門外漢の専門書にハッとさせられるのは楽しい。
千葉聡「招かれた天敵 生物多様性が生んだ夢と罠」読む。
生物学は内容が少し高度になっただけで見知らぬ専門用語が山ほど出てくるもんで、俺ぁあまり読む機会も無かった。
本書は、以前目にした書評が良かったのをおぼえてたんでテキトーに買ってみた一冊。
これがなかなか興味深かった。
有害な生物の対策として天敵をよそから持ってくる方法については、俺ぁ沖縄のハブ対策としてマングースを輸入した結果、大惨事になったぐらいしか知らなかった。
いや、そもそも「防除」という日本語を知らなかった。
害になる動植物を農薬なんかでやっつける方法を"化学的防除"、天敵を持ち込む方法を"生物的防除"というらしい。本書は、1900年頃からの生物的防除の歴史的経緯から思想史的な背景まで描いた一冊。
1900年頃、アメリカで農作物を荒らす害虫を調査し、結果、天敵を持ち込んだことで大成功を収めた。この結果が良くも悪くも後の研究に大きな影響を与える。害虫や病気が流行すると、短期での解決がどうしても期待される。そのため、リスクがハッキリしない生物をどんどんと入れてしまうこともあった。例えば、ハワイでの害虫退治にどんどんといろんな肉食生物を持ち込んだ結果、ハワイの生態系が滅茶苦茶になった。
一方で、著者はDDTなど農薬の使用、化学的防除も決して排除しない。
要はリスクとコストの問題だとする。
有名なレイチェル・カーソンの著書「沈黙の春」は本書で何度か引用される。
最近ではSF小説「三体」でも、自然環境保護のバイブル的存在として「沈黙の春」が登場するが、本書では、その「沈黙の春」をよく読め、と指摘する。確かに「沈黙の春」では農薬の使い過ぎによって生態系が破壊される様子が描かれている。しかし、それはあくまでも"使い過ぎ"による弊害を指摘したのであって、化学的防除を完全否定したものではない、と。
当時、農薬を製造する化学系業界が徹底的に「沈黙の春」を批判したため、その反作用で反農薬主義者を生んでしまった。著者のカーソンは「沈黙の春」を出版した後にすぐ他界してしまったため、そんな二項対立自体が「沈黙の春」の趣旨ではなかったと、本書では指摘している。
そもそも自然とは何か?という素朴な疑問を、産業革命以来のイギリス庭園の歴史あたりからひもとき、時代によってその概念、善悪が変わることを指摘している。
まあ、結構お固い内容なんだが、後半の7章から、アメリカの生物学者が1901年に日本で調査を兼ねた新婚旅行が描かれる。非常に好意的な内容で、イザベラ・バードの日本旅行記を彷彿とさせる。その生物学者は、やがてアメリカに帰国して検疫のトップとなり、日本から友好のために送られた桜の木、2千本をすべて焼却処分とするに至る。
(ちなみに今のワシントンなんかの桜は、その後に日本から送られたものである)
この生物学者に対する著者の考察は非常に興味深い。
俺がハッとさせられたのは、科学的見地からいって「自然のバランス」など無い、という指摘である。
植物→草食動物→肉食動物、みたいな食物連鎖のピラミッドで表記される生態系とか、すべては仮説であって検証されたわけではない。
ある害虫が爆発的に増加した場合、やがては餌を食いつくして数は減少する…といった説も、実際の観察結果や数学モデルでも検証されたわけではない。そうなる場合もあるが、ほんの少しの環境の変化(温度や降雨量、生物の密度、他の動植物の有無など)で結果は大きく異なってしまう。
つまりは現状において、自然はカオス、複雑系なのだ。
内容は他にも多岐にわたる。
オーストラリアを席巻したサボテンの話から、そのサボテンの天敵として持ち込まれた生物がやがて全世界的に害虫となる経緯。日本でもよく見るアフリカマイマイの話など、具体的事例は面白い。
最終章は、小笠原諸島で著者自ら防除を実施し、結局は失敗したケースも描かれている。
なかなか興味深い一冊だった。