はじめての言語ゲーム

橋爪大三郎「はじめての言語ゲーム」読む。

ゲーム、と聞けば、普通はスマホやトランプ、あるいはスポーツなんかの遊び=ゲームを思い浮かべる。

次に数学の"ゲーム理論"を思い浮かべる。

このゲーム理論については狂気の天才数学者ナッシュを描いた映画「ビューティフル・マインド」なんかで有名かと思う。ちなみにドーキンス利己的な遺伝子」は遺伝という生物学的特性を数学のゲーム理論で読み解いた本で、今ではゲーム理論は多種多様な分野に応用されてる。

 

で、あとひとつが哲学分野で、ウィトゲンシュタインの"言語ゲーム"である。
俺ぁこの言語ゲームを正面切って?調べてこなかったのが気がかりだった。

 

ず~っと昔、システム論について調べたとき、チラっと脳裏をかすめた程度で、言語ゲームとシステム論がどう結びつくのか?までは考えてなかったが、今回、本書は入門書の…さらに前段階レベルだけどもなんとなく目星がついた気がする。

 

で、本書の内容はとゆーと、第一章はウィトゲンシュタインの生涯をざっと紹介している。
かなりの金持ちのボンボンに生まれたが近親者に自殺者が多い。
さらに第1次世界大戦と重なって自分も兵役につき、まわりがどんどん死んでいく。
さらにユダヤ人だったことからナチスに追われる身となり、何重にも歴史の荒波にもまれた人生だったようだ。

 

で、突然、次の章では数学の自然数有理数・実数の話になる。
 自然数とは、1,2,3,4…と、フツーに1つずつ数える数で、無限にある。
 有理数とは、分数で表現できる数の全てで、無限にある。
 実数とは、分数や小数点も含めた数の全てで、無限にある。
さて、自然数と実数とどっちが多い?
と言われたら、いやいやどっちも無限だから、答えは同じぐらい無限でいいんじゃね?と思う気もするが、ゼロと1のあいだにも無限に小数点がある実数の方が多くね?と言われたら、そんな気もする。


では、無限にある自然数と無限にある実数のどっちが多いのか証明してください、という問いに、カントール対角線論法の話が出てくる。

 

…え…講談社現代新書のレベルでそんな…新書なんてインテリにあこがれる馬鹿しか読まない本だと思ってたのに…まさか大学レベルの数学の話かよ。。しかも新書の1ページ程度でサクッと証明の説明が終わってて、なんのこっちゃ全然わかんねぇよ。。

 

あ、でもコレ、マンガで読んだのを思い出した。絹田村子「数学であそぼ」にカントールの話があった。で、読み返した見たら肝心の部分の前で説明が終わってた。

結局、その本書の1ページ分、カントール対角線論法をネットで調べて理解するのに丸一日ぐらいかかった。

 

ウィトゲンシュタインの哲学は前期と後期に分かれる。言語ゲームは後期なんだけども、ウィトゲンシュタイン哲学は前期に書かれた「論理哲学論考」が特に有名だろう。
その「論理哲学論考」の内容は短くて、段落ごとに番号がふってある。内容はwikiにもざっと描いてあるが、普通に読んだらなんのこっちゃ全然わからん。
ただし最後のセリフ「語りえないことについては、沈黙するほかない。」が妙にカッコイイ。

 

この「論理哲学論考」は、無限にある世界のあらゆる物事と無限にある言葉との関係性を数学の理屈であらわしたもので、それがカントール対角線論法と同じく数学の集合論を使っているわけですよ、と橋爪大三郎は説く。

 

あ~…そうなんだ。。

 

で、「論理哲学論考」において世界のあらゆる物事と言葉はパラレルに対応するんだよ、と。なので、そもそも思考できないもの=言葉で言い表せないものは存在しないものと同じで、同じく存在しえないものは言い表すことができない、よって「語りえないことについては、沈黙するほかない。」

 

俺としては、西洋思想の香りがプンプンするなぁ、と。
思考・考えられること=言葉で言い表せられることであり、
世界=自分が認識できることのすべて=思考のすべて=言葉で表現できるもの
というのは違和感がある。
思考を超越した世界があるような気がする…という東洋思想が俺の根底にあるから。

 

まー俺の感想はともかく、
で、ここで大きな問題がでてくる。
その"世界のあらゆる物事と言葉はパラレルに対応するんだよ"と上から目線で言ってる奴自身は"世界のあらゆる物事"の中に入るのか?という問題である。
それは世界のあらゆる物事の外側から眺めてる奴じゃないと判断できなくない?と考えられるからだ。
言い換えれば、"全ての要素を含む集合"があるとして、その"全てを含む集合"だと定義づけてる要素は、その集合に入ってるのか?という問題。

 

