木下サーカス四代記

山岡淳一郎「木下サーカス四代記 年間120万人を魅了する百年企業の光芒」読む。

 幼い頃、悪さをすると親から「サーカスに売られるよ!」と脅された記憶がある。サーカスが何なのか幼少期にはわからなかったが、なんか怒られてるのは理解していた。その記憶もあってか、幼少期からサーカスには何か後ろめたい、暗い印象があった。

 

そんな俺はサーカスを一度だけ見に行ったことがある。しかも結構最近。地元の空き地にサーカスのテントを設営してるんだなぁ、と思ってたら、知り合いが前売り券を買わないかと持ち掛けてきた。その前売り券というのも、サーカスの団員が地元の散髪屋に散髪をしにきて、配っていったという。それは木下サーカスじゃなくてもっと規模の小さいトコだった。

 

「映画とはサーカスである」という有名なセリフがある。言ったのはゴダールだったっけ?トリュフォーだったっけか?全然興味はなかったが、まあ一度、映画好きとしては見ておかねばと、自分と、友人の家族分のチケットを買った。

 

で、予想に反してと言うと悪いが、かなり感動した。一緒に行った家族連れも皆面白かったと言ってた。
こじんまりとしたサーカスであったが、目の前でギシギシと縄がこすれる音を立てながら空中でぶら下がって演技をしている姿は迫力があるし、火吹き男なんかの炎は、かなり離れていても熱い。団員のほとんどが外国人、しかもテントの隙間から団員の子供と思われる外人の子供がウロチョロしていた。
演技者は皆汗だくで、最後まで満面の笑顔だった。そのプロ根性に俺はなんか感動したのである。

 

という俺の体験はともかく、日本で一番デカいサーカス、木下大サーカスの本「木下サーカス四代記」を、某Hが送ってきてくれた。ありがとう。

 

木下大サーカスは、今もある。

www.kinoshita-circus.co.jp

コロナで大変だろうけど。

 

本書の前半は、切った張ったのヤクザの話である。サーカスを含めて"興行を打つ"というのはヤクザの仕事である。

 

美空ひばりの興行はヤクザの山口組だったことは知られている。

ともかく興行を打つには地元の顔役に挨拶をして、場所をとって、小屋を建てて、チケットを売って、周りに屋台なんかを連ねて…というのは大昔からヤクザの仕事だった。

 

本書では木下サーカス香具師(ヤシ)・テキヤであってヤクザではないと書いてはあるが、江戸時代はともかく近代においてはほぼ一緒だと言っていいんじゃないだろうか。

 

本書でも木下サーカスの創業者の弟が地元ヤクザに殺されて、そのヤクザが刑務所から出所してきたところを左腕一本切り落とせばチャラにしてやろう、という場面がでてくる。これでヤクザじゃないんだよと言われてもねぇ…コワイコワイ。

その殺された弟は護身用に拳銃を持ってて云々という話も書いてあるんだけど、おおやけにできる話レベルが本書で、実は…というのは俺の裏読みしすぎだろうか。。

 

さらにヤクザの世界、政治も絡めてウヨクの怖いヤクザ連中とどう付き合ってきたか、当時の原敬内閣も含めた記述もでてくるものの、ちょっと説明が足らない気がする。

 

実はというか、そもそもヤクザ=博徒(バクト)と呼ばれる連中が政治参加、それも日本の民主主義の歴史において当初から自由民権活動をしていたことは事実である。
谷川昇博徒と自由民権」なんかにその様子が描かれている。

江戸から明治になり、無職になったサムライとかヤクザ連中が徒党を組んで議員を送り出そうとする運動があった。

日本の自由民権運動は誕生当初からヤクザによっても積極的に行われたのである。

 

ただ、ヤクザだけに対抗する候補者のところに行って糞尿をぶちまけるとか、運動資金のために強盗するとか、かなり滅茶苦茶な事件もあった。
例えば、名古屋事件という名前で知られる強盗事件では、運動資金のために偽札を作ろうとして、その偽札づくりの資金のために51件もの連続強盗をするという滅茶苦茶ぶりであった。しかも実行犯の多くは何のために強盗をしたのかわからない始末であった。

 

ま~…そこらへんを知ってか知らずか、著者の説明による木下サーカスはヤクザじゃないよ、ヤクザはウヨクだよ、ウヨクは悪だよ、だから木下ファミリーは善だよ、という図式は、ちょっと無理がないかね…?

