で、何だろう…

イタリア語がわかる奴に前から聞きたかった。

イタリアのバンド、アレア(AREA)の1stアルバム、

Arbeit macht frei (自由への叫び)の冒頭、長いセリフがある。


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長年、何を言ってるのかと疑問に思っていた。

 

で、昨日、イタリア語がわかるスペイン人に聞かせてみたら
「これ、アラビア語だと思うよ…」
と言われて疑問が深まる。

んじゃ、後期のアルバムMaledettiの冒頭の長セリフは?


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ふんふん、と聞いてもらった後、

俺が、このバンド、共産党員だったらしくて…と言うと

「ああ!そんな感じ!」

と言われる。どんな感じなんだ?

「イタリアといえば、フランク・××××(忘れた)知ってる?」

え?

いや…俺、"フランク"ってフランク・ザッパかフランク・フルターしか知らんけど。。

 

って話が流れてしまったが、結局、何て言ってるんだろう…。

最近のアレ

■チェーン店で飯食って会計を済ませてたところ、ふとレジ担当の名札を見たら
「天王」と書いてある。
…お名前、テンノウさんですか?と尋ねると、
「ハイ」
と少し照れながら答えた。
う~~ん、多分"天王寺"あたりの天王なんだろうけど、苗字がテンノウってなかなかスゴイ。

 

■駅前を歩いてたら、バス停のベンチに座ってた3年ぐらい風呂入ってなさそうなレゲエのおじさんがタバコを投げ捨てて
「日本はもうダメだ!」と、突然叫んで歩いて行った。

 

■医者と飯を食う機会があった。

コロナのワクチンどうなんですかね?と聞くと

「アレ、熱でるんですよね。。だから皆、翌日が休日の時に打つんですよ」

と言われる。

 

■最近、無職っぽい外人とまた知り合う。
それなりにスペック高そうな気もするんだが、なんか食える仕事が思いつきそうで思いつかない。

 

A氏:アメリカ人 大卒 男性 30代半ば
母国語:英語  日本滞在歴10年程度 昔からの付き合い。
日本語での会話は問題なしだが読み書きは難しい。
運転免許所有
・コミュニケーションスキルが高い。
スマホの修理や独学で電動バイクをつくるなど電子・機械いじりが得意。
・現在、謎の会社で正社員だが何をしてるのかイマイチ不明。
・ドローン撮影を含めてビデオ撮影+編集はプロレベル。
・放浪癖がある。ヨットで数日間航海してしまう。
・仕事を含めて好きなことじゃないと手を付けない。

 

B氏:台湾人 大卒 男性 30代半ば
母国語:中国語 日本滞在歴2年程度 1年ぐらい前からの付き合い
日本語は読み書きスピーチともかなり流暢。
アメリカの大学を卒業したため英語も堪能。
運転免許所有
・歌謡曲やアニメなど昭和の日本が好き。
・釣りが異常に好き。釣りキチ。
・礼儀正しく真面目だが空気を読むのがヘタ。
・寝坊しやすい。
・現在、正社員だが知的労働とはいえない環境。

 

C氏:スペイン人 大学院卒 女性 20代半ば
母国語:スペイン語。 日本滞在歴4年程度 最近知り合う。
イタリア語、英語、カタルーニャ語ができる。
日本語は日常会話レベル。読み書きは難しい。
運転免許は無い。
弓道(!?)が趣味。
・アート、デザイン系に興味があるらしい。
・礼儀正しく真面目。
・日本で子供の世話をする仕事をしていた。

 

以上3名、コイツらで何かできないかと悩んでいる。

 

3人の共通点は
・なぜか日本の田舎が好き。
※東京や大阪に行けばそれなりに職もあると思うのだが、地方のクソ田舎で求人は少ない。

・自分の嫌な事はテコでもしない。
※これは日本人以外の一般的特徴かもしれないが"とりあえず今は嫌でも手に職を"的な考え方がコイツらには無い。

英会話教室的なのは嫌。
※日本に来る外人の底辺の仕事と思っているフシはある。

 

