三島由紀夫 vs 東大全共闘


www.youtube.com

映画「三島由紀夫 vs 東大全共闘」見る。
個人的には面白かった。

三島由紀夫には無論、驚異的な知性を感じるが同時に、二十歳そこそこの学生の知性にも感心した。

 

実際に三島由紀夫が東大全共闘約1000人に語りかける映像に、時折、解説するように当時の学生…皆70歳超えてるけど…のインタビューがはさまれる。

 

この議論はかなり抽象的で、そもそも三島の天皇論というか天皇観、左翼学生の理屈をある程度知ってる人でないと、多分、禅問答ようにワケが分からないようにも思う。まあ、その両方に興味が無い人はそもそも見ないとも思うけど。

 

この映画、というかこの討論が現代にあまり取り沙汰されない要因のひとつに、冒頭の三島のスピーチで"キチガイ"発言が連発するからだろう(笑)。昨今の事情で、ややお咎めなしとなってきた風潮で公開できたのかな?とも思わせる。

 

前半、反知性主義について、三島いわく反知性主義というのがよくわからない。単に知性が無いということか、知性の極致にあるものか、わからない。丸山真男は最後まで知性主義だったので君たちに殴られた」と語って、会場が笑いに包まれるというシーンがある。

つまり、三島は左派の学生運動反知性主義だと言っているし、学生たちも自覚している。そして、三島の言う「反知性主義がよくわからない」という意味は、俺が思うに極左思想を含む人権=近代イデオロギー反知性主義によって成り立っている。知性主義による政治とはいわば哲人政治であるが、これは実現したことが無い。従って反知性主義とは単にアホが良いと言っているのか、知性の果てに結局アホによって統治されるべきだ(具体的には投票)という結論に至るのか、よくわらかない、ということではなかろうか。
なので、内田樹反知性主義に関してのコメントはズレてる。内田樹反知性主義=単なるアホによる政治としか解釈していないように思われる。

 

で、一番難解なあたりと思われる部分は、学生の芥(あくた)と三島との議論であろう。

突然、幼子を抱える芥が三島にタメ口で語りかけるあたりから議論が始まるのだが、その議論は文化論のようにも時空間の哲学論のようにも聞こえて、この議論がかみ合ってるのか否かもなかなか理解しにくいと思われる。

 

芥のいう理屈は、個人はすべての世界から断絶することで本当に自由になる=なので全世界から孤立することが正しい、と説く。一方で三島は、生まれ育った文化で個人は形成される=なので自己を肯定するならその文化も肯定するべき、ということで対立している。

 

時間云々の話は、世界から隔絶されたなら時間など何も関係が無くなってしまうという芥に対して、三島は文字をはじめ思想というのは時間を経て形成されるでしょ?という話なのだが、2者ともに、かなり抽象的すぎてわかりにくい。
特に芥の思想については純粋に哲学的というか理想論、非現実的すぎるので理解しにくいものの、三島は瞬間的にその会話に応じていくのには舌を巻く。

 

まあ、この映画、難を言えば瀬戸内寂聴は要らないでしょう。。