 

この本の252ページ"三代目を襲名した木下光宜"の写真があるが、神道の祭壇?っぽい部屋をバックに、紋付き袴で盃を持っている"社長"が三代目を襲名って、そりゃどっから見てもウヨク・ヤクザの襲名披露でしょ?コレ…。

 

俺は別に昔のサーカスはヤクザだった、という話でもいいと思うんだけど、えーっと、ポリティカルコレクトネスだったっけ?こんなご時世で、ヤクザの渡世であったとは描けない事情もわかるといえばわかる。

 

ちなみに本書で美空ひばりアメリカ公演にいった話があるが、確かこの時、美空ひばりアメリカ側の公演を担当したのが最近死んだジャニーズの創業者、ジャニー喜多川であったはずだ。

 

やがて日本の高度成長期において、新聞拡張のチケット、各地で開催された万博にくっついて事業展開していくさまが描かれる。
そこらへんは、ナルホド、こりゃ~先見の明と地道な努力で大変だよな、とは思う。

 

一昔前までは新聞が最大の広告機関で、次にテレビであった。
今はどうなんだろう?正直、中年の俺ですらほぼテレビの地上波を見なくなった。

いや、正確に言うとyoutubeで昔のタモリ倶楽部を見てるけど…。

 

興行って大変だよな…映画とかでも劇場なんかよりネットフリックスなんかで公開するのも増えてきてるし、実際に人を一か所に集める、というのはますます困難な時代であろう。

 

外国人含めてプライドの高い職人を集め、輸出入が厳しくなった絶滅危惧種を集めて芸をさせ、日本を転々と移動するという企業…とは、考えてみると実にスゴイ。この本を読んで木下大サーカスを見たくなった。いやホント。

 

そーいや、東京オリンピック、やるんですかね?
スポーツ評論家(?)の玉木正之は、オリンピックはもはや金権体質で、金もうけのためにやらざるを得ないんだ、と語っていた。これ以上延期すると企業のスポンサー契約が切れてしまう。そーするとこのコロナ不況で航空会社とか追加で何億も払ってスポンサーになるのかといえば難しいだろう。そー考えるとIOCとしては、絶対にやる!と言い張らないとスポンサー企業が逃げてしまうんだよ、と解説していたのは説得力がある。


それに今回、選手に対するワクチンをIOCが費用負担すると言っているが、それはオリンピック精神に反するんじゃね?と疑問を呈している。オリンピック選手にワクチンうつなら、優先的に途上国にまわすのがオリンピック精神なんじゃねーの?という指摘も確かにそー思う。

 

まあ、俺としてはもともとオリンピック自体反対だし、東京で開催しても全然関係ないレベルの田舎で住んでるので、どーでもいいんだけどさ。。

乾と巽 ザバイカル戦記

俺はあんまり安彦良和のマンガを読んでない。記憶にあるのは「アリオン」「クルドの星」「虹色のトロツキー」ぐらい。
アニメ監督として「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」これ、面白かった。

 

今回、某Hから送ってもらった「乾と巽 ザバイカル戦記」は、大正時代のシベリア出兵の話からはじまる。某Hありがとう。

 俺は第二次世界大戦ならまだしも第一次世界大戦前後の歴史は非常に疎い。日本軍がロシア兵と一緒にロシア内戦を戦ったというのは全く知らなかった。

 

なので、本書を読み始めてから状況を理解するのにかなり時間がかかった。無知だとマンガも読めねぇ…。
俺は恥ずかしながらザバイカル共和国を知らなかった。

 

著者は安彦良和ポーズともいわれる独特のポーズを含めて独特の絵柄はマンガというより一枚のイラストとしてのチカラが強い。「アリオン」なんかはほとんどイラスト集に近いようなマンガにも思える。いわゆるマンガというよりも洋物のグラフィック・ノベルっぽい雰囲気がある。

 

で、安彦良和の漫画はキャラクター中心ではなく物語中心…というか、実際の歴史の場合は実在の人物を登場させて状況を説明しつつ描き、その歴史の大きな流れに翻弄される若者を描く。

 

実在した人物が多数登場するマンガといえば最近では「ゴールデン・カムイ」が面白い。このマンガは実在した特異な日本人たちが時空を超えて集結しアイヌと異文化交流する、という内容でキャラクター重視のマンガといえる。