う~~~~ん。
俺として考えるべきなのは

1、労働ビザがとれること。
経営者ビザでもよいが500万円ほど準備金が必要になる。

2、すぐに辞めちゃう可能性がある。
大金をかけて回収に数年かかるよーな仕事はできない。

3、放浪癖があるのでリモートでも仕事ができる方がよい、
しかし、誰もITスキルは無い。

4、収入はひとり300万円程度あれば田舎で暮らせるはず。
つまり、粗利1000万程度の商売。物販はシンドイか?
時期的に飲食もキビシイ。

5、田舎なので対面販売は難しい半面、倉庫なんかの場所はある。

とりあえず、今、思いついたのは

 

☆youtuberの翻訳
動画の翻訳してやるから、翻訳した動画の売り上げ50%クレってのは?
そもそもyoutuberを誰も知らないけど…。

 

☆田舎企業相手の多言語ホームページ作成
今ある日本語だけのホームページを多言語化する。
ただ、あんまり単価高くできない仕事だよなぁ。。

 

☆超ニッチ雑貨の個人輸出入
軽自動車とか、ある程度単価が高いようなヤツの輸出?

アメリカで売ってるベーコン・グッズ専門店…ベーコン・ネクタイ、ベーコン模様のテープ、ベーコン・石鹸(!)とか、俺は面白いと思うんだけど、スゲエ量をさばかないと商売にならないかな。。

 

☆田舎の古民家を購入してツアーガイド・民泊
クソ田舎だと家土地はタダでも改装費に500万ぐらいはかかるだろうな。。
そもそもコロナが収束しないと動けない。

 

☆外人相手の飲食・BAR
まあこれも初期投資がかなりいるしコロナが収まってから。ただ、単に彼らが店員だと就労ビザが下りない可能性大。

松苗あけみの少女まんが道

子供の保護者会的なアレで他愛のない世間話をしてたら
「私、ワクチン2回受けたんですけど、直後に高熱が出たんですよね。。あ、これ言っちゃいけないかも知れませんけど…」
このタイミングからして明らかに医者か看護師だろう。
ま~…なんとも言えねぇ。。

 

 

…ワクチンはともかく、
少女漫画を読んでるオッサンは少ない。


戦後のマンガ黎明期から、マンガは男向けと女向けに分かれていた。
そもそもマンガは子供が読むものなので、男の子向けと女の子向け。
少年ジャンプ、マガジン、サンデーなんかは少年向けだし、りぼん、なかよし、別冊マーガレットなんかは少女向け。
20歳以上の年齢層の高い雑誌も性別は分かれている。
ビックコミックスペリオール漫画ゴラクも男性向けだし、kissとかoffice youとかは女性向けである。

 

ただ、バブル期あたりから、女性も男性向けマンガを読むようになったような気がする。"鋼の錬金術師"とか。最近では女性が男性向け漫画を読むのは普通になってきた。"進撃の巨人"とか。

 

しかし、男性は女性向けマンガをほとんど読まない。
なのでこの話を理解してくれるかどーかは心もとないのだが…。

 

松苗あけみ松苗あけみ 少女まんが道

かつて"ぶ~け"という少女漫画雑誌があった。

かなり分厚い月刊誌で、前半が連載漫画、後半がコミック3巻分ぐらいはあろうかという他紙連載の総集編、という変わった構成だった。

 

そもそも女性は男性よりもマンガを読まない。
さらに、マンガを読むのは基本的に22歳以下が多い。つまり社会人になるとマンガを読まなくなる。
女性の場合は精神年齢が男性より高いので、女子高校生になるとマンガを読まない人も多くなる。

 

"ぶ~け"の読者像としては、マンガ好きの女子高校生向け。
少女漫画は好きだけど小中学生向けの話はちょっとキツイ人向け、みたいな位置づけであった。

 

その"ぶ~け"連載漫画でひときわ異彩を放っていたマンガが
松苗あけみ「純情クレイジー・フルーツ」(純クレ)であった。

 

