サヨク入門一歩前 その4 マルクスとキリスト

これは共産主義が広まるにつれ結果的にわかったことですが、マルクスが唱えた歴史にはいくつかヤバイ点がありました。

 

1、資本主義が超発展します。

2、少数のスゴイ金持ちと、大多数の貧乏人(プロレタリアート)の差が開きます。

3、大多数の貧乏人(プロレタリアート)が金持ちをやっつけます=革命

4、共産主義社会という天国がやってきて、貧乏人がむくわれます。

これですが、


2、少数のスゴイ金持ちと、大多数の貧乏人(プロレタリアート)の差が開きます。

これは、ものすごい貧富の格差が"できなければならない"のです。
つまり、貧乏になればなるほど革命の日が近いというわけです。
なので、強制的に貧乏にしてもいいんじゃないか?という人が登場しちゃう理屈を与えてしまいました。

 

次に
3、大多数の貧乏人(プロレタリアート)が金持ちをやっつけます=革命

この革命をどうやって実行するのか、マルクスは手段までは言いませんでした。
なので、暴力を使ってもいいじゃないか!だって最終的には天国になるんだから!という理屈を与えてしまいました。
これは現在に至るまで、共産主義者が暴力OKになってしまった原因です。

 

そして、この革命がいつ来るのか?についてもマルクスは、そのうち自然にやってくるとしか語っていません。


そこで、はやく天国に行くために、無理やりにでも暴力的に革命を起こそうぜ、という人々がたくさん出てきてしまいました。

 

ソ連レーニンは、先に暴力的に革命を起こしてしまったので、革命後にどーやってプロレタリアートをつくるべきか?と本末転倒な話になってしまいました。

中国の毛沢東は、革命を起こすための暴力=農民たちを武装させ、いかに暴力で社会を混乱させ疲弊させるかというエグイ話が多いです。

 

最後に
4、共産主義社会という天国がやってきて、貧乏人がむくわれます。
さて、ここで、この天国って具体的に何?といえば

「全ての人間がピンハネされずに労働して平等に暮らしていける社会」です。

え~…俺は個人的にはちょと…働きたくないし~…というのは許されません。個人的な幸福の追求はマルクスの言う歴史の発展にとってむしろ有害となります。


おそらくマルクスからの共産主義思想で、現代の我々が最も受け入れがたい部分と言っていいでしょう。

 

そんなスカポコに文句を言われるマルクス主義がなぜヨーロッパを席巻したのか?

 

それは、キリスト教だったからです。

 

…え!?全然違くね!?神とかでてこないって言ったじゃん!
はい、マルクスキリスト教を否定した無神論者だと言われていますが、もう一度、マルクスが予言した歴史を見て下さい。

1、資本主義が超発展します。

2、少数のスゴイ金持ちと、大多数の貧乏人(プロレタリアート)の差が開きます。

3、大多数の貧乏人(プロレタリアート)が金持ちをやっつけます(革命)

4、共産主義社会という天国がやってきて、貧乏人がむくわれます。

一方、キリスト教の流れはこんな感じです。

1、神が世界をつくります。

2、神に反抗する者たち(堕落した人間とか悪魔とか)がはびこります

3、最終戦争が起こります。

4、神が勝利して天国が約束されています。

…なんか似てません?俺はソックリだと思うんですけど。。

 

マルクスの時代、キリスト教徒は不安になってた時期でもあります。
教会は権力者にベッタリだし、産業革命で科学とかなんか凄そうだし、キリスト教大丈夫?ホントに神様っているの?という不安を抱えていました。

 

そこでマルクスが登場して言います。
俺はキリスト教徒ではない。しかし、科学的に考えても結論は同じになる!
これに(元?)キリスト教徒らが熱狂したのもわかる気がします。

 

「神はいてもいなくても、キリストの教えは本当だったんだ!」と。
あるいは
マルクスは"神は無い"というが、真実を語っているのは間違いない!」

 

あるいは逆に、ボンヤリと神様の存在を疑っているに人とっては
「科学的な歴史は真実で、神はいないんだ!」と考える人がいてもおかしくない気もします。

 

すでに世界宗教だったキリスト教に乗っかって、あっという間に世界に伝わったのもうなずけるのではないでしょうか。
ちなみに、1900年頃、日本ではじめて共産主義者たちの団体ができましが、その多くがキリスト教徒だったのも偶然ではないはずです。

 

そのキリスト教の聖書には「金持ちが天国に入るのはラクダが針の穴を通るより難しい」という言葉があります。
貧乏人こそが天国へ行ける…これ、マルクスは同じことを言っています。

 

マルクスは「財産も何も持っておらず、身を粉にして働くしかない貧乏人(プロレタリアート)によって世界が救われる!」と断言したわけです。

貧乏であればあるほど、無知であればあるほど(唯物史観的に)正しく、美しいのです。


東洋にも、これに似た"清貧の思想"がありますので、日本人でも納得しやすいはずです。

 

…ただ、キリスト教徒じゃない俺にとっては、不思議な点があります。

 

仮に4の天国がおとずれたとしましょう。で、次はどんな世界になるの?

キリスト教では、その次の世界はありません。これで世界は終わりです。

めでたしめでたし…?

 

西洋と東洋の違いは何かという議論はよく耳にしますが、
世界に始まりと終わりがある、というのは西洋・キリスト教タイプの考え方です。
一方で、世界には始まりも終わりもない、というのが東洋思想タイプです。
俺としては歴史に終わりがあるというのは腑に落ちないんですけど、どうなんでしょうか。

 

話は変わりますけど、物理学で「宇宙はビックバンにはじまって、熱量的死を迎える=宇宙に始まりと終わりがある」というのも俺は妙にキリスト教臭いな~と思ってるんですが、そこらへんの物理学は俺の理解を超えてるのでなんとも言えません。

 

さらに、歴史が"発展"するとか"進歩"する、という考え方には違和感があります。
昔の人より今の人の方がエライ、さらに今の政治や社会制度が変わった・変わるはずの未来の方がもっとエライ、と俺には聞こえます。

なんか差別的じゃないですか?

 

これも同じくキリスト教の影響があるとしか俺は思えません。
前のブログで「社会進化論」とか馬鹿じゃね?などと俺が口汚く罵るのはここらへんに原因があります。ハイ。

 

…では、マルクスは単に別の語り口でキリスト教を再度、布教しただけでしょうか?

 

いいえ、違います。愛です。人類の愛をマルクスは語ったのです。マジで。


マルクスは、神が人間を救うのではなく、人間が自分自身の手で天国の扉を開くために共産主義を提唱したのです。

 

さらにメッチャ長くなりそうなんで、次回に続きます。