 

一方、安彦良和の漫画は物語重視である。そもそも歴史漫画は史実に沿ってなければならず、安彦はそのリーダーを描かない。そのときの主人公を含む民衆たちがどのような日々を過ごしたかをドラマ化して描いている。
架空の話、SFアニメの「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」ですら、ジオンvs地球連邦との戦争で翻弄される若者たちを描いているし、そもそも昔のガンダムの前日譚であるため、登場人物の運命はあらかじめ決められている。
そーいう意味で「ガンダム・オリジン」は安彦良和の得意技に持ち込んだガンダム話だったのかも知れない。
(いや、そーいや著者のマンガでキリストの「イエス」とか「ジャンヌ」とかあった。。俺、読んでない。。)

 

んでもって「虹色のトロツキー」も「乾と巽」も、主人公の政治状況を説明するために実在した人物…政治家とか軍人とか革命家とか、登場上人物がやたら多いし、セリフもすっごく多い。前もって知らないと、これ…誰?何の話?ボルシェビキって何?となる。できればざっとロシア革命あたりの知識があった方が楽しめるとは思うが、まあ知らなくても、今はこういう状況なんだな、程度の理解で読み進めるべきであろう。

 

んでもって、本書においてはロシア内戦、共産主義によるロシア革命についての説明はほとんど無い。なので、なんでチェコが重要なのか、日本含めてアメリカ・イギリス・フランス、さらにはロシア人がロシア人を殺害するのか、モー少し説明は欲しいところではあるが、ほとんど説明マンガになってしまう気もするので、そこらへん読者の知性に委ねられた感じはある。

 

と、まぁ…「乾と巽」はわかりやすい漫画ではない。コレ、ガンダムの人のマンガだ!わ~い!という人向けではない。シベリア出兵マンガだ!面白そうだ!という人向け、いきなり大杉栄が登場してニッコリするような読者向け、というニッチなマンガと言っていい。正直、話はわかりにくい。まあ、「虹色のトロツキー」も、トロツキーのマンガ!?という人向けのような気もするし。。

 

安彦の主人公は政治力はない一般民衆、下級の軍人である。
ガンダムの主人公も、戦局のキーマンとはなっても戦争自体を左右する存在とはならない。
「乾と巽」の2人の主人公、乾は砲兵のリーダー(軍曹)、巽は新聞記者である。砲兵が主人公ってのもマンガではめずらしい。
砲兵のマンガ…って、アニメ化もされた「ヨルムンガンド」の元砲兵マオがフレシェット弾で砲撃する場面ぐらいしか今は思いつかん。。

 

果たして圧倒的なカリスマとは一体何であろうか。「虹色のトロツキー」におけるカリスマ、トロツキーや「乾と巽」におけるレーニンは、一種の謎として描かれている。ここらへんも含めて、著者がちょうど団塊の世代学生運動に加わっていたときの体験・心境であろうことが容易に想像がつく。学生運動に参加していた一人として、左翼活動への憧れと疑問、そして無力さを感じていたであろうことが読み取れる。

 

主人公らはその時々のリーダーたりえない。理念を追い求める主人公たちが現実を知る、という漫画であり、劇的なカタルシスは無い。
実に渋い、ゲキシブのマンガである。阿Q正伝的シブさがある。

 

ただ、少々気になったのは「支那」「中国」表記である。
このマンガではchinaを「支那」「中国」両方で呼んでおり、「中国」の蔑称を「支那」のように描いているが、それは間違いである。当時の日本人…というか、日本人を含めて全世界的にchinaはシナと呼んだ。シナは蔑称ではない。蔑称は他にある。
著者は知っているハズだが、編集部あたりで差し替えを依頼されたのかも知れない。

 

ちなみに、現代にそのシナの蔑称を映画で使用しているのはシナ人監督によるシナ映画の傑作「鬼が来た!」である。日本兵が当時のシナの蔑称を用いてシナ人を差別している様子が描かれる。

movie.walkerplus.com

サヨク・知識人・良識派だという人に限ってシナは差別だといい、アホのウヨクはそもそもシナの蔑称を知らない。


英語でもフランス語でも秦の始皇帝の"秦"を語源とするシナ、シン(china,chine)を使う。このマンガはロシアが舞台なので、ロシア人はキタイ(契丹)と呼ぶ。
インドシナ半島とか東シナ海とかのシナはchinaの意味だが差別ではない。