結論からいえば、矛盾する。
この矛盾が後期ウィトゲンシュタイン言語ゲームを形成する核となった、らしい。

で、その言語ゲームって何?という説明は多少ヤヤコシイ。

 

本書の例では、机と机で無いモノの違いってどうやって判断してるのか、を考えている。

木でできているのが机か?と言われたそうでない机もある。
足が4本あるのが机か?と言われたらそうでない机もある。
さっきまで机じゃなかったのに、コレを机としよう!とすることもある。
…んじゃ、机って何だ?と言われれば、各個人にモヤ~っとしたイメージがある。

 

その机のイメージって何だ?といわれると、それなりに辞書っぽい説明はできるが、世の中にあるすべての机を説明しつくせるものではない。いくら言葉があっても全ての机を説明しつくすことはできないが、コレって机だよね?と誰もがわかる。

 

さらに、机のイメージ、机の意味は時代で変化していく。
まず、自分が生まれる前から机はあった。
つまり、自分を取り巻く社会がすでに机かどーかを判断するルールがあるということになる。
なので、子供であった自分は社会のルールを理解することで机だと理解できる。

でも、百年前の机、千年前の机、1万年前の机は少しずつ違う気がする。
それは何かエライ人がコレが新しい机だ!と発表したところで、皆が受け入れないと机にならない。誰か特定の人がルールを決めるのではなくて、皆がなんとなくそうかな~と変化させていくものである。
この変化しちゃうというのが言語ゲームの重要なところである。

 

俺なりに言語ゲームをまとめると、
世界のルールは、自分がいる前からある。自分はそのルールを理解することはじめて世界がわかる。ただし、そのルールをどのように理解しているかは他人にはわからない。しかもルールは固定されたものではなく、ルールが変更できるルールによって、どんどん変化していく。

 

ーーーーーここは独り言ーーーーーー

ハタと思い返すのが、システム論における自己組織性。

torisoba-bekunai.hatenablog.com

著者の今田高俊は、要するに科学って何だ?みんな科学、科学ってわかったように言ってるけど、それぞれ言ってること違くない?化学や物理学なんかの自然科学分野、心理学・社会学の人文科学って全然意味違くね?という問いからはじまる。
つまり、先ほどの「机」が「科学」に置き換わっているワケで、科学哲学の言語ゲームというワケだ。

 

で、その皆が科学っていってる考え方は、時代と立場によって微妙に異なっているんだよ、と指摘する。
んでもって、ここら辺あたりの社会学も科学といえる境界線の内側じゃね?と提示すると同時に、まあ科学という厳密な学問でも、自らのルールによって意味が変わっていくことを理解しようぜ、という内容である。


思い出すのは、自己組織性の最後に登場する螺旋図。表紙の絵にもなってる。縦軸も横軸もなにも書いてない螺旋図が一体何を意味するのかよくわからなかったが、本書の言語ゲームにおける1次ルールと2次ルールの概念…つまり螺旋図の横軸が1次ルールで縦軸が2次ルールだと解釈すればいいんじゃね?と、何かわかった気がした…!十年以上疑問に思ってた謎がなんか解けたような気がする。。

ーーーー独り言はここまでーーーー


橋爪大三郎の本って、むしろ余談が魅力でもある。

 

ソ連が崩壊して、資本主義vs共産主義の思想上の戦いは終わった。次にポスト・モダンがやってきた。デリダとかフーコーとか。彼らポストモダンの大きな枠組みは、資本主義・自由主義への批判である。つまりは左翼思想の残りカスみたいなもんだよ、と。

 

いや~、さすがは橋爪大三郎御大。それぞれの思想、特にポストモダン言語ゲームになぞらえて、それぞれ蛸壺化してしまった思想は言語ゲームの構造で理解し、変化すべきじゃね?と説く。

 

さらに価値相対主義って要するに無責任じゃねーかコノヤロウ、と。逆に責任をもった価値相対主義…多様性を尊重すべきという奴は、全ての人間に暴力を伴ってでも多様性を強要する。そこの矛盾をどう回避できるか考えろコノヤロウ、と。

 

俺が何故エコロジーが嫌いか?というと、彼らは善意で暴力をふるうからだ。

 

あと、江戸時代から明治維新にかけての余談も楽しい。

 

江戸時代に封建制度の根本思想として推奨された朱子学は、そもそも徳川の江戸幕府の仕組みを否定するものだという指摘である。

朱子学はもともと日本の思想ではない。宋の時代の科挙、つまり試験の結果がよければ身分が上がる仕組みをOKだとしていた思想である。
江戸時代に科挙みたいな試験制度は無かった。ここに江戸の封建制度朱子学にひとつ矛盾がでてくる。

 

そもそも封建制度は道徳による政治である。最も道徳心をもったヤツがトップになることができる(なるべきだ)、というのが封建制度の要。


だとすると、天皇と将軍の関係ってなんだ?
つまり、天皇ははじめ最高の道徳心を持っていたのでトップになっていたが、ある時点で徳を失った。(笑い話だが、理屈の上ではそうなる)かわりに徳をもった将軍に政治をまかせてるんだよ、という理屈になる。

 

ならば明治維新ってなんだ?
というと、天皇に最高の道徳心が戻ってきたので将軍から天皇にバトンタッチする運動だったという理解になるわけだ。

おお~、なるほど!面白い!

