まったく同じ3人の他人

「まったく同じ3人の他人」見る。これはノンフィクション、実話である。

https://www.netflix.com/jp/title/80240088

19歳で大学に入学すると、異様に皆がフレンドリーである。奇妙に思っていたら、自分ソックリな人間と皆が勘違いしていたことに気が付く。


そこで、そのソックリさんに会いに行くと、その瞬間、意気投合した。2人は生き別れした双子だった。この事件が新聞に掲載されると、もう一人、同じ人間があらわれた。
実は三つ子であったのである。

 

その三つ子、当時のアメリカで大人気となって、テレビなんかで引っ張りだこになったらしい。
ここまではこの映画の序章である。

 

なんでこんなことに?と調べると、
3人とも生後6カ月で養子に出されており、全て別々の家庭に育った。

アメリカでの養子制度は日本と比べてかなり容易であったこで、養子であることに不自然さは無い。しかし、3つの家庭の養父らは三つ子であったことを知らされてなかった。

 

その頃、心理学系の論文を読んでいた研究者が、とある論文を見つける。
それは、一卵性多生児(主に双子)を、まったく別の環境で育てたらどうなるのか?という研究である。

 

その三つ子は、その人体実験をさせられていたことが判明する。
一卵性多生児を養子に出すことが決まると、それぞれ別の環境に送り込まれたのである。なので、他にも多くの双子たちが人体実験を秘密裏にさせられていたことが判明する。

 

この三つ子はそれぞれ、下流中流・上流家庭に割り振られ、子供時代に様々なテストを実施されていたのである。
そのテストは養子で育ったらどうなるのか?という建前だったため、養父たちも疑問に思わなかった。

 

さて、その人体実験の真の目的と結果は?といえば、イエール大学で保管されており、2066年まで非公開であることが判明する。関係者が全て死ななないと開示されないわけだ。

 

この映画のエンドロールで、その三つ子たちが幼少期に知能テストらしきゲームをやらされている映像が映るのだが、この非人間的な感じに寒気がする。

 

この気持ち悪い事実が語られると同時に、三つ子はそれぞれ別の名前、別の家庭に育った他人であると、この映画は強調する。

 

しかし、どう見ても20歳ぐらいの映像はまったく同じ容姿であり、声もしぐさも、煙草の銘柄や女性の好みも一緒、大学も同じなのだから知的レベルも同じである。これは、橘玲が指摘するように、人間は環境よりも遺伝的要素が極めて強いことを示唆しているとしか見えない。

 

まあ、この人体実験の話はそれはそれで興味深いのだが、この人体実験の正当性、善悪の判断を単純に考えると人権侵害といえよう。

 

しかし、決して非人間的な環境で育てられたわけではない。3人の養父たちは単純に善意で子供たちを育て上げた。
(ただし、ひとりは自殺したが、直接的原因はわからない。)

 

我々がこの3人のように人体実験されていない、と自信を持って言えるだろうか?

 

我々はすでにスマホを通じて生活は監視されているといっていい。
少し前にLINEアプリによって、LINEの通信内容はおろか、電話帳リストやGPSによる位置データまで諸外国に提供されていたことが判明した。


facebookによれば、いいね!ボタンを20回程度押すことで、友人や恋人あるいは本人よりもAIによって本人の好み、政治性向なんかを判別できるため、このデータがアメリカ大統領選挙に使われた。

 

日本でも国勢調査がある。
この正当性は?といえば、法的根拠はある。しかし、昨今の人権的価値、人権をもとにした道徳的視点からいえば奇妙と言わざるを得ない。