 

chinaはチュウゴク"chugoku"である、という主張を日本以外にしていないのは当たり前で、chugokuというのは中央の国、世界の中心の国="Central country"の意味である。日本以外は相手にしないだろう。


中国という表記は日本書紀にもある。中国=中央の国、といえば自国を意味する。つまり日本書紀の中国とは日本の意味である。戦前まで日本において中国といえば中国地方であった。今でも中国銀行岡山県の銀行である。

 

ちなみに、このブログは某Hに気を使ってchinaを"中国"と表記している。

惑わない星

石川雅之「惑わない星」4巻まで読む。

惑わない星(1) (モーニングコミックス)

惑わない星(1) (モーニングコミックス)

 

 俺としては、この著者は「もやしもん」以来、あんまり読む気がしなかったんだけども、ブックオフでふと「惑わない星」4巻をパラパラと立ち読みしたら、光は波か粒子か?を問う実験(二重スリット実験)のマンガになってたので、一気に1~4巻を購入。

 

1巻を読んですぐわかったのは、これは惑星を萌え擬人化したマンガだった。
う~ん…俺は萌えマンガって興味ないけど…まあ、しかし石川雅之の話はウマイので苦も無くは読めた。

 

大まかな話としては、惑星を科学的というか物理学的に説明するマンガ。

 

まずは、冥王星が惑星という地位?から外されて準惑星となってイジけている、という物語になっているが、なぜ準惑星になったのかを詳しく説明はしてない。

そこは
マイク・ブラウン「冥王星を殺したのは私です」を読むと面白い。

冥王星を殺したのは私です

冥王星を殺したのは私です

 

要するに、太陽の周囲を回る星=惑星候補が次々に見つかってきて収集がつかなくなってきたのが原因である。

昔から知られている冥王星が惑星か否か?は議論が分かれ、準惑星と決定されるまでは結構スリリングで、単に科学的・天文学的な話だけでもなく興味深い本である。

 

で、「惑わない星」は、重力とは何か、光とは何か…直感的には不思議としか思えない物理学を説明するマンガでもある。

それなら、あさりよしとおまんがサイエンス」シリーズの方が

まんがサイエンス 1

まんがサイエンス 1

 

 優れている…とか言ってしまうと終わってしまうんだけども、「惑わない星」はマンガ的物語が差し込まれているので、マンガ的物語の面白さと、物理学の不思議で興味深い説明とを行き来するのがこのマンガの楽しみ方なんだろうとは思う。

キリン解剖記

どれだけの時間、キリンについて考えたことがあるだろうか?

 

子供の頃、動物園でキリンだ~と喜んで見た記憶があるような…気もするが、1分も見てなかった気もする。
某Hから頂戴したこの本、キリンについて2時間ぐらい考えさせられた。

 

著者はキリンが好きで、キリン学者になり、キリンの首で新発見をした。
郡司芽久「キリン解剖記」

キリン解剖記

キリン解剖記

 

キリンの首はどーして長いのか?という単純な疑問から、キリンの解剖を行い、やがて胸の骨だと思われていた骨が、実は首となって動くという発見をするまでを描いたエッセイ本。さらに首って一体どこからどこまで?と問い直すのも面白い。

 

 文章としては高校生以下でも読めるよーに書いてくれてるのだが、いざ解剖の専門的な話になってくると途端に難しくなる。骨の図と、頸椎の何番目のアレがどーなって…という解説はあるが、どれがどーなってるのかよくわからん。。
そもそも「椎骨」という読み方を知らなかった。「ついこつ」って読む。へぇ~。

 

ゾウやオカピなど、死んだ動物の解剖についての苦労話なんかも面白いが、結構生々しくて、血の匂いが漂ってきそうな本ではある。

 

キリン好きにはたまらない…のか?よくわからないが、キリンの一部?について詳しくなれる本ではある。俺もキリンの角5本説を信じていたが、解剖学的には角は3本だという。へぇ~。

 