ドライブ・マイ・カー

某Hが"見ろよォ~"と言うので見ました。
「ドライブ・マイ・カー」


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結論から申し上げますと、
確かに3時間は長い。前半は全然話が進まないし。。

映画の中で演劇を演ずる、という2重構造になってる。その2重構造と絡めて、最後まで演劇の舞台口調。しかもチェーホフぐらい知ってて当たり前という前提なんだけど、無教養な俺は読んでませんでした~スイマセンねぇ~ハイハイ。
…でも俺ぁ嫌いじゃないかな。
けど、嫌いな人の気持ちもわかる。
んでもって、賞を総ナメにした理由もなんとなくわかるが、そこまでオモロイか?という気持ちもよくわかる。

 

で、この映画、何がオモロイの?
…以下、自分なりにまとめてみた。

 

どういう内容かと一言でまとめれば、
身近な人が亡くなった喪失感と、やがて前向きに生きようとする人の話。

 

この映画のスジをざっとまとめるのはなんか難しい。
物語は前編・中盤・後編の3つに分かれる感じで、
前半の舞台は東京。妙に安っぽい出来事が断片的に語られる。
中盤の舞台は広島。演劇の練習がとにかく長い…。
後半で、やっと(?)不穏な空気が流れ始める。

主要登場人物は
 ■主人公A(役者:西島)
 ■主人公の妻X(霧島)
 ■間男B(岡田)
 ■運転手C(三浦)
で、完全なネタバレを避けて説明すると、
東京在住の主人公Aは、妻Xと間男Bの関係を知ってるんだけど言い出せない。
なんか妻Xが言いたそうな感じのまま突然死亡する。
以上が前半。

 

中盤は、舞台が広島になる。
主人公Aの仕事は舞台監督(演出家?)で、チェーホフ「ワーニャ伯父さん」の舞台をすることになり、なぜか間男Bを主役に抜擢する。
その舞台監督の仕事中に運転手Cと出会い、毎日の稽古の送迎をしてもらう。

 

…この舞台稽古の場面がとにかく長い。
まずは言語がごちゃ混ぜ。日本語・中国語・韓国語・英語・ロシア語、さらに手話!までが入り乱れて会話するというインテリが好きそ~な眠くなる演出。。
さらにこの劇中劇である「ワーニャ伯父さん」とのセリフがナレーションのようにずっと語られるのだが、そのセリフはこの映画自体とリンクするようにつくってあるだろうことは容易に想像できるけれども、俺、その古典知らないんだよね。。んでもって、その劇中劇の稽古中の感情表現を映画自体の感情表現とリンクさせてるっぽいので、これまたわかりにくい。

そこらへんで、この映画がつまんね~というのもわかる。
説明的なカットは極力避けてるため、前半から登場人物は何を考えてるのかわからないのと、中盤の意味があるのか無いのかわからん劇中劇の稽古をず~~~っと見せられるのは確かにタルイ。

 

で、後半は、ついに主人公Aと間男とが向き合って…。
という展開。

 

とりあえず、なんで海外の賞を総ナメか?といえば、コレはヨーロッパ圏でウケる要素満載だと思う。国際的に評価できる作品とは何かといえば、以下の3つ。
1)映画を含むコンテンツの文脈に沿っているか?
原作は村上春樹だけどもその下敷きはチェーホフ「ワーニャ伯父さん」、それにチラっと「ゴドーを待ちながら」なんかもでてくる。構造的に古典からしっかり仕上げてますよ~インテリの皆さん!というのがわかる。

 

2)時代性はあるか?
日本語・中国語・韓国語・英語・ロシア語、しかも手話を交えて古典演劇を演ずる、といういかにも欧米リベラルが好きそうなネタ。
人種も国家もバラバラなんだけどもメンバー全員がひとつの作品・世界を成立させようと努力する姿にEU諸国民なんかは感動されるんじゃないでしょうかと、俺は鼻クソほじりながら見てましたけど。

 

3)目新しいものはあるか?
これは俺、わかんねぇ。。G監督ならわかるんだろうけど、なんかあるんでしょうねぇ。。

 

まあ、この作品の核心部分はエヴァのシンジ君みたいにウジウジする心情が何重構造になってるトコではないでしょうか。

 

主人公Aはもともと性格的にウジウジするタイプなので、妻Xの不倫も死んだこともウジウジしてるだけでなんもできなかった。今さら感情を爆発させてもどうにもならないので、ウジウジするしかない。

