ひとの気持ちが聴こえたら

「アルージャーノンに花束を」という小説が昔に流行った。

ざっと内容をいえば、

主人公はいわゆる知的障害者で簡単な仕事しかできない。しかし友人もいてそれなりに幸福だと思っていた。一方で自分は頭が良くなりたいとも願っていた。
ある日、頭が良くなるという試験的治療を受けることになり、メキメキと知能指数が上がっていった。
うまく言葉もしゃべれなかった主人公は、やがて天才的な知能を獲得するに至る。
ただ、周囲との人間関係はいまくいかない。さらに、状況が分かってくるにつれ、昔の友人と思っていた人間は、単に自分のことを馬鹿にしていただけだと気づきはじめ、到底、幸せとはいえない人生だったのではと理解し始める。
そして、その知能は長くは続かず、徐々に元通りになっていく…。

 

この話はSFである。
しかし、現実によく似た治療があるのをご存知か。
TSM…経頭蓋磁気刺激、と呼ばれる医療行為で、要するに強力な電磁石を脳みそに当てる、というものである。
以下の本は、TSM治療実験の被験者として、その効果を自身で記した記録である。

 

「ひとの気持ちが聴こえたら 私のアスペルガー治療記」読む。

「アルージャーノンに花束を」と違うのは、TSMは知能指数ではなく感情をコントロールする。著者は自閉症、アルペルガーと診断されており、50歳ぐらいの中年男性である。
著者の知能は平均を大きく上回っており、音響関係や自動車修理の仕事で成功を収めている。
音に対しては非常に敏感で、絶対音感もあるが100台位並んだスピーカーの調子をそれぞれ瞬時に判断できるという。音波を計測する機械を見たときは、自分の感覚が機械で表示されているんだな、と思ったそうでKISSやピンク・フロイドなど世界的ロックバンドと仕事をしていた。その後、高級自動車専門の修理会社を自分で立ち上げ、経済的には裕福である。

 

傍から見ると成功者に見えるが、著者自身は落伍者だと思っていた。

成功者というのは、友人に囲まれるなど他人からの評価が高い人間だと思っていたからだ。実際、著者には幼いころから友人と呼べる人間はほぼいなかった。なぜならアスペルガー症候群の特徴として、他人の感情がわからない、という特性があるからである。

 

本書の具体例として、道端で人が転んだとき、著者含めてアスペルガーの人たちは「立ち上がれ!」と叫ぶという。なぜなら、転んだままだとクルマや自転車に轢かれて危ないからである…合理的といえば合理的だが、転んだ人にとっては不愉快であることは間違いない。その不愉快さが理解できないのである。
皮肉という表現が理解できない。例えばボロボロの洋服を着ているときに「いい服着てるね」と言われたら、それは悪口ではなく、言葉通りに誉め言葉だと解釈することしかできない。全体の状況や表情なんかを読み取ることができないのである。
著者は、よくロボットみたいだと言われたらしく、とても傷ついたのだが、自分のどこがロボットっぽいのか理解できない。

 

音楽もそうで、音への感覚は人一倍あるものの、曲調が明るいとか暗いとか、そもそも何を意味した曲なのか、などはそもそも理解できなかったという。

 

ある日、試験的にTSMを受けることになり、小一時間ほど頭に電磁石を当てた。

 

すぐには特に何も変化はなかったが、その治療の帰り、クルマを運転していたら、これまで何度も聞いていたジャズの曲に突然、感動して涙を流したという。

 

半世紀も生きてきて、何かに感動して涙を流すことなど経験したことがなかった。
生まれ始めて、これが感情というものだ、ということを体験した瞬間だったという。
…ただし、一時間もしないうちに元に戻ってしまったのだが。。

 

著者の例えでは、白黒の世界に生きていた人間…色盲の人間にとって、赤や青の話は理解できない。色の話は皆が口裏を合わせて自分をダマそうとしているのではないかとずっと考えていたが、突然、目の前がフルカラーで見えるようになった感覚と同じではないか、と。

さらに、時間がたてば元通りの白黒の世界になってしまい、今の自分は白黒だが、確かにカラーの世界はあると考えるようになったようだ、と。

 

この治療は、誰しもが著者のような劇的な変化があるわけでもないようである。
そもそもが極めて主観的な話で、数値のつけようがない。

 

ところで著者は結婚していて、嫁さんはうつ病だった。感情が読めない夫だからこそ、うつ病の嫁とうまくいっていた。夫との会話で他人が嫌そうにおもいはじめたら、嫁さんが夫に教えていた。
そのような関係は、夫が感情を持ってしまったことで、段々とうまくいかなくなるのである。

 

この本はSFではない。
ノンフィクションなので、結局、もや~~~っとした感じで終わる。

 

感情を取り戻すことで、著者は喜びに包まれると同時に、これまで自分が友人と思っていた人間は実はそうではなかったことを理解してしまい、深い悲しみを知ってしまう。さらに、うつ病の嫁の暗い感情を読み取れてしまうために家にいられなくなってしまうのである。。

 

著者は人並みの感情を持つことが幸せになるために絶対に必要だと思っていたが、同時に不幸な感情も知ってしまい、打ちのめされる。

そして「アルジャーノンに花束を」読んだ著者は、まさしくこれから自分にふりかかる不幸なのではないかと思い悩むのである。

 

ところで、この治療方法は超人をつくる可能性を秘めている。
感情に対する感受性を増やすことも減らすこともできるわけで、その他の能力…知能指数なんかも上下できるようになるかもしれない。さらに何を考えているのかをモニター画面に映し出すことができるようになるかもしれない。
これは倫理的にどこまで許されるのか?

 

いや、そもそもアスペルガー診断された人間の脳をいじくって、思考を変化させること自体は善いことだろうか?

先日にみた「3人のキリスト」のような統合失調症の人間の脳みそを直接いじって、人格そのものを変えてしまうのは許されるのだろうか?

 

なかなか考えさせられる一冊であった。