バブル経済指標

コロナ流行直後の暴落から一転、上りに上がり続けた株価はバブルなのか論。

金曜日にガツンと下げたけど、どーなんかね?

 

以前から暴落が来ると、ずーーーーっと言い続けてる小幡績

blog.livedoor.jp

あたりは、まあ通常運転。

 

ただし、いつも日和見主義っぽい吉崎達彦

tameike.net

指標からしてバブルじゃね?と唱える。
ブログでバフェット指数を紹介している。

 

■指標その1:日本株バフェット指数

nikkeiyosoku.com

細かい解説は抜きにして、100を超えるとバブル
現在、約130なのでバブルといえる。

 

■指標その1:アメリカ株バフェット指数

nikkeiyosoku.com

これも100を超えるとバブル
今、190あたりなのでバブルといえる。

 

でも、このバフェット指数、歴史的推移からして暴落時以外はほぼ100以上ではある。

 

もうひとつバブルの指標として

■シラーPER(CAPEレシオ) アメリカ版

www.multpl.com

20~25あたりを超えてくるとバブルといえる。
現在は35あたりなので、バブルといえる。

 

一方の反対意見?日経平均3万円越え当たり前!論として、株屋のセールスマンを除けば高橋洋一のコメントも面白い。

gendai.ismedia.jp

 

いや~、俺は少なくとも今の日本の株価は日本の金融・財政政策なんかよりもアメリカの影響が強いと思うんですけどね。。

なので、金曜日のダダ下がりの理由はアメリカ国債の利上げの影響が強く出たとしか思えないんだけど…

 

うーん、どーなんですかね?

おクジラさま

IWC国際捕鯨委員会)脱退以降、捕鯨問題のニュースを聞くことは無い。
それでも、まだ捕鯨に関しては根深い問題が残ってはいる。

 

そもそも日本の捕鯨が問題だと大炎上させたのは、映画「ザ・コーヴ」だった。


映画『ザ・コーヴ』予告編

演出なんかは稚拙なところがあるが、プロパガンダとして大成功した。

 

イルカを殺す日本人を絶対悪、イルカを助ける白人=シーシェパードは絶対善である。
勧善懲悪でわかりやすいし、自分の生活に全然関係ないけど、シーシェパードを応援することで自分が社会の役に立てる!と思わせたのである。

 

ところで「ザ・コーヴ」が上映された当時、このDVDを和歌山県のポストに勝手に配りまくってたシーシェパードのひとりが、今でも俺の友人にいる。
そーいう、日本人に迷惑かけるのやめなさい!と注意するとテヘヘと苦笑いして誤魔化すアメリカ人である。

そのアメリカ人が、この映画面白いYO!と俺にススメてきた。
映画「おクジラさま 〜 ふたつの正義の物語 〜」


映画「おクジラさま 〜 ふたつの正義の物語 〜」予告編

ザ・コーヴ」とはかなり違ってかなり冷静に、イルカ漁の漁師とシーシェパードの活動を描いている。勧善懲悪とはなってないだけに、モヤッとしてるのは仕方がない。

 

今度の監督は、アメリカ在住の日本人である。その監督と友人のアメリカ人は知り合いだそうで、監督の日本人はアメリカ生活が長いので正直日本人感覚がわからなくなってると言ってたそうである。

 

それでも、かなり日本人の平均的センス…実際の日本人はイルカやくじらは食べてない。なぜなら、うまくないからである。さらにクジラは値段が高いし、イルカはそもそも売ってない。だからといって、外人にクジラ・イルカ漁を禁止されるのは余計なお世話…あたりは描き出している。

 

この映画では、イルカ漁を行う漁師は、生活のためであるというコトもちゃんと描いている。イルカの値段は以前の半値程度まで値下がりしていて、決して儲かる商品ではないが、それ以外の生活の糧がないのである。

 

一方で、シーシェパードの言い分、そして誹謗中傷、迷惑行為も描き出している。
実際、シーシェパードのメンバー含め、その活動を応援しようと世界中から体を張ってイルカ漁を止めようとする連中が続々と集結してくるのは精神的にも物理的にもコワイ。なにしろ彼らは言葉もわからない敵地に乗り込んでブチ壊そうとヤル気満々なので、和歌山県太地町の田舎の人々が戦々恐々となる理由はよくわかる。

 