この純クレの主人公が一重瞼の三白眼というのも異彩であるが、話の内容は多少エキセントリックな女子高校生の日常+トタバタ・ギャグという感じである。
当時、一般的に少女漫画でギャグ要素は少なかった。恋愛ネタは必須であるが、この純クレにおいて恋愛よりも友情+マウントの取り合い+日常あるあるネタ、という感じであった。
今では珍しくはないだろうが、当時はかなり斬新で、大ヒットしたマンガである。

 

その純クレの作者、松苗あけみが漫画家デビューしてから純クレを連載するまで…30年以上前からの物語である。

 

主に登場する実在の漫画家は一条ゆかり内田善美
一条ゆかりは言わずと知れた超一流の大御所。"有閑俱楽部"をはじめ多作かつどれも面白い。一方、内田善美は知る人ぞ知る伝説の漫画家。俺は「草迷宮・草空間」で衝撃を受けたが、作品数も少ないし今では全て入手困難である。

 

松苗あけみ一条ゆかり内田善美を知っている人は読む義務がある…!
最後、"ぶ~け"の作家が松苗あけみから吉野朔美にバトンタッチするのも感慨深い。

人生に意味があるか論 その4

たしか永井均の本だったと思う。
性格が明るい人=根明(ネアカ)は、それだけで人生の目的を達成している。なぜなら、明るく楽しく生きているから。
一方で根暗(ネクラ)は、どうやったら明るく楽しく生きていけるのかを考えなくてはならない。

 

ネアカ・ネクラは性格なのでどうしようもない。
確かに楽観的な人は将来に不安がない。そもそも理屈から考えても将来はわからないんだから考えてもしょうがない、悩むだけ損だ、という頭のいい人はいる。
しかし、俺のようにネクラで悲観的で無能な人間はどうしたらいいのか。

 

中島らもは、クスリで楽しくラリパッパでも理屈は同じじゃないかと主張した。
それはそれで一理あると思う。
しかし、そもそも違法薬物は入手困難だし、高額なので入手し続けるのも無理がある。
結局はピエール滝かキヨハラになってしまうのは容易に想像がつく。

刑事罰でもOKというほどの覚悟はちょっとできない。

 

もうちょっと現実的にネクラな人間はどうしたらいいのかと考えた結果、まずは環境をととのえるのが良い気がする。

まずはカタチから入って、気分をととのえるワケである。
大友克洋「AKIRA」でも、儀式は必要ではないが精神を高めるのには役立つ、と言ってたアレである。

 

そもそも、楽しいと感じる環境とは何か?
食い物とか、住環境とか、睡眠とかもあるが、とりあえずは置いときます。

アドラー心理学なんかだと、人間の楽しい云々はほぼ人間関係で決まる、というのはなんか納得する。
転職の理由でも、多くは職場の人間関係が理由といわれる。

 

んじゃ、その人間関係って?というと、
このブログの"人生に意味があるか論"の冒頭にもどって、人間関係ってそもそも何人から?あたりからの話になる。

 

…そーいうわけで、人類学的に3~7人程度の気の合う仲間でワイワイやる、というのが明るく楽しく生きる環境づくりの第一歩であろうと考えるのである。
その少数の仲間は家族である必要もないし仕事仲間である必要もないが、もちろん家族でも同僚でもよい。

 

ところで、マスロー(マズロー?)の5段階欲求説というのがある。

以下はネットで拾った図。

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食欲とかが満たされて・安全であることが保証されて・仲間に入って、尊敬されて…という欲求が段階的に存在するという説だが、この説、ホントかどうかは別に実証されたわけではない。あくまでも仮説である。

 

俺が思うに、この社会欲求・承認欲求は相反するものだ。

まずはメンバーとして認められたい、その後はリーダーとして認められたいと解釈できるが、支配する側と支配される側と考えると、支配されたい=社会欲求、支配したい=承認欲求となる。

 

