はモロに民主党より、というか反トランプ・プロパガンダ映画になっている。


そのネタを知らないと楽しめないのも確かで、ペンス副大統領とかジュリアーニ(トランプの顧問弁護士)元市長が誰か知らないとわからない。それに、中絶問題についてのアメリカの宗教的スタンスとか、アメリカ南部国旗を振りかざす意味なんかを知らないと面白さは半減するだろう。

アサルトライフル武装した集会のステージで謎の歌を歌うシーンで、俺はゲラゲラ笑わせられた。

 

ま~、そこらへんの事情を知らない人はそもそも見ないだろう、というのもあるので、それはそれで良し。見なくても何も日本の生活に影響はないし、むしろ見てしまうと誰かに話したくなるけど誰も話し相手になってくれないジレンマに陥る。

 

主演のコーエンは、撮影時に防弾チョッキを着て弁護士を待機させているという。文字通り命がけでここまで最低のギャグを撮影しなければならない理由がひとつもない、というのが良い。

 

中島らもいわく「笑いとは差別である。幼児の笑いを除いて」
この映画の差別はあんまりにヒドイので笑うしかない。

 

しかし、少し考えてみると面白と思うのだが、なぜ差別はいけないのか?
そりゃ、差別だからダメに決まってるじゃん!というのは、差別絶対ダメ思想に塗り固められているからである。

 

想像していただくとわかると思うが、絶対的に差別のない社会とはどんな社会だろうか?貧富もない、老若男女も存在しない、デブもブスも美男美女もいない…そんな世界は北朝鮮を超える超管理社会でないと実現しない。いやいや、それはやりすぎで、どこかに常識的な線引きがあるでしょ?と、常識的な人は言うが、その線引きは誰がどーやって決めるのか?その常識は時代と共にどんどん変わっているというのに、どの時点で誰が正しいのか、どうやって判断すべきなのか?
確実に言えるのは、ボラットのやってることは間違っている。

 

あんまりにもよくできてるので、サシャ・バロン・コーエンつながりで、ほぼ同時期に公開になったサシャ・バロン・コーエン主演の超真面目な映画「シカゴ7裁判」見る。


『シカゴ7裁判』予告編 - Netflix

う~ん、真面目!裁判モノって、アメリカ映画はよくできてる。
すげえ緊張感で面白い。これも明に暗に民主党支持のプロパガンダ映画だけど、政治的なのは別に面白い。


日本でも裁判モノって…あんまり思いつかないない…「それでもボクはやってない」とか?あとは検察ものとか弁護士ものとかあるけども、ほぼ裁判だけの話がないのは、少なくとも日本の裁判というのは単に予定調和であるので、別にドラマチックでも何でもないからという理由かと思うが、それはアメリカも一緒の気もするなぁ。