まあ、先の"B層の研究"から引用すれば、

torisoba-bekunai.hatenablog.com

 シーシェパード含めてそーいう方々はいわゆるB層である。彼らは暇でカネがあって、手っ取り早く社会正義を実現するため、和歌山県太地町の漁師を攻撃するのだ。そんな彼らへの説得など、キリスト教信者をイスラムに改心させるのと同じぐらい難しいとしか思えない。

 

俺が「おくじらさま」を見終わって、友人のアメリカ人に、この映画の何が具体的に面白かったのかと聞けば、
ザ・コーヴは日本人=悪だった。でも、この映画は日本人とシーシェパード、両方とも同じように描いてるのがいいよNE!」
と、妙にインテリっぽい発言をする。


んじゃ、この映画、シーシェパードの連中に見せたら何か変わると思うか?
「それは無い。彼らに何を言っても無駄だYO」
いやいや、お前もそーじゃないのかね。。しかし、まあお前は日本語もわかるほど日本滞在歴が長いんだし、太地町の漁師の言い分=イルカ漁しか仕事がない、ってのはどう思うのさ?
「生活を理由にイルカを殺すのはよくないYO!それは理由にならないYO!」

なるほど。
いいか悪いかはまあ価値観の違いだと思うんだが、わざわざ外国に行ってまで文句を言いに行くあたりは俺は理解できない。
仮に犬猫を食べる国があったら、俺は不快感は持つが、その国に文句つけるまでの言い分は無いと考えるんだけど、ここらへん"おせっかい"のキリスト教っぽさを感じる。

 

ところで、この映画に出てくるシーシェパードの筋骨隆々の大男(スコット・ウェスト)、って知り合い?
「違うよ。全然知らない。」
見た目スゴイ怖いけど、話し合いに応じたりしてカワイイところあるじゃないの?
「なんで?この人、すごい怖いYO!」

フリッカー・ジャブ

「はじめの一歩」…なつかしいなぁ~と思ってたら、200話ぐらい読んでしまった。

pocket.shonenmagazine.com

3月まで60巻分ぐらい無料で読める。

読むべきマンガとまでは言わないが、当時、なぜか俺の周りは間柴の"フリッカー・ジャブ"のモノマネが流行ったもんだから間柴戦まで読もうかな~と思ったのに、読みだすと止まらんな。。

 

何十年かぶりに読みなおすと、このマンガの基本センスが小林まことであるとがわかる。

現実にあるスポーツをテーマにしたマンガで、文字通り死ぬほど練習すると強くなる、仲間同士で高めあうあたりは少年マンガの王道。ジャンプよりも泥臭いのがマガジンっぽい。

そして、このスポーツ・マンガにおけるギャグの使い方は一二の三四郎、柔道部物語の小林まことソックリである。

 

今の中学生とか、コレは面白いのだろうか?

失敗した2冊

う~ん…新刊で買ったのに、失敗した。


■コンテナ物語
本屋をウロウロしていたら「コンテナ物語」見つける。

 そーいや昔、某Hからコンテナの本を送ってもらった。実に地味な内容だったが良書だった記憶がある。コンテナについての本ってのはそもそも珍しい。こりゃ某Hも喜びそうだ!

ん?もしかして、某Hからもらった本とまさか一緒か?

…いや、表紙の色からして全然違うし。。
と、買ってみた。

 

買った後、あれ?もしかして、やっぱ某Hからもらった本と一緒?
ペラペラめくってみて拾い読みするが、果たして一緒かどうか記憶があいまい…。

まさか…帰ってから本棚を見たら、

 うむ、新装版ってことで、要するに一緒だった!
2800円もしたのに…もったいねぇ。。

 

 

■人新世の「資本論」 斎藤幸平

人新世の「資本論」 (集英社新書)

人新世の「資本論」 (集英社新書)

 

 出た当初、パラっとめくって、あ~…駄目だコレ。。と買わなかった。
しかし、知ってる人が絶賛するもんで、嫌な予感しつつも購入してみた。

 

第一章まで真面目に読んだが、なんだコレ。。
昨今の環境問題をからめてマルクス信奉者が書いた、共産主義者への勧誘本

 

サスガに真面目に読むのがキツくなってきて、後はパラパラと読んでみた。
内容を一行で要約すると、
"実はマルクスは現代を予言していた!ナンダッテー!"

