なぜ人を殺してはいけないのか

ずっと前、テレビ番組で子供が大江健三郎に「なぜ人を殺してはいけないのか」と質問したのが話題になった。

 

その時の大江健三郎の答えは「まともな子供なら、そういう問いかけを口にすることを恥じるものだ。」というものだった。

 

正直、俺としては左翼の代表格ともいえる大江健三郎にはまともに答えて欲しかったのだが、格下の相手(この場合は子供)には"馬鹿には答えない"という言論封殺で答えるというのはサヨクとしてどーかねぇ。


こんな子供に"うるせー馬鹿野郎"とビンタかますのは戦後のウヨクっぽいお父さんであって、サヨク大江健三郎が同じ態度ってのは残念である。

 

俺はそのテレビ番組は知らない。しかし、間違いなくその質問をした子供は"こんな質問したら皆うろたえるだろうな~ウフフ"的な感情があっただろう。

 

もし、そーいう感情が全くなかったとしたらそいつはサイコパスである。

そんなサイコパスに対してどうこたえるべきか?

 

先日紹介した永井均「哲学の密かな闘い」にも、その項目がある。

新版 哲学の密かな闘い (岩波現代文庫)

新版 哲学の密かな闘い (岩波現代文庫)

  • 作者:永井 均
  • 発売日: 2018/03/17
  • メディア: 文庫
 

 結論からいうと永井は人を殺すこと自体を絶対悪と考えているように読める。つまり、道徳的に許されないことであるのは自明の理で、はじめから決まっている。ただし、それがなぜ悪いのかは説明できない。とする。

 

ただ、永井は動機について興味深い設定を考え出している。

死刑になりたいから人を殺したという事例がある。
宅間守や加藤智大なんかはそうとしか思えず、小島一朗は新幹線の車内で3人殺傷し、死刑が確定すると万歳三唱した。

 

こういう人に対して死刑は抑止力にならないじゃないか、
"死ぬつもりならなんでできる"というなら死刑覚悟なら殺人OKってことじゃないか、
あたりはよくある議論である。

 

永井はさらに一歩踏み込んで
心の底から後悔したかったから犯行に及んだという人はどうすればよいか?と問うのが興味深い。

言い換えれば、犯人は"殺人をして懺悔して心を入れ替えたい"こと自体が犯行動機だったらどうするのか?という。

 

園子温愛のむきだし」という映画がある。


コリントの信徒への手紙 13章 ~ 愛のむきだし

神父の父を持つ主人公は、毎日、懺悔することを強要されるのだが、懺悔をするネタはすぐに枯渇してしまい、やがて懺悔をするために悪事を働くようになる。

 

愛のむきだし」では懺悔をすること自体が目的化して悪事をするのだが、永井の設定は、さらに"本当に心を入れ替える"までがセットになっている。

愛のむきだし」レベルでは、懺悔をやめさせれば悪事もとまる。しかし、永井の設定ではちょっと不可能に思える。

 

最後、永井は殺人をやめるための具体的手段を3つ挙げる
 1)福祉政策の徹底
 2)快適な自殺方法を提供し、他人は称賛すること
 3)死刑以上の残虐な刑罰をつくること

永井は殺人を法律で縛ろうとするが、それは根本的に間違いじゃないかと思う。
なにしろ、法律は殺人を禁じていない。

 

法律は、あくまでも殺人をした結果、証拠があるもののみ国家で裁くと書いてあるだけで、殺人は駄目だと書いてあるわけではない。もしも本当の殺人犯がいても、さらに自分が殺人犯だと叫んでも証拠さえなければ原則罪には問わない。

 

まあ、俺としては人を殺していいかなんてのは"時と場合による"。

 

わかりやすい例は、まさしく死刑台のボタンを押す公務員であり、その許可を下す法務大臣であり、その判決を下す裁判官であり陪審員は、全員で共謀して殺人を行う。
あるいは、まさしく自分や近親者が殺されそうになるのでやむを得ず相手を殺す場合、つまり正当防衛の場合。
あるいは…と、いくつもの時と場合は考えうる。

ともかく、先の永井の3つの提案を再度見る。
 1)福祉政策の徹底
 2)快適な自殺方法を提供し、他人は称賛すること
 3)死刑以上の残虐な刑罰をつくること

 

1)は、まあそれはわかる。興味深いのは2)と3)。
木城ゆきと銃夢」に、理想郷ザレムに公衆電話みたいな箱があるのだが、それは公衆自殺装置で、中に入ると安らかな気持ちで誰でも簡単に自殺できる装置である。

銃夢(1)

銃夢(1)

 

 果たして、今の日本でその設置をすれば殺人は減るだろうか…?

 

3)の死刑以上の残虐な刑罰について、呉智英は仇討の復活を挙げている。
松本次郎「フリージア」は、もし現代に仇討制度が復活したら、というマンガである。 

マンガも面白いが、仇討も興味深い。


某Hから送ってもらった本「江戸の捜査・裁判・刑執行の実情」に確か江戸時代に行われた仇討、敵討ちの数が書いてあったと思うんだけど、どこか見つからない…確か30件ぐらいだったように記憶している。(調べたら書き直します)

 確か、俺はすっごい少ない!と思った記憶がある。敵討ちは江戸幕府が許可をしないといけないので、その正当性と手続きとで実際の数は少なかったらしい。

そもそも江戸時代は非常に殺人が少なかった時代なので、仇討とか心中とかはセンセーショナルな話題だった。
※サムライが切り捨て御免でそこらへんの農民を殺したり、試し切り云々の話は、昭和の作り話がほとんどである。

 

俺は、仇討は復活させてもいいと思う。
国家だけが加害者を裁くことができる、という近代法は明らかに被害者を置き去りにしている。