俺が思うに、人間、支配されるのも気持ちイイと感じるのではないか。
人間関係の何が疲れて何が楽しいかといえば、自分が相手に合わせて変化することだろう。
その変化が相手の言いなりで従属していると思えば疲れるが、相手を喜ばそうと自分を変えるのは自分も楽しい。

 

マスロー的解釈では自分の心理は変化しない。段階を経て欲求は変化するが、社会欲求と承認欲求に限らず、欲求は混然一体としているように思う。

 

数人のグループでコミュニケーションをしているうちに、自分の心境が変化していくこと自体が楽しい。
これがネクラが楽しく生きるために一つの方法ではなかろうか。

人生に意味があるか論 その3 社会科学

俺の社会学の印象はパオロ・マッツァリーノ反社会学講座」とほぼ同じです。
pmazzarino.web.fc2.com

全部読むのが面倒ならば「第1回 なぜ社会学はだめなのか」だけでOK。

反社会学講座 第1回 なぜ社会学はだめなのか

要するに、
社会学って社会科学って言われるけど科学って何?単なる感想文じゃね?
という疑問は多くの人が感じてると思います。

 

フツーの人が抱く科学の印象って、白衣着て眼鏡かけた人が研究して、なんかスゴイ科学技術を生み出す的な…感じじゃないかと思うんですけど、社会科学系は全然そんなことはありません。

 

んじゃ、科学って何なの?という話になるんですが、
単純に言って、科学とはものごとを説明する方法のひとつです。

 

現実世界で「なんでこんなことになったの?」という説明は、別に神様が登場してもいいんですが、現代では科学的手法で説明した方が皆納得しやすいから科学がエライんだ、というだけです。

んじゃ、その科学的手法って何?といえば2つあります。

 

1、演繹法
とりあえず正しいと決めたルールに基づいて理屈を積み重ねていく方法。
数学なんかはコレです。
利点は理屈として最強。欠点は融通がきかないので現実に対応しにくい。

 

2、帰納法
観察したら、皆そうだから、多分、みんな同じという方法。
観察した白鳥がみんな白かったから白鳥は白い、というのはコレです。
利点としては現実に対応しやすい。欠点は例外が発生しやすいので理屈として弱い。

 

科学ってのは演繹法帰納法か、いずれかです(キッパリ)

 

いや、ちょっと待て。違う説明方法もあるよ、というのが社会学です。

皆が納得いく説明ってならば「解釈」ってのもアリじゃね?というワケです。

 

社会学が流行ったきっかけはマックス・ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」からです。

 通称「プロ倫」。薄いんですけど予備知識がないとやたら難しいです。

 

ともかく、この本をまとめるならば、
 キリスト教の一派プロテスタントって、金持ちが多い気がする。
 ↓
 なぜなら、プロテスタントの教義って"仕事しろ。無駄遣いするな"だから金持ちになるでしょ?
という内容です(キッパリ)

 

…なんでこの内容がそこまで衝撃的なのか?といえば、なんか皆、その説明で納得しちゃったからです。

 

別に演繹的でもないし帰納的でもない。客観的なのか微妙な「解釈」で、皆が納得せざるを得ないというパワーがあったわけです。
そこから有象無象の社会学爆誕していくことになります。

 

「でもさ、やっぱ科学っていえば数学、物理学や化学とかじゃね?」

という感想は正しいと思います。

 

世界大戦において、化学による毒ガス、物理学におけるレーダー開発や核開発の圧倒的威力は社会学とかどーでもいいレベルですし、今のコンピュータなんかも同じです。

 

科学というのは単なる"説明"なのですが、物理・化学の場合、100%再現ができるという性質があります。科学的な手順であれば誰がつくっても爆弾は爆発するし、毒ガスはつくれるのです。これ自体が強大な社会的影響力を持つので、人文分野などカスみたいなもんと言われても仕方ないでしょう。


結果、社会学って単なる感想文か読物じゃね?と蔑まれるようなったワケです。

人生に意味があるか論 その2

大人でないと面白さがわからないマンガは、ある。
いましろたかし「釣れんボーイ」

釣れんボーイ 上 (ビームコミックス)
 

 学生風情にこの驚異的な面白さがわかってたまるか…!と叫びだしそうになる。
(続編の「新釣れんボーイ」はイマイチだけどさ・・)

 

先日読んだ、まんしゅうきつこ「湯遊ワンダーランド」 

 俺ぁ震えるほど面白いのだが、コレが面白いと思える条件…というか読者のストライクゾーンが狭すぎる気もする。

G監督も某Hにとっても微妙な気がするんだよね…俺だけ…俺だけが面白いんだ!