 

これまでマルクスを知らなかった人をダマすか、あるいは共産主義に興味を持ってる人をイイ子だね~って褒めるという内容に、日本ってまだまだマルクス信奉者って多いんだねぇというため息しか出ねぇ。。

 

まともに取り合うのも困るのだが、んじゃ何処がダメなのかと説明すると、昨今の環境問題の本質+マルクスの解釈+歴史的経緯の話になるので、以前のサヨク入門レベルに超・長文になる。

 

んじゃ解説してみろよ!とゆーのならやってみるけど…。
メンドクサイけど。。

ゲロ映画祭

全国3000万人のゲロ映画愛好家の皆さん、こんにちは!

 

あ…ゲロ映画、ご興味ないですかね。。

 

いや、その、決して"ウンゲロミミズ"みたいなガチな奴じゃなくてですね(知らない人は決してウンゲロミミズで検索してはいけません。俺ぁ責任持ちませんからね!)、映画のワンシーンで印象的なゲロが出てくる、そんな映画です。

 

俺ぁ何故か嘔吐シーンがある映画は名作だと勝手に決めつけてるフシがありまして、この際、ゲロ映画をざっとご紹介してみようと思います。

 

1■スタンド・バイ・ミー
ゲロ映画で最も知られている1本ではないでしょうか。
スタンド・バイ・ミー」でそんなシーンあったっけ?という方は下記をご確認下さい。


The Pie-Eating Contest - Stand by Me (3/8) Movie CLIP (1986) HD

 

2■モンティ・パイソン 人生狂騒曲
およそナンセンスな話は変態紳士の国イギリス「モンティ・パイソン」でやりつくしている感はあります。
ゲロもそうで、本作のクレオソート氏の命を懸けた壮絶なゲロは一見の価値があります。
※いろいろ英語しゃべってますが、何言ってるかは関係ないレベル。


Monty pythons, Mr creosote, Full version,

 

3■タクシデルミア
俺のイチオシは、この「タクシデルミア」です。ハンガリー映画らしいんですが、共産圏国家での大食い大会(?)の様子もまるで格式高いスポーツのようで良いのですが、皆が食ってるスープ?がすでにゲロ食ってるとしか思えないです。そして、大会終了直後に選手たちがそろってゲロ吐き場(?)で礼儀正しくゲロを吐きまくる姿は様式美すら感じさせます。


Taxidermia

 

4■チーム・アメリカ・ワールド・ポリス
ゲロが存在価値であるクレオソート氏を除いて、一般人?でのゲロシーンが最も長いと思われるのが本作です。人形劇ですけど。


Team America: World Police (7/10) Movie CLIP - Gary Pukes Forever (2004) HD

この映画はG監督からDVDもらったと思います。有難う御座います。

 

その他、ドキュメンタリー部門では
スーパー・サイズ・ミー
一ヶ月間マクドナルドのみ食べ続けたらどーなるかの映画、はじめの方でゲロ吐いてましたね。


Supersize me Double quarter pounder

 

そもそもゲロ吐く部門
ジャッカス
今でこそyoutuberなんかがとりあえず下品にゲロ吐いてみよう、みたいな映像は山ほどありますが、コトのはじめは「ジャッカス」じゃないでしょうか。


Jackass Especial de Navidad-Competencia de ponche de huevo


これなんかはカメラマンが吐きそうになってますけど、このカメラマン「ジャッカス」でよく吐いてますよね…って、そんな情報いりませんよね。。


JACKASS 3D 2010 - Sweatsuit Cocktail, By. Boyan

80's

ブックオフで、また橘玲の本を見つけた。
「80's エイティーズ ある80年代の物語」

80's エイティーズ ある80年代の物語

80's エイティーズ ある80年代の物語

 

 橘玲の幼少期から今に至るまでの半生記。

面白い。

この本で初めて知ったのは、橘玲別冊宝島の編集者だったということと、その編集部で橘玲の部下(弟子?)が町山智浩だったということ。

後半のオウム事件あたりから怒涛に面白い。

 

高校生でドストエフスキーにはまってロシア文学を学ぶために早稲田大学に行き、そこでヘーゲルマルクス、そしてフーコーなんかのポスト・モダンに傾倒していく…という経緯からして俺とデキの良さが全く違うというのもわかった。

 

(略)これは当たり前のようだけど、歴史や伝統を重視する保守派のひとのなかには、個人の自由よりも共同体の暗黙のルールを尊重すべきだと考えるひとがたくさんいる。ぼくの政治的立場は共同体よりも個人の自由な選択を優先すべきだという「リベラル」だから「共同主義者(コミュニタリアン)」のひとたちとはまったく話があわないだろう。