 

主人公Aは妻Xが死んで、結局のところ妻Xが何を考えてたのか知ることは不可能で、自分自身で勝手に折り合いをつけなければならない、とウジウジするしかない。

 

劇中劇で主人公Aが演ずる役どころもこれまたウジウジする役で、ウジウジしてる。そのウジウジする主人公Aを劇中劇のセリフがやさし~く包み込む。

 

実は運転手Cも暗い過去があって実はウジウジしてましたが、ラスト、劇中劇のセリフに救われる主人公Aを見てると、何か自分も救われました的なアレ。

 

 …あたりのウジウジ感。

 

俺は村上春樹の本って何十年も前に数冊読んだだけの記憶しかないけど、登場人物は大体ウジウジしてて、結局なんやったんやろな~的なラストだったような気がする。
本作のウジウジする主人公に対してしっかりした女性が出てきて、さらにモテるけど粗野な男がライバル的に登場する感じってなんか昭和感あるなぁ。
ただ、本作の最後はそれなりにキッパリと終わってる感じはする。

DUNE

G監督が面白いYO!と言ってたので見た
「DONE」

うん、これは凄い。
何が凄いのかわからんけど、スゴイ。


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物語自体はいわゆる貴種流離譚。若者が放浪して試練を乗り越えて王になる、というわかりやすい構造。
ただし、見た目が超スゴイ。俺が新しいSF映画って奴をつくってやらぁ!という気概を感じる。

 

衣装から宇宙船から建物から、現代アートっぽい目新しさがある。
俺ぁ今回の悪役の親玉の背がみょ~~~んって伸びるのが気に入った。あれ空中浮遊できる能力ってことなのかな?まあ、なんかわからんけど不気味な感じがイイ。

 

監督のドゥニ・ビルヌーブの映画は「ボーダーライン」と「メッセージ」と「ブレードランナー 2049」を見てた。すべてにおいて、広くて何もない背景に対象物が映ってる感じで、基本はシンメトリーの、ちょっとキューブリック感のある画面構成。
で、その3本とも物語の前半は超ド級に面白いが、後半にかけて尻すぼみになっていく…浦沢直樹っぽいというか…ラストの着地にいつも違和感がある監督だった。

 

そもそも「ブレードランナー 2049」なんて、超メンドクサイ全世界のオタク連中を相手にした続編をつくる根性もすごかったが、本作の「DUNE」もしかり。

 

「DUNE デューン砂の惑星」の原作を俺は読んでないが、84年にデイヴィッド・リンチ版は見てた。ただし、アレハンドロ・ホドロフスキーのファンとして「ホドロフスキーのDUNE」には強烈な思い入れがあった。
そんな世界中にいるメンドクサイSFオタクを相手に、またSF超大作「DUNE」をつくっただけでもスゴイ。

 

多分、何も予備知識が無い人ってあんまり面白くないかも?とは思うし、ちょっとした島ぐらいデカイ宇宙船なんかが動くシーンとかはテレビ画面程度で見てどこまで面白いかはむつかしい気もする。せめて大音量ならいいかも知れない。

 

しかし、youtubeの予告編で、BGMにピンク・フロイド使ってたのに俺ぁ超興奮してたんだけど、本作に無くない?それを聞きたかったんだけど…。そもそもDUNEにピンク・フロイドって取り合わせはホドロフスキーが考えたアイディアで…と、めんどくさいファンが多い映画なんだよ!

ボラット2

■G監督から面白いYO!と言われたので
「無頼」見る。


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井筒監督なので期待してたら…アレ?その…うん。
俺は井筒監督の最高傑作は「ガキ帝国」、次に「岸和田愚連隊」だと思ってる。
この監督の稀有な能力は、ヤクザとか暴力を与える側からの視点でつくれるという点。
見た目は実に昭和感満載の画面なので、それは好き嫌いがあるとは思う。

 

基本、アイアンマンとか含めておおよそのアクション映画は、暴力を受ける側の視点からつくられる。なにしろ普通の客はギャングじゃない。なので、暴力を振るったり受けたりするのはあくまでもフィクション、あるいはわかりやすい勧善懲悪として描かれるため、予定調和で安心できる。

 

その点、井筒監督は理不尽な暴力、ヤンキーなりヤクザなんかの暴力の使い方と、ホントにそんな暴力を受けたら実際どうなるかをリアルに描くので、見ててスゴイ不安になる。
そんな暴力まみれの井筒映画にも、最後はちゃんと因果応報というかエクスキューズ的なものも描かれる。
観客としてはやっぱり暴力を使ったものは悪として裁かれるべきだ、という無意識的ともいえる欲求にこたえるシーンが入ることによって受け入れやすくしてあるのも含めて、井筒映画の魅力である。

 

で、本作は終戦直後あたりから高度成長期を経て現在まで至る一人のヤクザの人生を語る、というもの。
…え?最後コレで終わり?というのが俺の正直な感想。

 

少年時代からダイジェスト版のように人生が語られていき、途中に何度かあるケンカのシーンはさすが井筒節ともいえる演出なんだけど、暴力でのし上がってきたヤクザが最後、夕日を眺めて終わる…って、なんだこれ?なんかいい人っぽい終わり方じゃね?

