システム論 その2 ホロンと一般システム理論

当時、俺は中島らものファンでした。
著作はもちろん、中島らも主催の劇団リリパットアーミーを見に、下北沢に行ったこともあります。

 

その下北沢のスズナリ劇場が開場するまでの待ち時間、俺含めてアホな友人らと路上で酒を飲みをはじめたんですが、丁度その時、座長?のわかぎえふ氏が偶然通りかかって

「君ら、路上で酒盛りか!」

と、呆れながらも笑顔で声をかけてくれたのが記憶に残ってます。

 

あ…そんでですね、

 

その頃、アーサー・ケストラーのシステム概念のファンでもありました。
ケストラー「機械の中の幽霊」

 この本は不思議な内容です。別段、難しい数式みたいのは出てきません。当時最新の生物学や進化論などが縦横無尽にエッセイのように語られていて、まるでテーマがごちゃ混ぜで一見とりとめのない話のようにも思えるんですけど、その奥底には"ホロン"と命名されたシステム理論が語られています。

 

ホロンとは何か。
それはまるでロシアの人形、マトリョーシカのような入れ子を想像してみてください。
大きいものの中には、それと同じ性質の小さい奴がいる。その小さい奴は、さらに小さい奴がいる…以下、それを繰り返すことで世界が説明できる!という理論だと思ってください。

 

言い換えれば、「全体は部分となり、部分も全体となりうる」という禅問答みたいな話なんですけどね。

 

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これはケストラー「ホロン革命」に載ってるホロンのイメージ図です。

…?なんのこっちゃ?という疑問は正しい。

 

ホロンの具体的な話をしようと思って、この本の内容を思い返してみたんですが、これがほとんど思い出せないあたりが俺の知性の限界ですなぁ。。


ちなみに、この本、某Hがフィリピン勤務の時に現地に送ったんですけど、おぼえてますかね(笑)もしかすると今でもフィリピンのどこかでケストラー「機械の中の幽霊」を手に取ってる日本人がいるかも知れないと思うとホッコリします。

 

えー…っとですね、例えば人間をホロンだと考えてみますと、人間って60兆個の細胞でできてるらしいののですが、その細胞も核とかミトコンドリアとか細胞壁なんかでできています。さらに核はDNAがあって、そのDNAは一定の分子配列でできています。その分子配列は…と、それぞれ、モノには各要素が集まってできています
一方、人間が複数集まって、肉親・友人・知人としての人間関係=社会が構成されます。その身元がわかる人の範囲をこえて市町村の地域社会が構成されています。さらに県、そして国家が構成されます。

 

と、見ていくと、小さいレベルから大きいレベルまで、各要素の集合体である、といえます。

 

家族を全体と考えれば人間は部分になるんですが、細胞レベルで考えれば人間は全体になりますし、家族は国家の部分ともなりえます。

これが全体は部分となり、部分も全体となりうるという意味です。

 

ちなみに、それってフラクタルじゃね?というご指摘はスルドイんですが、フラクタルは純粋な数学、幾何学であって、定量的=数値化できるものですが、ホロンは定性的…数値化できない性質…です。んでもって、フラクタルも結局は使い道がイマイチわからないまま廃れてしまった感じはあります。


ケストラーのホロンに関するもうひとつの著作は「ホロン革命」です。

ホロン革命

ホロン革命

 

この本、実はG監督に差し入れしてます。おぼえてますかね?
武蔵小山か西小山か目黒周辺の駅前でウロウロしてたとき、駅近くの古本屋で、道路に安売りで並べてた本の中に偶然この「ホロン革命」見つけて、これ、攻殻機動隊の元ネタだよ!ってその場で渡したんですよ。 

 

この「ホロン革命」の方がホロンについての説明がある程度一貫してて詳しいんですけど、中身としてはなんかグチャグチャにみえる「機械の中の幽霊」の方が魅力的な気もします。

 

ともかく、このホロンという概念は、思想・哲学方面のさらに一部の奇特な方々にはウケました。

 

攻殻機動隊の英語のタイトルはゴースト・イン・ザ・シェル(Ghost in the Shell)ですが、ケストラー「機械の中の幽霊」の原題はゴースト・イン・ザ・マシーン(Ghost in the Machine)です。

 

俺はGhost in the Shellと見た瞬間にピンときたんですが、作中でケストラーもホロンも直接的に語られてはいません。しかしながら、そもそも人間を機械と見立てたとき…つまり人間機械論としたとき、攻殻機動隊のいうゴースト=意識を持つのか?そもそも意識とは何か?というのはケストラーのホロンの重要なテーマであります。

 

押井守のアニメ映画版でも、最後、主人公個人の意識がネットに移行する、というあたりで個人の意識=下部階層、ネットでの集合意識=上部階層へという説明は、まさしく意識がホロンとして階層レベルで語られてる場面だと思うんですよ。

 

さらに、テレビシリーズ第一期 STAND ALONE COMPLEXの最終話26話で「好奇心」について語る場面があります。この「好奇心」について、ケストラーは生物における極めて重要な要素として語ってます。

 

そこへんからして、攻殻機動隊はケストラー「機械の中の幽霊」から生まれた作品だと思ってるんですが、まあ、知らなくても楽しめる作品なのは間違いないです。

 

ちなみに、イギリスのロックバンド、THE POLICEのアルバムにも「Ghost in the Machine」がありますが、ケストラーとは関係ないと思います。俺はそのアルバムだと"Hungry For You"あるいは"Too Much Information"がいかにもPOLICEっぽいホワイト・レゲエ調で好きです。関係ないですねハイ。

 

ケストラーのホロンに関する著作はあくまでも読物であって学術論文という感じではありません。

なので、ケストラーの提唱するホロンは科学の仲間入りとはなりませんでした。

 

前回のブログのシステムは、コンピュータ制御に関するシステムの話でした。これは制御工学とかシステム工学とかと呼ばれる数学で記述可能な科学の分野として知られます。

そもそもシステムは生命を説明する概念だ、と書いたんですが、制御工学が生命だというのはちょっと無理があります。

 

生命の特徴をシステムとして科学的に説明しようとした、初期に最も有名な著作はベルタランフィ「一般システム理論」です。

 これはちょっと読みにくい…というか、本書は科学論文といったおもむきなので、先ほどのケストラーのように一般教養レベルではイマイチ理解できないあたりです。

 

それでもまあ、内容を単純化しますとですね、人間機械論みたいに全体を分解して部分にしてしまうと全体の性質を見失ってしまうゾ、という話です。

 

この著作によって、システムというのが科学分野でも認めらた概念として受け入れられることになります。

が、理数系や生物学系を超えて、社会科学系に応用されるあたりになったあたりで、段々と雲行きが怪しい方向に…って、前のブログと同じオチに…