911と対テロ戦争

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ニューヨークの911テロから、アメリカ政治がどう動いていったかを描いたドキュメンタリー。

俺はそもそもアメリカが何故そこまでアフガニスタンにこだわるのかをよく理解してなかった。

 

アフガニスタンについては、映画「ランボー3・怒りのアフガン」に登場するアフガン人にこんなセリフがある。

「ここがアフガニスタン。昔アレクサンダー大王が、次にジンギスカン、そしてイギリス、今はソ連が支配を試みている。でもアフガン人は負けない」

 

ソ連がアフガンに侵攻したとき、アメリカは世界の共産主義化を防ぐため、アフガニスタンの武力勢力・ムジャヒディンにCIAを通じて膨大な資金と武器を援助した。
やがてソ連が撤退し、アフガニスタンタリバンが支配する国となった。

 

そして、911が起こる。

 

このドキュメンタリーでは、911を起こしたビンラディンアルカイダを絶対悪として描くのだが、そもそも何故、アフガニスタンに援助した側のアメリカがテロの標的になったのか?は一切描かれない。

 

そこが不満と言えば不満、大不満である。

そもそもアメリカが裏からアフガニスタンを支配しようとしたし、宗教を甘く見過ぎた。人権と民主主義だけが正義だと思い込んだからである。

 

テロを受けた後、アメリカは集団ヒステリー状態になったことがこのドキュメンタリーでよくわかる。

 

何故アメリカはアフガニスタンにここまでこだわったのか?を、

まとめるとこうなる。
1,再度の911テロを防ぐためには戦争だ!と勢いづいた。
2,でもテロの相手は国家ではなく、世界に分散した組織であった。
3,ならば本拠地を根絶やしにするしかない。
4,なんか本拠地がよくわからない。
アルカイダはもやっとした宗教組織っぽい。実行犯は20人前後レベルだし。
5,だったらアフガニスタン全土を民主主義化して思想統制しよう!
6,アルカイダの関係者はドローン機でピンポイント爆撃だ!

でも民間人も殺しまくってアメリカへの反感がつのる。
7,アメリカ側のゴールが見えなくなる。何をしたらいいのか誰もわからない。
8,ハイ、もう終わり。撤退!←今ここ。

 

戦争のキッカケだけは別にして、中盤から終盤にかけてはベトナム戦争と同じである。

俺としてはアメリカ軍撤退の大混乱を描いた映画としてはカンボジア内戦の話だが「キリング・フィールド」を思い出す。


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あの映像とアフガニスタン撤退の映像がリンクする。ちなみにこの映画、音楽の担当が俺の大ファンのマイク・オールドフィールドだが、多くの場面で映画と全然あってない気がするのは俺だけ…?

 

それはそれとして、やっぱり「中国思想史」

 


■第6章 前漢の思想統一

焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」という言葉がある。
言論統制を意味する四文字熟語で、思想に合わない書物を焼いたのを"焚書"、思想の違う学者を生き埋め!にしたのが"坑儒"。

 

俺はてっきり儒教思想で「焚書坑儒」したものだと思い込んでいたが、「焚書坑儒」は法治思想によって行われた。
思想統一を行ったのは秦である。秦は法家思想による画一的な法の支配であり、あまりにも独裁的であった。そこで「焚書坑儒」が起こったのである。
言論統制の元祖は、法治思想、法治国家によってなのだ。へぇ~。

 

秦の次に漢が誕生した際、秦の反省をふまえ、まあちょっと自由にいこうじゃん的なアレな感じで、かなりほったらかしでやりはじめた。

 

そのほったらかしが、やがてヤバくなってくる。

商工業が発達するにつれ、貧富の格差が限界突破、単なる金持ちが権力をもちはじめるに至る。


そこで、漢になって60年ぐらいした頃(漢の前半=前漢時代)に、ついに再度、思想統制するに至る。

ここの漢、前漢時代に採用したのは儒家思想であった。
それにはワケがある。

 

まず、この時代、地方の役人が圧倒的に権力を持っていた。農民の税金によってその役人らが支配階級として君臨していたのだが、秦の時代からの貴族は減って、庶民から地位を駆け上るものも出てきた。
支配階級となりえた庶民らによっても都合が良かったのが儒家思想である。

 

秦の法家思想は国家主義であり、絶対君主制ともいえる。コレといって理由も何もなく押し付けられた法を守らねばならず、カネや権力を持ち始めた個人は国家によってつぶされるのが法家思想であった。
半面、儒家思想は究極的には個人主義である。なのである程度の自由を認めた。
さらに、階級制は維持するが、道徳が優れた人間はトップに立てるという思想である。誰しもが自分は道徳家だと思うので、階級制度の上に立つ人間には都合が良かったのである。

そのため、前漢時代に儒家思想によって思想統一を行い、これが20世紀の清朝時代まで続くのである。そのため、思想統一は儒家思想によるものだと思われがちだが、そもそもは秦の法家思想が元祖である。

 

ただし国家統治の実態は法治であり法家思想であった。いわば表面上は儒家思想、中身は法家思想というハイブリッド型が続いたのである。

 

ちと話は変わるが、
鈴木みそ「ナナのリテラシー」だったと思うのだが、その中で法治イメージとしてドイツ型とアメリカ型があるという。
ドイツ型は厳格に法を定め、現実を法によってしばる、というもの。

例えるなら制限時速30キロの道路があるが、いくら道路が空いてようが一旦決めた法を尊重する。
アメリカ型は現実で不都合な法があれば、法を変えていくというもの。先ほどの30キロ制限の道路がいつも空いてるなら40キロ、50キロ制限に変えていくべきだという論理である。

 

では日本はどーかといえば、基本ドイツ型だが運用はアメリカ型のハイブリッド型だという。

つまり、現実に守れないほどのルールをつくるものの、運用はその場の空気で決めるというものである。
むかし、オウムの信者が道路でビラ配りをして警察に捕まったことがある。

この理由は、"道路は通行の用として使用される"という法律を非現実的レベルで適用した結果、ビラ配りは通行していないから法律違反だというのでしょっ引いたのである。

確かホリエモンも執行猶予期間にしょーもない微罪で捕まると即刑務所行きになるというので、クルマの運転はおろか道もまともに歩けなかったという。