 

あえて本作でエクスキューズっぽいのは、最後の方で子分の一人が、瓶詰めされた指を埋めてる(笑)ところで、突然ヤクザを引退するときの独白シーンぐらいだろうけど、これも一般人からいえば理由にもなってないヤクザの論理なんだけど、ヤクザ側からすれば胸に刺さるのか…?

 

気になってネットで調べたら、この映画、まだ存命の実在するヤクザの物語だったというので腑に落ちた。う~~ん、これって井筒監督によるヤクザ連中への贈り物的な映画だとしか思えない。

 

■某Hが面白いYO!というので、ネットフリックス「新聞記者」3話まで見る。


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う~ん、4話を見る気力が無い。。

 

別段、俺はプロパガンダ映画が悪いとは思わない。
マイケル・ムーア「ボーリング・フォー・コロンバイン」なんかモロに左派系プロパガンダ映画だが面白い。森達也いわく「中立な立場などありえない」というのはその通りだ。面白ければ見る。

 

この「新聞記者」が何故面白くないのか?を考えてみるに
1)実在の事件、それも現在進行形といってもいい元ネタが明確なのに何故かフィクション仕立てのため、どこまでが事実でどこまでがフィクションなのかわからない。意図的に混乱させようとしているとしか思えない。

 

安倍首相だったり東京新聞の望月記者だったり、現実の個人が容易に特定できる物語で、首相の答弁なんかはほぼそのままのハズなのに、わざわざ名前を変える必要がどこにあるの?と思わざるをえない。

 

例えば、冒頭のカットで「この物語は現実の事件をもとにしています」あるいは逆に「この物語はフィクションです」か、どちらかの言い訳がないと、わざと虚実ごちゃ混ぜにしてフィクションを事実に見せかけようとしてるとしか思えない下心が見えてしまう。

 

ここまでやるなら、全部実名でやるべきじゃね?
で、事実部分は事実とわかりやすくテロップを入れたり、実際のニュース映像なんかを使えばいい。
何年何月何日、首相答弁。何年何月何日、自殺。とか。
で、その事実の点と点を結ぶ部分をドラマ化してるんですよ、と言えばいいんじゃね?
密室なり家庭での会話なんで誰もわからないけど、こういうやりとりがあったとしか思えないでしょ?という形なら皆納得しやすかったんじゃなかろうか。

 

2)俺ぁ3話までしか見てないけど、物語が箇条書きのように進んでいき、盛り上がり箇所が無い。

 

物語自体、現実に起こった出来事をステレオタイプな登場人物たちが説明していくだけなので、何かサスペンス的な盛り上がりも無ければ、葛藤のようなものも無い。
権力持ってる奴って悪いですよね~という、終始勧善懲悪が語られるだけはさすがに飽きる。


内閣情報局だったっけ?政府内でスパイ活動を行ってるっぽい部屋が物理的に暗いってショッカーの秘密基地かよ…お前ら電気つけろよ!目が悪くなるぞ。。

 

う~ん、例えばだが、自殺した職員に焦点をあてるなら、何故彼はそこまで正義感が強かったのに改ざんしたのか?そこまでするなら先に辞職しなかった理由は?あるいは辞職できない理由は?そもそもなぜ財務省に就職したの?とか、そういう側面を描くために幼少期からドラマとして描くというのがまだ自然じゃね?


3)登場人物の言動がありえないレベルでステレオタイプなだけに、逆に心情がわからない。


本作で登場する右翼系の権力者・政治家は悪い奴で、庶民、それも左翼系一般人ほど皆善人。…って、まあ30分ドラマのレベルならそのぐらいのわかりやすさは必要かもしれないが、なにしろ現実の事件をもとにしているだけに、ここまで単純化した勧善懲悪ものはむしろ非現実すぎてリアリティが無い。

 

例えば、夫が自殺して残された妻が、マスコミは信じないけども左派系運動家たちはあっさり信用しちゃうという行動原理には苦笑いするしかない。

 

マイケル・ムーアがトランプの共和党を批判した映画「華氏911」は面白くない。延々と共和党を批判するインタビューが繰り返されるだけで、そこに新しい発見も何も無いからである。
一方でサシャ・バロン・コーエンの「続・ボラット 栄光ナル国家だったカザフスタンのためのアメリカ貢ぎ物計画(ボラット2)」は同じくトランプの共和党批判丸出しの左翼プロパガンダ映画だが、超面白い。

ウヨクだろうがサヨクだろうが「ゆきゆきて、神軍」のアナーキーだろうが、面白くないとなぁ。

機械式時計大全

そーいやこの映画って監督がスピルバーグだったよな、
と思って「ターミナル」見る。


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…これ、面白いの?


