80's

ブックオフで、また橘玲の本を見つけた。
「80's エイティーズ ある80年代の物語」

80's エイティーズ ある80年代の物語

80's エイティーズ ある80年代の物語

 

 橘玲の幼少期から今に至るまでの半生記。

面白い。

この本で初めて知ったのは、橘玲別冊宝島の編集者だったということと、その編集部で橘玲の部下(弟子?)が町山智浩だったということ。

後半のオウム事件あたりから怒涛に面白い。

 

高校生でドストエフスキーにはまってロシア文学を学ぶために早稲田大学に行き、そこでヘーゲルマルクス、そしてフーコーなんかのポスト・モダンに傾倒していく…という経緯からして俺とデキの良さが全く違うというのもわかった。

 

(略)これは当たり前のようだけど、歴史や伝統を重視する保守派のひとのなかには、個人の自由よりも共同体の暗黙のルールを尊重すべきだと考えるひとがたくさんいる。ぼくの政治的立場は共同体よりも個人の自由な選択を優先すべきだという「リベラル」だから「共同主義者(コミュニタリアン)」のひとたちとはまったく話があわないだろう。

 

俺自身はかなり「共同主義者(コミュニタリアン)」であろうことを自覚している。
つまりはウヨクである。

俺ぁ橘玲とは話があわないんだろうな…。
しかし本書も含めて、本や映画などサヨク的コンテンツが面白いと感じるのが、自分自身でなんでだろうかと不思議に思っている。

 

…今、少し考えてみたのだが、
例えば文化を考えてみよう。もっと具体的に、日本国内で日本語を使うということは必然的に「共同主義者(コミュニタリアン)」になる。なぜなら、そこに共有化した暗黙のルールがないとコミュニケーションが成り立たないからという実用的な理由である。

 

このとき、個人的に自由な言語は全く通用しない。少なくともお互いに理解しているルールでないと意味不明である。
ウヨク的思考で言えば、歴史と伝統によって形成された日本語をまずは正しく理解せねば正しくコミュニケーションがとれないでしょ?と考える。

 

ただし、言葉というのは、徐々に日々変化していく。日本語を完全に明文化することは不可能である。昔と今とは意味合いが変わった言葉もあるし、新しい言葉もできるが、暗黙的に全体として一定のルールが存在する。

 

そこで個人の自由が…といいはじめたら、そもそもコミュニケーションがとれない。単に個人的な思い付き、デタラメな言葉を使う人とはコミュニケーションがとれない。

 

要するに、俺が感じるサヨク的思考はほとんどがデタラメに感じるのだ。
そのデタラメっぷりを思いつくまま書いてみると、

 

デタラメその1■
単純に言って、人権とか民主主義はフィクションである。
主権は国民にある!とかの文言を文字通りリアルに受け止めて、総理大臣より自分がエライと本気で思ってる人と俺はコミュニケーションがとれない。

 

そもそも人権は国家vs個人でのみ成り立つ。国家権力から個人を守る権利の範囲が人権の意味なんだけども、今や人権は個々人の間で尊重しあうんだよ~というモヤ~っとして意味がよくわからない話が当たり前になってしまって、さらには犬猫クジラあたりの動物の権利まで拡大解釈されるレベルになってしまっている。

 

デタラメその2■
前に人権における自由・平等・友愛について、友愛って変だろ?と書いたが、サヨク的な人が考える自由もおよそ滅茶苦茶なのだ。
古代ギリシャ的な意味での自由は、兵役を含めて国家の義務を果たすことで得られる表裏一体の権利としての自由であるし、フランス革命における自由の意味合いは、商売の自由である。それが、何故か今の日本のサヨク的な方々は、なんでもかんでも自由=無政府主義としか思えない。


四方山に囲まれた自分1人しかいない場所で勝手にしたければ勝手にすればよいが、集団生活を営んでいる地域コミュニティを破壊するのも個人の自由だというのは俺は許さん…というのはウヨク的であろう。

 

デタラメその3■
民主主義が少数意見を尊重する思想だ、という話をたまに見聞きするのだが、一体、どこからこんな奇妙な言説が広まったのかはある意味興味深い。

 

民主主義は少数意見を抹殺するための思想である。フランス革命において民主主義の結果、少数派の王族は文字通り皆殺しにされた。そこまで極端でなくても現代の日本でも泡沫候補の意見など、選挙に受からなければ黙殺しているではないか。マック赤坂は選挙に受かったけど。。

 

デタラメその4■
最近のLGBT問題を日本で本気で考えれば憲法問題になるはずだ。
憲法の第二十四条はこうある

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

この両性をフツーの日本語で解釈すれば、男と女である。

つまり、憲法上、結婚は男女でないと駄目だよ、と書いてある。

サヨクは何故かLGBT問題が好きなのだが、何故か憲法24条を言わない。日本で同性結婚憲法違反じゃないのかね?あるいはLGBT的に憲法改正を!という話を俺はまず聞いたことがない。

 

前のウヨク入門で、ウヨクとは、フランス革命時における人権・民主主義が胡散臭いと思ってる奴であると書いた。
俺は愛国主義者というワケではない。サヨク的思考におよそ批判的なので、いわば消極的ウヨクであろう。

 

…え~っと、何の話だったっけ?
なんで俺ぁウヨクなのにサヨク系ばっかり読んでるかの説明か…また、考えてみよう…