 

俺自身はかなり「共同主義者(コミュニタリアン)」であろうことを自覚している。
つまりはウヨクである。

俺ぁ橘玲とは話があわないんだろうな…。
しかし本書も含めて、本や映画などサヨク的コンテンツが面白いと感じるのが、自分自身でなんでだろうかと不思議に思っている。

 

…今、少し考えてみたのだが、
例えば文化を考えてみよう。もっと具体的に、日本国内で日本語を使うということは必然的に「共同主義者(コミュニタリアン)」になる。なぜなら、そこに共有化した暗黙のルールがないとコミュニケーションが成り立たないからという実用的な理由である。

 

このとき、個人的に自由な言語は全く通用しない。少なくともお互いに理解しているルールでないと意味不明である。
ウヨク的思考で言えば、歴史と伝統によって形成された日本語をまずは正しく理解せねば正しくコミュニケーションがとれないでしょ?と考える。

 

ただし、言葉というのは、徐々に日々変化していく。日本語を完全に明文化することは不可能である。昔と今とは意味合いが変わった言葉もあるし、新しい言葉もできるが、暗黙的に全体として一定のルールが存在する。

 

そこで個人の自由が…といいはじめたら、そもそもコミュニケーションがとれない。単に個人的な思い付き、デタラメな言葉を使う人とはコミュニケーションがとれない。

 

要するに、俺が感じるサヨク的思考はほとんどがデタラメに感じるのだ。
そのデタラメっぷりを思いつくまま書いてみると、

 

デタラメその1■
単純に言って、人権とか民主主義はフィクションである。
主権は国民にある!とかの文言を文字通りリアルに受け止めて、総理大臣より自分がエライと本気で思ってる人と俺はコミュニケーションがとれない。

 

そもそも人権は国家vs個人でのみ成り立つ。国家権力から個人を守る権利の範囲が人権の意味なんだけども、今や人権は個々人の間で尊重しあうんだよ~というモヤ~っとして意味がよくわからない話が当たり前になってしまって、さらには犬猫クジラあたりの動物の権利まで拡大解釈されるレベルになってしまっている。

 

デタラメその2■
前に人権における自由・平等・友愛について、友愛って変だろ?と書いたが、サヨク的な人が考える自由もおよそ滅茶苦茶なのだ。
古代ギリシャ的な意味での自由は、兵役を含めて国家の義務を果たすことで得られる表裏一体の権利としての自由であるし、フランス革命における自由の意味合いは、商売の自由である。それが、何故か今の日本のサヨク的な方々は、なんでもかんでも自由=無政府主義としか思えない。


四方山に囲まれた自分1人しかいない場所で勝手にしたければ勝手にすればよいが、集団生活を営んでいる地域コミュニティを破壊するのも個人の自由だというのは俺は許さん…というのはウヨク的であろう。

 

デタラメその3■
民主主義が少数意見を尊重する思想だ、という話をたまに見聞きするのだが、一体、どこからこんな奇妙な言説が広まったのかはある意味興味深い。

 

民主主義は少数意見を抹殺するための思想である。フランス革命において民主主義の結果、少数派の王族は文字通り皆殺しにされた。そこまで極端でなくても現代の日本でも泡沫候補の意見など、選挙に受からなければ黙殺しているではないか。マック赤坂は選挙に受かったけど。。

 

デタラメその4■
最近のLGBT問題を日本で本気で考えれば憲法問題になるはずだ。
憲法の第二十四条はこうある

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

この両性をフツーの日本語で解釈すれば、男と女である。

つまり、憲法上、結婚は男女でないと駄目だよ、と書いてある。

サヨクは何故かLGBT問題が好きなのだが、何故か憲法24条を言わない。日本で同性結婚憲法違反じゃないのかね?あるいはLGBT的に憲法改正を!という話を俺はまず聞いたことがない。

 

前のウヨク入門で、ウヨクとは、フランス革命時における人権・民主主義が胡散臭いと思ってる奴であると書いた。
俺は愛国主義者というワケではない。サヨク的思考におよそ批判的なので、いわば消極的ウヨクであろう。

 

…え~っと、何の話だったっけ?
なんで俺ぁウヨクなのにサヨク系ばっかり読んでるかの説明か…また、考えてみよう…