俺が興味深かったのは、鳥類の化石はなぜ首が反り返っているのか、という説明である。キリンの首は、その巨大な首を支えるために強力なゴムのような筋が通っていて、立ち上がっても首がまっすぐになるように支えている。しかし、死んでしまって地面に横たわると、その強力な筋のチカラで首が反り返ってしまうのだ、という。
これが鳥類でも同じで、化石で首が反り返っている原因だというのがすごく納得した。

 

さらに最後、一番興味深いのは博物館の3つの理念「無目的」「無制限」「無計画」というのは感心した。確かに50年後、100年後に何が重要視されるかはまったくわからない。だったら今は可能限り収集しておくのだ、というのは妙に納得した。

 

キリンと関係ないけど、ふと思い出したのだが、チョウチンアンコウのオスは、メスに比べて超小さい。さらにメスの体にオスがくっついて、やがて一体化してしまう。メスの血液から養分をもらう体になるのである。しかも、1体のメスに何体ものオスが融合しているのもあるという。

そこで疑問になるのが、免疫である。


人間を含め、動物には免疫が存在する。あらゆる病気から体を守ると同時に、自己と他人…母親と体内の赤ん坊ですら免疫機能的に自己と非自己を隔ていて、もし体液なんかが混ざると死に至る場合もあるのが普通である。

 

一体、チョウチンアンコウはどうしてメスとオスが一体化できるのか?といえば、実は「免疫を捨てる」からだという説が出てきた。果して免疫を失くすことでどーやって病気なんかから身を守るのか?もしかしたらまったく新しい免疫機能があるのか?というのが興味深いと思うんですけど、どーでしょうかね。

ファントム・スレッド

ファントム・スレッド」見る。

映画『ファントム・スレッド』オフィシャルサイト

ネットフリックスでザッピングしてたら、PTA(ポール・トーマス・アンダーソン)監督の映画を見つけた。PTA監督作品にハズレは無い。

 

俺はホントに大昔の映画かと勘違いした。若い頃からPTA監督はホント天才だな!これはデビュー作なのか?とか思ってたら、2018年の最近の映画だった。


この画面のデジタルじゃないフィルムっぽ感じ…と思ったら、ホントにフィルム撮影らしい。

 

予告編は見ない方がいいかも。
正直、映画として完璧。
俺が勝手に"古き良きヨーロッパ映画"って抱く感じ。

 

衣装で賞を取ったらしいけど、物語も、演出も、照明も、音楽もすべてが完璧。
さらに、この緊張感…PTA映画全般に言える、全編にわたる緊張感は独特。
おそらく現時点で最も完成度が高い映画だと俺は断言したい。

…あえて言うなら、主人公の運転するクルマのスピードが速すぎる気がする…なんでだろう?
 G監督はどーですかね?

 

しかし、見てて疲れる。。
大々的には売れない、皆が見ない…というのもわかる。

純文学的な感じで、エンターテイメントとして万人向けとは言えない気もする。 

 

ネットフリックス同時上映(?)で「ナイブズ・アウト」見る。


ダニエル・クレイグ&クリス・エヴァンスら出演!映画『ナイブズ・アウト(原題) / Knives Out』海外版予告編


先の「ファントム・スレッド」と比べると、B級感は否めない。半分コメディだし。


「ナイブズ・アウト」は有名人も多数出演してるし、多分カネは「ファントム・スレッド」よりかかってるような気もするし、脚本は複雑でどんでん返しアリで、カットが多くて、なんというかMTVっぽい音楽と映像のいかにも現代風な感じ…気楽に見れるのは間違いない。

 

う~ん、売れる映画は「ナイブズ・アウト」だろうとは思う。
が、10年後に残るのは「ファントム・スレッド」だろうとは思う。

某Hに業務連絡

蜂蜜、パン、ありがとう。
うまい。

パン、なんかすっごく甘い。

 

蜂蜜は上澄みの透明部分はクセがないけど、8割がた底にたまってる白いオリ(?)の部分は少し酸っぱいような…なんだろう…ってな感じの風味、シロップじゃない本物の蜂蜜を久しぶりに食べました。

 

本はまた読んだら感想アップさせていただきます。ハイ。

 

あと、よくわかんない謎の缶切り?は明日、使ってみます。

地名の研究

南アルプス市」と聞くたび、すごく恥ずかしい。

 

