環境危機をあおってはいけない その1

某Hから、最近ブログ更新してないよな~なんか書けよ~と言うので、とりあえず今読んでる環境問題系の本を紹介してみよう…。

 

おおよそ環境問題を声高々に叫ぶ連中のほとんどが政治目的だったり、理屈として奇妙だったりで、企業なんかが環境問題を言い出すのは商売上の理由である。

 

昨今のSDGsを喧伝する人で、以前によく似たMDGsが何故流行らなかったかをうまく説明できる人は少ない。
要するにMDGsはカネにならなかったから流行らなかっただけである。
SDGsはその反省の上に立って(?)ちゃんと商売で儲かる仕組みを作ったのだ。簡単な例でいえばSDGsの丸いマークを商売で使っても良いとか、SDGsファンドを形成して資金調達させるとか、である。

 

俺は環境問題の本質はエネルギー・コストだと思っているが、
違う視点から言えば、
他人にどれぐらい迷惑をかけてもよいか」だと考える。
その他人は他国であったり、未来人だったりする。

(ちなみに社会理論でいえば”共有地の悲劇”と言われるモデルと言われるアレ)

 

水俣病四日市ぜんそくなんかは国内問題であったが、昨今の温暖化なり大気汚染なり海洋汚染なんかは他国を巻き込む。
汚染物質を完全にゼロにはできないので許容範囲はどこか?を各国が探り合いをすることで一応の解決とする。

 

一方、未来については話し合いができない。
例えば核廃棄物なんかは、未来の技術でなんとかしてくれるんじゃね?程度である。とりあえず現時点の人間が許容できればよい、というあたりだろう。

 

地球温暖化でいえば1990年代より前、地球は寒冷化になる!と日本で喧伝されていたことをどれだけの人がおぼえているだろうか。

それが今は逆に温暖化である。地球温暖化の話は90年代以降に言われ始めた。

 

俺は当時、その地球温暖化の言い出しっぺであるIPCC気候変動に関する政府間パネル)の第1次評価報告書を読んだことをおぼえている。
その報告書の結論として、確か4つのモデルが提示されていたはずだ。
「気温が変わらない」から「すごく気温が上昇する」まで4段階のモデルなのだが、イマイチその前提条件がハッキリしない、というか、そもそも地球全体の気温など予測が困難である、としか読めなかった。
そのあたりからなんか温暖化説は眉唾だな~と思いつつ、現在まで相変わらず眉唾な議論にしか思えない。

 

もちろん、本物の環境問題はある。
水俣病のノンフィクションなんかを読むとなかなか凄まじい。

本当にヤバイ問題と、政治や商売の問題とがごっちゃになってるのが昨今の環境問題だ。

 

思い出してほしい。
昔、大々的に叫ばれた環境問題はいくつもある。いくつかは今でも言われている。

 

・石油が無くなる!

オイルショックで大パニックになった。

 

・アマゾンなんかの熱帯雨林が伐採や焼き畑で失われている!

→割り箸使うと森林が無くなる!と、割り箸が目の敵にされたことがある。


・オゾンホールがどんどんデカくなってる!

→皮膚がんが増えるとマジで言われた。


環境ホルモンで動物がメス化する!

→極めて微量な化学物質が生物に影響し、生物がメス化する!人間の精子は少なくなってる!と言われた。


・農薬で汚染されている!

モンサントみたいな企業が毒である農薬を売ってる!みたいな説。


ダイオキシンは猛毒だ!

ダイオキシンは当時のテレビ番組「ニュース・ステーション」で大々的に報じていたのをおぼえている。野焼きをするとダイオキシンが微量でも発生するのでやめろ!と叫んでいた。


人口爆発で食料が足らない!

→これは数百年前から言ってる。

 

今ではほとんどこれらの問題を聞かなくなった。
さて、現在、果たしてどーなったかを説明できる人間はどれだけいるだろう?


そんな、ここ数十年における環境問題と、その現状についての興味深い一冊を今、読んでる。

ビョルン・ロンボルグ「環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態」
(訳:山形浩生

 

…と、中身を書こうと思ったけど、眠たくなってきたのでまた後日。。まだ全部読んでないし。。