ウヨク入門一歩前 その1 国を愛せよ

左翼の説明はマルクスでちょっと疲れたので以上です。
んじゃ、もう一方の右翼は?

 

左翼の反対勢力です。
お・わ・り。

 

…いや、ちょっと、石を投げないでください。
サヨク入門の一番最初で右翼・左翼の説明をしましたのが、一言でいえば
状況を変えようする側が左翼で、それに反対するのが右翼です。

 

え~、もうちょっと、なんかあるでしょって?そうですね…
右翼は、国を愛している!
お・わ・り

 

…あっ、石を投げないでください。
泣く子も黙る右翼団体一水会の代表、鈴木邦男「左翼は勉強しないとなれないんですけど、右翼は"俺の方が国を愛している!"と言えばすむんです」とコメントしていましたので間違いありません。

 

まー、とにかくサヨクの反対がウヨクなんで、ウヨクのコレと言った世界標準みたいなのは無いんです。


日本だと天皇万歳、みたいなのがウヨクじゃね?と思われますが、一方の中国では、現在の指導者・習近平は昔の共産党指導者・毛沢東を見習え!と言ってるので、中国国内から見れば習近平はウヨクもウヨク、スーパー・ウヨクだと俺は思うんですけど、日本から見ればサヨクなんで、まあヤヤコシイといえばヤヤコシイですね。

 

なので、日本のウヨクは日本のサヨクの反対勢力なので、日本のサヨク史をざっと俺的に振り返ってみます。異論はたくさんあるでしょうけどね…。

 

日本の左翼、日本の社会党共産党の歴史を振り返りますと、はじめからソ連(ロシア)の言いなりでした。
特にスターリンは絶対に正しいということになっていたので、日本の左翼は単にソ連の命令に従っていただけです。
つまり、ソ連共産主義の本店、日本が支店みたいなもんです。
ただし、これは日本に限ったことではなく、世界的に社会主義共産主義の本店はソ連でした。

 

昭和の戦争あたりまでは日本で共産主義ってのはイジメられてました。
それが終戦直後、GHQも乗り込んできて、日本はけしからん!お前ら全員クビだ!
ということで、約20万人ともいわれるトップの人たちクビになりました。
"公職追放"って奴です。
で、その後釜に座ったのはトップになれなかった人、あるいは、サヨクの連中でした。

 

GHQは当初、サヨクにはかなり甘かったといえます。そもそもアメリカはサヨク嫌いのはずなんですが、日本がアメリカと戦争したのは天皇万歳と叫ぶウヨクのせいだ!という理屈もありましたので、その逆のサヨクなんて、まあ~いいんじゃね?というのはわかります。

 

あと、ソ連によるアメリカへのスパイ活動を報告したベノナ(ヴェノナ)文書が1995年以降に公開されました。それによると、実はアメリカによる日本統治については、かなりソ連の思惑が入ってたと記されています。
まあどこまでコレがホントかは知りませんが、記録を読む限り、真実味はある気がします。

 

ともかく、公職追放とGHQの甘い政策で、サヨクは息を吹き返します。
が、サヨクソ連本店・日本支部の関係は1960年代前半まで続きます。
え~っと、ジャイアント馬場アントニオ猪木がデビューしたあたり、1回目の東京オリンピックが開催されたあたりですね。

 

一方、ソ連では「すたーりん!」が終わったあと、続編に「ふるしちょふ!」がはじまりましたが、イマイチ人気がでませんでした。
まあ、「すたーりん!」があまりに最強の魔王だったため、制作者側のソ連もビビッてしまって、自主規制した(スターリン後のNo,1権力者をわざと選ばなかった)もんで「ふるしちょふ!」の魅力はイマイチだったようです。

 

日本のサヨク視聴者もこれでソ連を見限り、中国が制作した「もーたくとー!」を見るようになったんですが、これも続編の「とーしょーへー!」は、あまりにも中国が貧乏だから資本主義も一部取り入れようぜ!と言い出してしまいました。この「とーしょーへー!」が現在の中国経済が発展した要因なんですけど、サヨク的魅力という点ではイマイチです。

 

というわけで、日本のサヨク視聴者は1970年代後半あたりから、ついに日本独自でサヨクとは何か?と考え出すに至ります。

 

その頃、日本は経済は高度成長期です。労働者の給料はどんどん高くなってくるため、貧困は大した問題だとは思われませんでした。

今さら共産革命とかって流行らないよな~、という雰囲気がありました。

 

昭和の時代、ソ連や中国と比べて日本は圧倒的に経済は発展していました。
サヨク系国会議員の議席数はそれなりにありましたが、一般庶民にサヨクのイメージは悪かったといっていいと思います。暴力的だし。

 

そこで社会・共産主義者たちはイジけてしまいます。
俺たちの方がリクツだと絶対に"正しい"のに、それがわからない奴らは馬鹿だ!
俺たちがいかに正しいかを仲間内で競い合ううち、どんどんタコ壺化していき、

一方はさらなる暴力で訴え、

一方では理屈(理論武装)を積み上げていきました。
大島渚なんかの映画は、その頃の左翼青年の苦悩を描いちょります。


大島渚 『日本の夜と霧』 予告篇

左翼の暴力事件はマジ・ヤバいですが、それをひとまずおいといて、
そもそも左翼は理屈そのものです。


マルクスの説明もなにもかも、すべてが理屈です。皆から煙たい目で見られるのは、理屈が甘いからなんじゃね?ということで、徹底的に理屈を掘り下げにかかるようになりました。

 

その徹底的に理屈を掘り下げる、というのは頭が良い人=インテリの大好物です。
なので、公職追放以後、先生とか教授とかマスコミとか、いわゆるインテリ系の職場は左翼一色となっていきます。
もちろん、これは戦中に天皇一色だった流れから戦後のサヨクの流れにのっただけ、というのもあります。

 

んじゃ、その頃、サヨクに反対するウヨクは?

 

理屈に理屈を重ねる左翼の口げんかに勝てる人はまずいませんでした。何しろ、複雑奇怪な革命理論を引っ提げてくるサヨクを受けて立つには、まずはそのリクツを理解しなければならないので大変です。正面切って左翼と議論した右翼で有名なのは三島由紀夫でしょう。当時、右翼が左翼に対抗するにはそのぐらいの知性が必要でした。


映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』予告編

 

んじゃ、なんで今、サヨク側の元気がないのか?
ひとつは、あさま山荘事件です。日本のサヨクの暴力が行きついた先は、凄惨なリンチ殺人でした。これが日本全国にテレビで中継されたおかげで、日本サヨクのイメージはがた落ちになりました。

 

そして最大の原因は、ソ連の崩壊です。
左翼の理屈のうえで絶対正義であったはずの国家、ソ連が、実は滅茶苦茶で、理想郷とは真逆だったことが誰の目にも明らかになってしまったからです。これで左翼側は意気消沈してしまいました。

 

さらに最近では北朝鮮の実情が明るみになったこともあります。サヨクの牙城ともいえる北朝鮮が日本人を拉致している、というのはマスコミも信じていないレベルでした。この拉致被害者が事実である、ということで、ますますサヨクへの信頼がなくなったワケです。

 

暴力は駄目なんじゃね?サヨクってソ連といい北朝鮮といいウソつきなんじゃね?という日本の風潮に、日本の左翼は

1、革命を捨てて人権思想を推し進める方向

2、資本主義の限界はココだ!と指摘する方向

おおよそこの2方向にかじを切りました。

 

あ、またクソ長くなってきたので…

待て、次号!(←少女漫画雑誌「りぼん」の決め台詞)