南アルプス市山梨県に実在する。一昔前には名古屋の近くで「南セントレア市」と、これまた恥ずかしい地名になりそうな騒動があった。ここまで西欧コンプレックス丸出しで恥ずかしくないのだろうか?もし自分の住所が南セントレア市になったら引っ越ししたいレベル。

 

ま~しかし、そもそも日本の地名はどーやって決まったのか?と問われると、実は結構むつかしい。
なんで「久保」とか「傍示」って言うの?どういう意味?と問われると、答えられる日本人はまずいない。

 

俺も外人から「なんで日本の地名には"島"が多いの?鹿島とか福島とか。島ってアイランド(island)って意味でしょ?全然違くね?」と問われて、言われてみて確かにそーだと、はじめて不思議に思った。
専門と思われる某Hにたずねたら、「川とかに囲まれた地形だからじゃね?」というお答えに、確かにそーかとは思った。

 

そこで、気になっていた日本の地名についての研究本を読んでみた。
柳田国男「地名の研究」

地名の研究 (中公クラシックス)

地名の研究 (中公クラシックス)

  • 作者:柳田 国男
  • 発売日: 2017/04/06
  • メディア: 単行本
 
 

 この本は大正から昭和初期に書かれた柳田国男による地名解釈の論文集である。

 

興味深いのは、
まずは発音が先で、文字が後。


この場所をどう呼ぶか?という問題は、原住民だけなら文字にする必要はない。ここ、あそこ、だけで通じるならそれで終わり。それが段々と人間が増えてきて、場所ごとに区別して呼ばないと混乱するようになってはじめて固有の地名が必要となってくる。

 

次に、その地名を文字して書面に記録する必要がでてきた際、ほとんどが当て字となったようである。
漢字の意味とは無関係に音だけで漢字表記をしたため、後世ではむしろ漢字の意味を読み取ろうとする人が多くなって混乱することになった。
柳田国男いわく、その当て字は奈良時代!あたりからすでにはじまっているというので、1200年以上前である。

 

例えば"クキ"は薪なんかの燃料採取地を示す意味だという。久喜、久木、釘なんかの文字をあてる。クヌギの意味だという説もあるが、そもそも"ク"は薪とか柴を指す言葉で、"キ"も同じだという。

 

川に沿った平地、船着き場あたりの平地ことを"アクト"あるいは"アクタ"というのは、一般的な名詞であったらしい。このとき、アクタ・アクツ=悪田、悪戸、安久田、芥、阿久津という文字表記になった。
芥、阿久津はいいけど、"悪"の文字は嫌だ、というのはわかる。悪田なんかだと、田んぼにならない悪い土地のように思えるが、まったく関係ないようだ。

ここらへん、後の市町村合併なんかで消えたり改名されたりする原因という理由もわかる。


軽井沢の語源についてなんかは、いかにも柳田国男らしい博覧強記ぶりがうかがえる。
軽井沢という地名の隣には田代という地名がある場所が全国にいくつかあるという。本書では具体例で5か所の記載がある。軽井沢の語源はカルフ・カルヒだろうとする。カルフ・カルヒは、荷物を背負う者=軽子(カルコ)の意味で、田代は水田あるいは耕作地を意味し、険しい山の中を分け入って耕作地にたどり着くという地名だとする。

 

下ネタの地名もある。

フト・フツト・フット・フド・ホド(富戸・発戸・風戸・払戸・富士・布土)…これらは男女の陰陽、陰部、またぐらの意味。クボは地形上よりみればホドと類似している。(略)
クボは全国にある地名で、東京にも大久保、西窪なんかがある。無意識の滑稽といわねばならぬ。

わっはっは。大久保、西窪に住んでる人にとってみれば余計なお世話だとは思うが、大久保は確かフランス語発音でも下ネタの意味だと唐沢俊一が書いてた気がする。

実際、大久保は、まあ、そーいう土地柄な気もするが…。

 

んでもって、

角川の文庫本、猪木正道「新版・増補・共産主義の系譜」

昭和59年改版初版、平成30年新版初版の226ページ

第5章 トロツキートロツキズム 【3 久革命論】

って書いてあるけど、これ、久革命論の誤字だ…!永が氷になってる!

 

なんか、こーいうクソ真面目な本で誤字を見つけると嬉しいので、さっそく角川に電話して、誤字ッスよ!と伝えてみた。今後、この本で第5章3の見出しが「永久革命論」になおってたら、俺のせいだよぉ!