「パワー・オブ・ザ・ドッグ」2回目

G監督が「海が走るエンドロール」が面白れーから読めよぉと言うので読んでみた。

夫を亡くした65歳になる老婆が映画を撮り始めるというマンガ。
うーむ、なんというか、キレイなマンガですよ。
俺はピンとこなかったんですけど。

これは映画見てるだけでグダグダ文句言ってるだけの俺と、実際に映像制作してるG監督との違いだと思うんですがどうでしょうか。


以前、ある小説家がインタビューで"何故仕事もせずに小説を書いたのか?"と問われて"書かずにはいられなかった、書くこと以外考えられなかった"と答えてましたけど、そのリアリティを本当に感じるか否かが「海が走るエンドロール」のキモなんじゃないかと勝手に思ったんですけど、このマンガ、すごい売れてるっぽいので、俺だけが不感症なのかも知れません。

 

ともかく、2回目を見ました「パワー・オブ・ザ・ドッグ」


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G監督の言いつけ通り、フィルの母性と足音に気を付けながら。

で、2回目でわかったんですが、コレ、かなり意図的にわかりにくくしてる映画ですよ。

 

主な登場人物は4人
主人公の荒くれ男、フィル(実はホモでネコ、つまり受け側。母性が強い?。荒くれ男っぽさはその裏返し)
そのフィルの弟(常識人)
弟と結婚した子持ちの母親(アル中)
・その母親の子供で、ホモ臭いナヨッとした青年(ホモかどうかはハッキリしないが、ホモだとしたら攻め側。父性が強い)

 

以下、思い出しながら順に


冒頭、お父さんが死んだのでお母さんを守らなければならない、という感じの独り言?から始まるんだけども、このセリフが誰のセリフなのかは、1回目ではよくわからないが、これはナヨッとした青年のセリフである。
この映画はその青年のセリフではじまり、最後に映るのもこの青年の顔。従って、実はこの映画はナヨッとした青年の物語だともいえる。

 

G監督の言う通り、主人公の荒くれ男フィルの登場から、ガチャガチャと足音がウルサイ。これはカウボーイ特有の靴音だけに目立つ。他の3人はそんな靴は履かない。マッチョの演出。

 

荒くれ男フィルは家の風呂に入らない。風呂に入らない理由は俺はよくわからない。不潔なのが男の象徴なのか、あるいは、実は裸を見られるのが嫌だからなのか語られない。清潔でおしゃれな弟との対比かもしれない。

 

んでもって、荒くれフィルと、その弟が同室にベッドを並べて寝る。
少し考えてみるとこれは奇妙。

裕福な牧場主としてデカイ家に住んでるんだから、2人とも別々の部屋で寝ればいいのに、何故同じ部屋で?という理由は実は、荒くれ男フィルは弟が隣に寝てくれないと自分も安心して眠れないから、ということがわかってくる。

 

大量の牛の移動中に、飯と宿に泊まるシーン。
一旦、牧場のスタッフたちが売春宿っぽいところで一休みして乾杯でもするかというとことで、荒くれ男フィルが弟が来てないので待ってやれという。実はすごい気づかいをする男だとわかるのだが、弟が来たとたん、弟を罵倒するという困った性格であることがわかるし、弟はとにかく兄を黙認する。
ここらへんで2人が牧場主の兄弟として、兄はスタッフをコントロールしているが、全体のスケジュール管理とかは弟がしていることがわかる。

 

この乾杯と食事のシーンで、スタッフたちは弟の言うことを聞かず、荒くれ男の兄の言うことしか聞かないことがわかる。とにかく荒くれ男フィルは荒くれている!のと同時にカリスマがあるというのを見せつけるシーンである。

 

その夜、荒くれ男フィルがベッドルームに行くと弟がいない。そこでものすごく不安になって弟を探すものの、そのままベッドで寝てしまうという。さらに弟が部屋に帰ってきた途端に飛び起きるが、今度は弟が兄の態度を叱る。いや、だってさぁ、と兄は言い訳をするが、そのまま一緒のベッドで寝るのである。
ここで、実は弟が兄の面倒を見ていることがわかる。
表面上、兄が男っぽいとことを見せつけることで牧場主たる権威を保っているが、それがやり過ぎだと兄に説教し、ベッドが一緒じゃないと眠れない弱さの面倒も見ている。