基本、底抜けなお人よしが周囲を幸せに変えていくという物語。
それがまた毒にも薬にもならない感じで…家族向けにはいいのかもしれない。

 

山田玲司いわく「スピルバーグって、やる気のある映画と、やる気が無くて流してるだけの映画がある」という指摘はその通りかもしれない。本作はスッゴイさらっと流して作ってる感はある。

 

予算も技術もさすがにスゴイので見てる分には苦痛ではないが、なにひとつ引っ掛かるよーなシーンも無い。

空港から出られなくなったというネタは実在のモデルがいるとのことだが、本作とは内容は違うようだ。


山田五郎「機械式時計大全」読む。

読むっていうか、目を通しただけで精一杯。

というのも、腕時計の機構…脱進機なんかの基本構造から全部図解入りで説明してくれてるんだけど、全然理解できない…。トゥールビヨンなんかの複雑機構になると、完全にお手上げ状態。

 

本書にもあるけど、宝石も使ってないのに腕時計ひとつがなんで何百万・何千万円もするの?という問いには確かに答えている。無数にあるように思える歯車ひとつひとつが英知の結晶であり、その複雑さと精巧さは想像を絶する。

 

ただ、あくまでもハードウェアである機械式時計は目に見える最も緻密な機械という点で分かりやすいのかもしれない。完全にブラックボックスであるソフトウェアはいくら複雑であろうが目に見えない。

 

本書を読み終えた感想としては、俺は機械式時計にそれほど魅力を感じない、ってことがハッキリわかった。。ある程度の見た目に時間と日付がわかれば中身はどーでもいいかな…俺。

 

あえて興味が出てきたのはシチズンのカンパノラ

campanola.jp

機械式なら数千万円レベルの超複雑機構をクォーツというだけで50万程度で買えるという。…でも複雑機構の最高峰といえるミニッツリピーター(音で時間を知らせる機能)といえども目覚まし時計以外に使い道無いし、星座の運行を知りたいと思ったことないし…腕時計で50万って…中古で車買えるやん。。

 

世界のオークション市場における基軸通貨的な役割を果たしているブランドの代表がパテック・フィリップ。一方で(略)落札額が乱高下しがちな投機銘柄の一例がロレックスです。

って書いてあるので、もし今後まかり間違って機械式腕時計を買うとしてもパテック・フィリップにしようかしら…。

今調べたら、やっすいモデルでも200万以上するやん。。

MANDRAKE

いきさつは忘れたが「いつサムライはいなくなったのか?」と外人に聞かれた。
それは明治政府ができたときで近代革命である。
その革命はヨーロッパと比べると特殊なトップダウンだった。

普通、ヨーロッパでの近代革命はボトムアップ、民衆蜂起で、下級階層が上級階層に戦争を仕掛ける内戦だった。

 

しかし、日本は上級階層であるサムライ側から、もう政権やめますよ~と宣言したのである。無血革命だったのは歴史上珍しい。
もちろん、多少は内戦的なものもあったけど。

 

と説明すると「そーいう映画ってないの?」と言われてすぐには思いつかなかった。

で、後日、ふと思い出したのは
ラストサムライ
かなり前に見たけど、再度見てみた。


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トム・クルーズ、カッコいいよね~
トップガン2と同じ感想以外でいえば、最後の戦闘シーンで描かれる群衆の数がすげえ多いので結構迫力がある。


それに意外と日本の描写がまともだった。
何故か日本人が英語が喋れたり忍者とかはアレだけど。

 

本作では武士たちが刀やチョン髷を捨てて近代へと移行するときに、最後までサムライを捨てずに中央へ戦いを挑むサムライ側からの視点で描かれる。これを多少アメリカ風に、インディアン側からの視点をちょっと混ぜ込んでいる。
トム・クルーズアメリカ軍人としてインディアン虐殺の立役者としてかかわったことがトラウマとして描かれる。

 

インディアン虐殺って悪じゃね?とゆーのって、昔の道徳を現代の価値観で裁くわけで実はズルい手法なんだけど、だからこそ罪悪感(=現代の正義・倫理観)を持つトム・クルーズだけが現代においてこの物語の主人公たりえる。さらに言うとそのインディアン虐殺も最後には無意識的に贖罪されてしまうという物語のために現代アメリカ人にとっても魅力なのかもしれない。

 

この映画では当初、トム・クルーズはインディアン虐殺の功績から日本政府に雇われ、最後のサムライ討伐に向かうが、逆に捕虜となってしまう。しかし、そこでサムライの思想に感化され、逆にサムライ側として日本政府に立ち向かう、という物語。