…ま、「湯遊ワンダーランド」はともかく、

 

 

ここまで人類=ホモサピエンスが発展した原因は脳が大きいからだ、という説がある。
しかし、ネアンデルタール人の方がホモサピエンスよりも体重あたりの脳は大きい。

 

一昔前はネアンデルタール人ホモサピエンスの暴力で滅んだという弱肉強食説が有力だったが、お互いが争ったという証拠はまれにしかないこと、ホモサピエンスのDNAにはネアンデルタール人が混ざっていること、あたりからちょっと違うんじゃない?という感じである。

 

最近、ホモサピエンスの能力として"共感できる"説が出てきた。
現在の文明、産業なんかは数百、数万人単位の共同作業で成り立っているが、コレがホモサピエンス特有じゃないか説である。

 

しかし、それも単に仮設である。
その共感説が正しいとしたら、なんでホモサピエンス出現当初からの文明らしいものが無いの?という疑問が残るし、そもそもネアンデルタール人他の原人たちにその能力がなかったという証拠もない。
俺としては今西錦司、今西進化論がなんとなく好きなんだけど、正しいかどうかは知らん。

 

そのホモサピエンス特有じゃないかという"共感"を、概念から具象化させたのは宗教であろう。

おそらく一神教よりもアニミズム多神教が先ではないかとは言われるが、その一神教古代エジプトからあったらしい。


古代エジプトは当初、多神教であったが、王朝の最後のほうに太陽神を唯一神とする一神教が誕生したとの話がある。

なぜ一神教が出現するのかという疑問に、ユヴァル・ノア・ハラリは"農業をはじめたから"と答えている。


狩猟は土地の面積に対して獲物の数は決まっている。狩人たちの規模が小さくないと、すべての獲物を狩ってしまうので、ある程度の規模以上は大きくなれない。


一方、農業は大規模であればあるほど効率が良くなる。大規模農業には治水など大規模な土木工事が伴うので、人数は多い方がよい。このとき、多くの人間をひとつの目的でまとめ上げるには多神教よりも一神教の方が便利だ、という説である。
これはなんか説得力がある気がする。

 

つまり現在のキリスト教なんかは、農業に限らず大人数で目的を達成するための方便として使い勝手が良い、ということである。


そんな一神教は性質上、世界全体を覆いつくそうとする。信者の人数は無限に多い方がよい、善である、となってしまう。

 

一方、原始仏教の"悟り"というのはひとりである。あくまでも自ら真理を求める者だけ=出家した人だけが仏の教えを求めた。

人間の究極的な幸福については今のところ、原始仏教的真理…んなもん気のせいだよ説が、俺にとって一番説得力があるのだが、ちょっと頭が良すぎる、というか、そこまで普段の生活で冷徹になりきれない。孤独は寂しいんですよ。

 

ひとつ前のブログで、人類としては同世代あたり3~7人程度でキャッキャ・ウフフするのが自然じゃないか説を俺は唱えたワケだが、キリスト教なんかの一神教は大人数相手だし、原始仏教はひとりだ。


その3~7人程度としての集団の思想というか思考様式というのがすぐ思いつかない。

 

吉本隆明は3人以上の集団による政治的権力構造なんかを書いてた気もするが、基本的には敵・味方概念の政治の話なのでちょっと違う。

(そもそも吉本隆明の日本語がよくわからないし)

一昔前の"リゾーム"地下茎なんかの概念(リゾーム概念については現代哲学解説本よりも攻殻機動隊Solid State Societyを見た方がわかりやすい)は近い気もするがちょっとイメージと異なる。

