映画をみたはなし

なぜ映画をみるのか?
と問われたら、フツーの人は"暇つぶし"と答えるよーにと思う。
俺も昔はそうだった。

単に中味のない、その場限りで消費されるエンターテイメントだと思い込んでいた。

 

しかし、原一男ゆきゆきて神軍」の衝撃で考えが変わり、
ホドロフスキー「エル・トポ」をみて確信に変わった。

映画もスゲエ奴があるのだ、と。

 

なぜ映画をみるのか?それに意味があるのか?
の答えに、近代社会として最も合理性がある説明は
島田裕巳「映画は父を殺すためにある」に書いてある。

 副題にあるとおり、「映画をみることは子供が大人になるための通過儀礼である」ということ。
この指摘は正しい。
特にハリウッド映画にはガッチリはまる説明だと思う。

 

ただ、俺個人としては、町山智浩のセリフの方がしっくりくる。
町山智浩における映画の面白さとは、映画を観る前と観た後で世界が変わってしまう体験をするから。

 

世界が変わるって、どーいうこと?と言われると…
町山智浩はその例を映画「シティ・オブ・ゴッド」で説明しているが、ちょっとわかりにくい。
俺としては養老孟司の説明がわかりやすい。

桜の花をみるとき、今の状態で桜を見るときと、自分が末期ガンとなり来年はもう桜を見ることができないという状況でみる桜の花は違って見える。

同じ桜の花をみる、ということも、自分の価値観が変化してしまえば別のものに見える。
言い換えれば、映画をみることで自分の価値観を揺さぶられたい、と思うのだ。

 

価値観は人それぞれなので、他人の評価など関係ないし、ほとんどの映画は通り過ぎるだけである。
しかし、ごくまれに、そういう作品に出合うことがある。
俺としては原一男でありホドロフスキーが自分の価値観を揺さぶった数少ない監督である。

 

当時の俺は、アニメは実写よりも下に見てた感はある。
大友克洋「AKIRA」も漫画版の方が数倍優れていると思ってた。

 

ただ、旧劇場版エヴァンゲリオン新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」をみたときには震えた。

 

…前置きが長いけど、つまり、先日、
「シン・エヴァンゲリオン劇場版」見たんだよね!

 

旧劇場版から20年以上ファンであり続けてるエヴァおじさんの一員として、新作をみるのは義務だったんだけど、みたらみたで誰かに話したくてウズウズしちゃうんだけど、みた人じゃないと絶対話が通じないというジレンマでウズウズしてまして…
G監督に聞いてみたら、2日後に見に行くと聞いて、その2日後、G監督から連絡がきた瞬間に電話で2時間ぐらい話しましたよ、ハイ。

 

G監督いわく
エヴァ教の教祖である庵野監督がさぁ、ハイ、この宗教これで終わりで~す!って感じだったよね」
とゆーのは的を得てますよハイ。

 

いや~、これ以上ないレベルですっきり終わりましたよエヴァンゲリオン

まったく個人的な感想でいえば、映画のラスト、スクリーンを見ながら高橋留美子うる星やつら」の終わり方と同じだ…と思っちゃいました。 

 

なんか20年以上続いたお祭りが終わったって感じで、すがすがしさと同時に寂寥感というか、なんというか…
エヴァンゲリオンって、TV版・貞本漫画版・旧劇場版、それぞれの別の話があるぶんだけ今回の新劇場版もなんか誰か同人誌でつくったよくできた最終回だと言われてもなんか納得しそうな、そんなレベル。

 

それはそれとして、こんな終わり方は一部の信者たちにアレな感じが…という違和感が、まさしくこのブログ

anond.hatelabo.jp

思わず笑いそうになると同時に、気持ちはよくわかる。

 

ま~、なんとも言えねぇ…ネットフリックスでTV版から見なおそうかと思うぐらい、なんか仕事も手につかねぇ…。んでもって、俺は旧劇場版の方が好きかな…。