 

そのサムライの思想とは何か?として描かれるのは武士道精神なんだけども、本作ではイマイチよくわからない。そもそも俺も含めて現代日本人も武士道なんて知らないのは外人と同じ。武士道の元ネタは新渡戸稲造の武士道とか、葉隠あたりなんかの引用だとは思われる。
ちなみに三島由紀夫葉隠を"公務員の心得だ"と評している。

まあ本作における武士道の思想って儒教における陽明学っぽくて主流派だった朱子学じゃないよね、などというのは無粋だろうけど。

 

本作のテーマでもある、なぜトム・クルーズ中央政府よりも封建制のサムライを選んだか?という理由は、わかりやす~い悪役が中央政府側にいる、というのもあるが、サムライ側には命よりも大事な価値があるんだよ的な正義・道徳観があるんだよ、というもの。


トム・クルーズがインディアン皆殺しにしたのは、だってお前はアメリカ政府の軍人で命令にちゃんと従ったわけでしょ?だから無罪なんだよ、とサムライたちに説得され、んでもって、こんどは武士道をないがしろにする日本中央政府が敵なので、武士道を守るためには死んでもいいんじゃね?という感じ。

 

この構造って、南米の共産ゲリラでも別に理屈は同じだよね。。
傍から見れば反政府・暴力組織なんだけども、ゲリラにもそれなりの理屈があるっていう。それに命をかける姿は感動的っしょ?という構造は同じといえよう。

寺山修司の"身捨つるほどの祖国はありや"でいえば、トム・クルーズにとって身捨つるほどの祖国を敵側のサムライの国に見つけた!という話。

 

しかし、当初の"なんでサムライの時代が終わったか?"という説明はこの映画には無い。
本質的には西欧列強と対抗するためだとは思うんだけど、そーいうのを描いた映画って何かあったっけ?しかも英語で…。

 

で、その外人とサムライの話をしてたとき、

そーいや昔の日本人は右手と右足が同時に出る歩き方(ナンバ歩き)してて、今の歩き方=右手と左足が同時に出る歩き方ってのは、サムライが終わった明治政府以降にイギリス軍人からの軍事訓練から輸入されて、小学校の体育で"行進"を教えられたんだよ、と伝えたら

外人がその場でナンバ歩きをしはじめて「ウソだ!歩けねぇだろ!」と信じてくれなかった。

 

■ネットフリックスで「千年女優」見つける。


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監督の今敏は間違いなく天才のひとりだったと思うんだけど日本の知名度は低い。しかし海外では非常に評価が高いはず…じゃないかな。


俺自身、"千年女優"もすごく面白いか?といわれると、正直、微妙ではある。ただし素人目に見ても演出はズバ抜けてる。ラストの主人公が延々と駆け抜けるシーンなんかはスゴイよね。

しかし、なんでここまで日本で評価低いの?といろいろ考える。
・アニメだけど子供向けではない。
・アニメだけどオタク向けではない。
アニメってだけで馬鹿にする大人向けアニメ…としか思えない不思議なアニメ監督である。

 

この人の作品って、わざと共感性が低いように作ってあるように思える。主人公と一緒に泣き笑いするようなドラマって低俗でしょ?それより一段深いドラマ性ってのがあるんだよ、という主張が聞こえてくる作品ばかりで、常にドラマ全体を俯瞰して眺めているような描き方である。

それにアニメなのに実写化できるように描いている。
それは現実と虚構が入り混じっているという作風のため、そもそもがアニメという虚構から現実を描き、やがてその現実が虚構とあいまいになる、という感じを演出するにはリアルさが必要なのか?とも思う。

 

さらに狂気を描いた「パーフェクト・ブルー」や「パプリカ」は力強い。音楽には平沢進を好んで使う、というあたりからも現実と幻想とそれに伴う狂気的雰囲気が好きなんだろう。

 

ちなみにその平沢進の初期のバンド、マンドレイク(MANDRAKE)は当時の日本では非常に珍しい超攻撃的なプログレバンドだった。


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中国共産党 世界最強の組織

■「ローマンという名の男」見る。


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取り立ててみるべき映画というわけでもないあたりが日本で劇場公開されなかった理由なのかもしれない。主役のデンゼル・ワシントンのほぼ一人芝居のような映画で、デンゼルワシントン好きの俺のため最後まで見た。

 

かなり自閉症っぽい弁護士が主人公。超人的な記憶力を持つが、ギチギチに社会正義をふりかざして訴えるがために逆に社会から疎外されていく。
皆が慣れ合った社会に法や正義で変革を訴える主人公に、周りはいぶかしく思うが、なかには感銘を受ける人もいる。やがて主人公は生活できないレベルで貧乏弁護士になっていくが…。

 

