動的平衡

G監督から電話「どうてきへいこうって何?」


…え?どうてきへいこう…動的平衡!?…何でそんな話?

と聞いたら、この動画を見たという。
博士の異常な鼎談「ゲスト:福岡伸一


第11回 博士の異常な鼎談「ゲスト:福岡伸一(分子生物学者)」福岡伸一特別講義「生命とは何か」

この鼎談で、生命の本質としての動的平衡が語られている。

 

ここでの動的平衡とは、生命とは「分子を入れ替えながらその同一性を保っている」ものである、という説明がされているが、わかりにくいといえばそうかもしれない。

 

俺も福岡伸一の著作は何冊か読んでたし、「生物と無生物のあいだ」も読んでたけどイマイチ思い出せない。。

 

とりあえず、動的平衡について俺がテキトーに解説してみます。

そーいえば辞書的にどういう説明になってんのかと調べたら

"2つ以上のちからが働いてバランスを保っている状態"

だそうで、なるほど、確かにそうだ。

 

えーっと、生物の話に戻りますと、生物というのは生きてる限り、外部から空気や食べ物を取り込んで、内部から老廃物なんかを排出することで肉体を維持してます。このとき、
 ・外からモノを取り込む。
 ・内部からモノを出す。
という2つのちからによって、肉体を維持=バランスを保っているわけです。
これが動的平衡といわれるゆえんなんですけど、ここでの福岡伸一のミソは、単に飯としてエネルギーを取り入れているわけじゃなくて、体全体の分子構造レベルで常に入れ替わっているということ。

 

体のすべての構成要素…爪や髪の毛はもちろん、筋肉、脳細胞、骨や歯にいたるまですべて入れ替わっている。数年もすれば、ひとつとして同じ細胞は存在しなくなる。しかしながら、人の姿かたち・記憶も何もかも別人になることなく維持されているのが非常に不思議なのだ、と説明している。

 

このyoutubeの解説にもありますが、
そもそも科学の思考方法は、可能な限り細かく分けていくことです。
この思考法を要素還元主義、あるいは還元主義といいます。

 

人間の場合でも、とにかく部品にどんどん切り分けていきます。そして、その部品の特徴を丹念に調べて、再構成させれば、全体として人間がわかる、という考え方です。

 

機械全般、自動車や電化製品なんかの工業製品はコレで全て説明できます。人間もこれで説明できるんじゃないか?という考え方を人間機械論といいます。

現在の科学の基本概念ですし、もちろん西欧医学の基本でもあります。

 

人間機械論における最大の発見はDNA、染色体でした。これこそが生命の基本設計図である、と。これから部品がつくられて人間ができるのだと世界が色めき立ったのです。

 

ところが、youtubeにもあるようにDNAをもとにした人間機械論では、現実の人間、さらに生命活動全般をうまく説明できないことがたくさんでてきたのも事実です。

 

そこで、人間というか生命というのは"動的平衡"状態のことではないか、と福岡伸一が言ったわけです。
ただ、この"動的平衡"は、福岡伸一が言い出しっぺではありません。
量子力学の祖、シュレーディンガーがはじめて提唱した生命の定義です。

 

そもそも分子生物学という分野もシュレーディンガーがつくったんですが、そのシュレーディンガーにおける生命の定義とは、生命=負のエントロピー(ネガティブ・エントロピー)である、ということです。

 

そう、G監督も電話でエントロピーの話をされてましが、確かにエントロピーこそがこの動的平衡のキモでして、負のエントロピー…つまりは通常の物理状態とは逆でエントロピーが減少するのが生命だ、とシュレディンガーは言ったワケです。

 

え…何それ…って?

 

エントロピーというのは、熱が不可逆的に冷めていくこと、あるいは秩序あるものが無秩序になることをあらわしています。

例えば、熱いコーヒーを放置すると冷めていきます。冷めたコーヒーはどこからか熱を持ってこない限り、一度冷めたコーヒーは二度と熱くはなりません。この熱い状態から冷めていく状態に変化していくことをエントロピーが増大する=正のエントロピーといいます。


別の例でいえば、机の上にある鉛筆が転がって床に落ちた、というのもエントロピーが増大した結果です。低い位置にある鉛筆を高い場所に移すには、必ず外部からのエネルギーが必要になるからです。

 

人間の場合ですと、人間、死んだら肉体が腐り始めます。腐ったら最後、原型をとどめず、骨だけになって最後は何も残りません。生き物が腐るのは正のエントロピーです。
しかしながら、生きてる限り肉体は維持されます。それは外部からモノを取り込んで常に形を維持しようとするからで、肉体という秩序を維持する=負のエントロピーというわけです。

福岡伸一は負のエントロピー動的平衡と呼んでいるわけです。

シュレーディンガーの負のエントロピー説はかなり概念的な話だったんですけど、福岡伸一の話は具体的でわかりやすくなってます。

 

そもそもエントロピーは物理学的概念なんですけど、負のエントロピーは自然現象ではありえません。なにも手を加えないのに勝手にコーヒーが熱くなったり、鉛筆が持ち上がることは無いワケです。ただ、生命については熱いコーヒーと同じく物理・化学現象のはずなのに、一時的とはいえ朽ち果てるはずの肉体を維持しているので、エントロピーが逆転してるといえるのではないか、あるいは、平衡状態を保っているといえるのではないか、ということです。

 

ちなみに、数学的に負のエントロピーっぽいの発見した!という理論に散逸構造理論というのがあります。具体的に言えば、先ほどの熱いコーヒーのなかでおきる対流のコトです。
水分子はそれぞれ意思を持ってません。その水分子に熱を加えると、それぞれ勝手な方向に動きます。しかし、全体で見ると、対流が生じます。鍋の中でおきる縦方向の渦です。
これが無秩序であるはずの水分子の挙動が秩序化する、というので、こいつは負のエントロピーじゃね?と一時期注目されましたが、イマイチ応用が利かないらしいので今ではほとんど語られないよーですけど。。


あ、あと、動的平衡のたとえ話として鴨長明方丈記」がyoutubeで語られてました。
"行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず"ってやつですね。

 

ちょっと俺が思いついた話で恐縮なんですけど、生命=動的平衡が「方丈記」に似てる、という話であれば、原始仏教でも同じような話が出てくると思うんですよ。

 

釈迦入滅の200年後ぐらいの仏教の本、「ミリンダ王の問い」に、こんな話がでてきます。

 

ナーガセーナはミリンダ王に問う「大王よ、例えばある人が灯火を点じた場合、それは夜通し燃えるでしょうか」
ミリンダ王は「尊者よ、そうです、夜通し燃えるでしょう」と答える。
ナーガセーナはさらに問う「大王よ、それでは夜の初めの炎と夜更けの炎と夜の終わり頃の炎とはそれぞれ別のものでしょうか」
ミリンダ王は答える「尊者よ、そうではありません。同一の灯火に依存して炎は夜通し燃え続けるのです」
そこでナーガセーナはこう説く「大王よ、事象の連続はそれと同様に継続するのです」

 

ちょっとわかりにくいんですけど、ここでは自我についての比喩表現とされています。
自分、自我とはなにか、それは炎のような現象あるいは状態であってモノとしてではない、ということです。

 

炎というのはモノとして取り出すことはできません。炎は確かに存在するんですけど、それは常に変化しつづけている状態だ、ということです。自我も同じだ、という話なんですけど、この話、動的平衡と同じ気がするんですよ。