 

その弟はスタッフからは信頼されず、わがままな兄に振り回され、孤独に生きてきたが、結婚して孤独じゃなくなったと涙するシーンになる。

 

んでもって、弟が結婚後、夜に嫁とキャッキャウフフという物音を、フィルが一人ベッドで聞いてる。
フィルはこれまでずっと弟と一緒に寝てきたのに、新しくやってきた嫁にとられたというワケ。
なので、フィルは異様に感情をむき出しにする。
この嫉妬を発散するため、ブロンコ・ヘンリー(BH)の鞍を磨きだす。
後からわかるが、ブロンコ・ヘンリー(BH)こそがフィルが性的に愛した男である。

 

新しく家にやってきた弟の嫁を、フィルはいびりまくる。
弟をとった相手でもあるし、中身は女性のフィルだけに、嫌な小姑としてふるまう。

 

連れ子のホモっぽい青年が医者志望で医学の勉強をしていることがわかる。

 

フィルの嫌がらせに耐えきれなくなった嫁がアル中になる。
アル中であることを確信した瞬間、フィルはニッコリと笑う。母親失格だと悟る。

 

フィルが誰も無い川辺で裸になってハンカチ?を体に当てているが、そのハンカチ?にBHというイニシャルの刺繡がある。ブロンコ・ヘンリー(BH)のハンカチ?であったことがわかる。そのハンカチをおもむろに股間に突っ込むあたりで、ホモだとわかる。続いて、青年がブロンコ・ヘンリーの裸の写真集を発見し、この2つの事が連続で描かれることで、フィルがブロンコ・ヘンリー(BH)が大好きのホモだということがわかる。

 

場面がかわり(5章)、フィルの態度が一変し、青年にすごい親切になる。
乗馬のやりかたを教え、皮のロープを手作りでつくってやる。父親代わりというのが自然にみえるが、ここはG監督の言う通り、実はアル中の母親にかわって、母親として牧場での生き方を教えているという解釈が正しいと思う。

 

青年は乗馬をおぼえ、一人で遠出し、炭疽菌のついた皮を手に入れる。

 

実は青年の父親はアル中で自殺したことがわかる。その時、父親は青年に「冷たくて強すぎる」と言ったということで、もしかしたら青年が父親を自殺に追いやったのかもしれない。

 

アル中の母親が勝手に牛革を処分してしまう。ここでフィルがブチ切れて暴れる。弟はあくまでも冷静に対応するが、ここで青年が意を決して「ボクの牛革を使って」と申し出る。
この場面、もしかしたらフィルが母親に暴力をふるうかもしれない勢いがあったのを含めて、青年はものすごく悩んでいるように見える。(なぜなら炭疽菌つきの牛革を渡してフィルを殺すことを決意したことが後からわかる)

 

フィルは手に傷があり、血をにじませながらロープを編んでいる。青年は炭疽菌に感染する様子をうかがいながら、ここではじめてフィルがホモであることに気が付き、フィルからもらったタバコ?大麻?をフィルと交互に吸いあうというホモ臭いことをする。

 

炭疽菌に感染してフィルが病院に連れていかれるとき、青年は部屋の中からフィルを覗いている。
落ち着きなく泣いているようにも見える。

 

青年が聖書を調べるように読み、その聖書の一文にタイトルの「パワー・オブ・ザ・ドッグ」が書いてある。
その聖書の意味はよくわからないが、この「ドッグ=犬」が邪悪な者の意味とすれば、青年にとってのフィルこそが「パワー・オブ・ザ・ドッグ」であり、それを青年は聖書通りにしりぞけたことになる。

 

最後、フィルの葬式が住んで、自分の母親と新しい夫(=フィルの弟)が仲良く抱き合っているのを、青年が見届けているシーンで終わり。