アメリカの弁護士モノの物語なので、日本の司法制度と違うというあたりから、そもそも社会状況が全然違うよね。。くらいの感想ではあるが、病的な主人公を演じあげたデンゼル・ワシントン凄いよね、という映画でした。

 

■「中国共産党 世界最強の組織」読む。

サブタイトル"一億人の入党・教育から活動まで"にあるように、中国共産党の下部組織を焦点にあてた新書。これまでありそうでなかった本だと本書に書いてあるが、確かに他に見たことは無かった。

 

中国には共産党員が日本の人口ぐらいいる、というのは良く知られているが、その活動実態は俺もよく知らなかった。昔、家に来た中国人に、どーやって中共のトップって決まるの?選挙とか無いんでしょ?と聞いたら、自分も知らないと言われたことがある。

 

さらに、かなり前だが、とある中国人留学生は、自分のケータイに中共から連絡が入るのだが、その申し出は断れないのだと言ってた。その留学生はスゴイ秘密を打ち明けてる感じだったのでそれ以上は聞けなかったのだが、本書から推測するに、おそらくその留学先の大学に組織化された中共メンバーが存在し、なんらかの活動をしてたんだろうなと思われる。

 

本書によれば、共産党員になるメリットはそれほど多くないらしい。
多少は国内で就職にメリットがあるだろうが、やらなければならない政治活動がいろいろとメンドクサイらしいのでそれほど人気ではないのだそうだ。
で、まず共産党員に入党するには推薦状が必要なのだそう。
いくら本人が希望していても、まずは周りの評価が重要らしい。
そして、共産党員が3人いれば組織化しなくてはならない義務がある
なので、大きな職場や大学ではフツーに共産党組織が存在している。それは外国企業内部でも適用されるので、別段狂信的な共産党主義者とかスパイ目的でもなく、たまたま共産党員が3人以上いたので中国国内のルールで組織化されただけである…って「へぇ~」ボタン連打ですよ。

 

んでもって、その3人以上のグループが、さらに上位組織に組み込まれて…という感じはあるのだが、単純なピラミッド構造ではない、というのがミソだそうである。

 

ただ…本書の説明はわかりにくい。
例えば、政治的な位置づけとして明確化されている中国共産党のトップ組織は「中共党員」、No2が「中共予備党員」、No3が「共青団員」…で、最下層No13が「群衆」とある。その群衆とは日本語の意味だと群衆=大衆=無党派層っぽく聞こえるが、そうではない。
では、その意味とは…が、イマイチはっきりしない。
何か資格がいるっぽい感じだけどそうでもない?
さらに、最も重要な下部組織であるという「基層」についても説明は長いが正直よくわからない。

 

この著者の説明はAとは何かを説明するとき、
・Aは日本語の表記Aとは意味が違う。
・AはBと訳されることが多いが、ニュアンスが違う。
・AはCと似ているが、Dという点では異なる。
といった感じで、ハッキリと定義づけしてくれないのでわかりにくいのだ。なんだか社会学系の学術論文っぽい感じ。amazonの書評で皆「わかりやすかったですぅ~」とか書いてあるんだけど、理解できないの俺だけ…?

 

そもそも、見慣れない単語が多い。先ほどの群衆とか基層とか、村民委員会と村党組織はどっちが偉いか?とか党総支部委員会とか党基層委員会とか社区当組織とか居民委員会とか村民委員会とか村党組織とか、とにかくはじめて聞く組織名称が多いうえに、"村"と表記してますけど実際は日本の県庁所在地レベル以上ですよとか、「政治的様相」なんかはおそらく中国語の漢字をそのまま書いてあるっぽくて意味がわかりそうでわからない。

 

どーやら中国における共産党の活動というのは、中国国内の法においても実はグレーゾーンっぽいらしい。日本だと市役所とか警察のように法的にカッチリ位置づけされた行政組織と、町内会のような民間組織とはわけられるが、その2つが混ざった感じが中共の下部組織の位置づけっぽいようだ。

例えば本書によれば今回のコロナ騒動でのロックダウンについて、現場で動いているのは地方の共産党下部組織だそうだ。

しかし、警察でもなければ保健所のような役人・行政機関でもないのに地元住民たちに強制力を持っている、というの2重?の権力構造は外部の人間にはわからない。

一方で中国人はその奇妙とも思える社会習慣に慣れているからこそ、あれほど個人主義の強い中国で実際に強制力を行使できる…のだそうである。

 

本書において著者は政治的立場を表明しないようにしてはあるが、随所に中共への好意がにじみ出ているのも興味深い。創価大学出身というのもなんか余計な憶測を呼んでしまう。そもそも副題に"世界最強の組織"とあるが、なにをもって世界最強なのかはわからない。まあ、1億人レベルで組織化された政治組織ってのは世界最大級レベルだとは思うけど。