無理ゲー社会

ブックオフ橘玲「無理ゲー社会」を購入。

これまでの橘玲の著作を踏襲した内容で既視感はあるが、この著者らしい切れ味はさすが。
いつもの通り、タイトルはアレだが中身は至って科学的知見で冷徹。
現代社会を幸福に生きるのはもはや"無理ゲー"である、という内容。

 

「自分らしく生きる」という価値観は、きわめて近代的な世界宗教である、というのが第一章。
要するにヒッピー文化以降なのだが、言い出しっぺの人・創始者の紹介が興味深い。
「自分らしさ」とか個性とか、世界の価値観は左派・リベラルに流れた結果、世界はより複雑に、より残酷になっている。
何故なら、これまでの共同体がなくなり、すべては自己責任となったからである。

 

第2章は、現代社会は知的社会である、ということ。
良くも悪くも知能格差社会である。馬鹿は年収が低い。
ただし、知能はその半分が遺伝であり、親の教育なんかはほぼ無関係である、という遺伝学的事実がある。
「誰でも努力すれば理解できる、成績があがる」「努力をしたものが報われる」というリベラルの浸透により、生まれつきIQが低い者はもはや生きていけない社会となった。
遺伝的に頑張れない・努力できないという人は科学的に半数にもなるが、それは社会的には自己責任となった。

 

第3章は経済格差と恋愛格差
2次大戦以降、経済格差は拡大している。
歴史的事実として、経済格差が狭まる要因は戦争や伝染病で社会的壊滅状態になること。
現代は良くも悪くも平和が続いたために格差が広がっている。コロナはインパクトが少なかった。
恋愛格差はいわずもがな、自由恋愛というリベラルな価値観が進んだために魅力的な人への一極集中が進み、その他大勢の魅力が無い人間は見向きもされないようになってきた。

 

第4章は解決策的な話だが、著者自身が「ユートピア」と述べているぐらいに非現実的な解決策しかないんじゃないか?と示唆している。
超越的ともいえる資産課税がそのひとつ。
個人が所有するすべての物の値段を把握し、その合計額の7%を毎年課税する、という案。
例えば、一本100万円のワインを所有していると毎年7万円の税金がかかるが、飲めばゼロになる。

個人の所有財産を丸裸で検閲できるという、まるで監視社会の行きつく先のような未来でもないかぎりこの資産課税は実現しない。これがユートピアなのかディストピアなのか。

 

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以上がざっくりとした内容。
俺としては橘玲の論が合わないのはプライマリーバランスの話だけではあるが、その点が違うと日本社会の無理ゲーの要因がひとつ変わってくる。
俺は日銀政策が間違ってたと考えてるのだが、橘玲はむしろ緊縮財政派のようだ。

 

まあそれはともかく、相変わらず切れ味はスルドイ。
鋭すぎるがゆえに「自分らしく」なんてのは宗教だよ、という理解がピンとできる人でないとむつかしい。
しかも、読み終えたところで、問題には手の打ちようがない無理ゲーだと感じる。

 

昨日、ひとまわり歳の若い、職業が学校の先生という人と飯を食った。
この本を片手に、教育における遺伝的要因をどこまで配慮しているのか?と聞いたら
「え?勉強の成績と遺伝って関係するんですか?」
と(マジで言ってるの?差別主義者なんですか?)という感じで見られたので、こっちも何も言えなくなる。