清野とおる「さよならキャンドル」1巻読む。
清野とおるの初期作品はちょっとアレだけど…「東京都北区赤羽」以後、ハズレが無い。
「東京怪奇酒」も良いが、この「さよならキャンドル」は「東京都北区赤羽」を彷彿させる素晴らしいキチガイ漫画である。
この著者、初期作品を除いて、おおよそ"近所にいる変な人"の狂気を描いたものである。この店、空いてるのか閉まってるのか…この人、話しかけて大丈夫か否か…という日常と狂気の境界線を描くマンガとして俺は好き。
後期■第一章 後漢以後の社会と士人階級
ヨーロッパはキリスト教が国教となったが、中国では後漢より儒家思想・儒教が国教となった。その中心勢力が「士人階級」と呼ばれる人々であった。
士人階級とは何かという説明に「知識階級だ」と書いてあるが、具体的には地方の役人+貴族のハイブリッド型という感じ。
その「士人階級」の特徴は次の3つ。
1、小役人が肥え太る。
儒教によれば、トップの人間は道徳に優れていなければならず、私腹を肥やすなどもってのほか…であったが、その下部組織はやりたい放題だったようだ。
田舎の役人にでもなれば三代続けて裕福に暮らせるという言葉「中飽」があったそうで、これは事実だったと書いてある。
最下層の農民から直接の税金でメシを食う田舎の役人たちは、その子供が役人にならなくても土地を買うことで富裕層であることを維持し続け、人事異動した役人らとも提携して社会勢力を維持し続けた。
なお、あくまでも農民に食わせてもらうシステムが完成していたおかげで商工業を発達させなかったという。
2,田舎の宗教的+知識人的役割
ヨーロッパにおける神父あるいは牧師という立ち位置は、その地域の良識の道しるべになり、同時に権威そのものだった。その立場と同じなのが「士人階級」であった。
国教が儒教であり、その儒教を知るものとして存在する階層であったため、その地域における権威ある立場であった。
歴史的に仏教や道教との争いはあったが、所詮は「士人階級」同士の勢力争いであって、農民たちには関係なかった。
3,知識の独占
今の日本では誰しもが学校に行くことができ、図書館も利用できる。しかし、清以前の中国においては文字通り「士人階級」が知識を独占した。
その知識というのが儒家思想・儒教のため、自然科学はもちろん農業はおろか商工業も進展しなかった原因ともなる。
ただし、役人なるには儒教の試験に合格せねばならない。しかもどんな庶民でも受験できる。
この試験システムのため、かえって社会制度が硬直化したという。
誰でも試験さえ受かれば「士人階級」になれる。
貧乏農家が嫌なら試験受かればいいじゃん!という理屈で、農民らによる武装蜂起などはほぼ起きなかった。
無論、「士人階級」同士の勢力争いはあったし、いわゆる「易姓革命」といわれるものは、単に王朝の交代である。
後漢から清まで約2千年間、この階級制度は維持し続けたのである。