 

最近、橘玲「幸福の資本論」を読んでて、その3~7人程度の仲間と、そのメンバーを取り囲む巨大な経済的つながりのイメージでハタと思ったのだが、一番近いのはホロンである。

torisoba-bekunai.hatenablog.com

 ただしホロンの場合は階層(ヒエラルキー)がある程度キッチリわかれてる感じがあるんだけども、俺がイメージするのは平面的に各メンバーは緩やかに連結しつつ、同時に各メンバーにはそれぞれに経済的連鎖が下部構造として存在するというイメージである。

 

…と、そこらへんのうまく説明できるような概念は社会学的な話になるんだけども、この社会学ってのが(たぶん次回に続く)

人生に意味はあるか論

きかんしゃトーマスをみてると、機関車たちは皆"役に立つ"ことを至上命題としている。


誰の役に立ってるのかといえば、鉄道経営者トップハムハット卿の役に立つことであり、トップハムハット卿は駅の利用客の役に立つことが存在意義である。


トーマスたちは、究極的には駅の利用客の役に立つこと=人生(?)の意味である。

え?そりゃ…トーマスはまあ機関車だし…

 

フランクル『夜と霧』に、ナチス強制収容所であと数日、数時間で殺される人の人生に意味はあるのか?という場面が出てくる。
もうすぐ処刑されるという人は、自分の人生に意味は無いのではないか?と著者に問う。著者は、身近な人間に祈りを捧げよと呼びかける。

ただ、処刑される人はすでに家族も友人も皆いないという。

それでは、直前に収容所で見かけた少女の幸せを祈れとすすめる。

あなたの人生は、その見ず知らずの少女の幸福を祈ることに意味がある、というのだ。

 

感動的である。

感動的であるのだが、同時に違和感はある。
"人生には意味があるべき"という思考は実にキリスト教らしいからである。

 

神が人間をつくったのであれば、無意味につくることはないだろう。神には何らかの意思があるはずだ。ただし、その意思は人間の理解を超えたものである。

…という解釈は、生まれたこと自体に何らかの意味があるという解釈になり、そこから、なぜ神様はその意味を教えてくれないのか?という遠藤周作っぽい思考になりうるのはわかる。

 

俺としては、人生に意味がある"べき"という機能的思考よりも、先に人間としての構造的本能があるとしたほうが納得がいく。
つまり、人間=ホモサピエンスは群れで生活する動物であり、食欲や性欲と同じく群れたいという欲求がある。


その群れは人類学的には20~30人ぐらいらしい。仮に2人の両親から子供が6人程度としてひと家族8人前後、そう考えると群れのなかでの家族は2~4家族程度。

 

それを現代として考えると、群れの中で意思疎通ができる同年代の人数は、2~4家族の親として…つまり自分を除いて3~7人ぐらいであろう。

 

その5人前後の気の合う群れ=仲間どうしでの意思疎通こそが"人生の意味"ではなかろうかと最近考えるのである。

 

※その5人ぐらいの仲間は、さらに別の仲間に属することもできる。

ただし、それもある程度限度がある。人間1人が仲間と感じるのが5人前後なので最大5グループ程度ということになるが、完全にバラバラのメンバーがある一人を介して群れることの方が珍しいはず。

 

昔は仲間同士が近くにいないとコミュニケーションがとれないし、狩りも収穫もできない。
ただし現代であれば仲間同士物理的に近くにいる必要性は無い。
無論、仕事仲間というのは最も同じ時間を過ごすメンバーになりうるので仕事=会社=人生の意味になりやすい。

 

しかし、仕事=金銭面においては別のグループを形成して、そのメンバー間の生活基盤を共にしない方が直接的な利害関係が無い分だけ精神的に気楽につながりやすいようにも思う。

 

その5人前後の仲間同士で何をするのか?何をすれば人生の意味を感じるのか?
というのは重要な気がして、要するに仲間同士で共通の経験をして、記憶を共有することである。