コルニ・グルパ

ン十年前に買ったCD、全く読めなくて誰なのかわからなかった。
ジャケットにはアルファベットじゃない文字がある。
歌は英語っぽいけどそうでもない。
はじめてググってみたら、なんとユーゴスラビアのグループだった!
KORNELYANSの『NOT AN ORDINARY LIFE』

kakereco.com

コルニ・グルパって読むのか。知らんかった。

 

この紹介ページには"旧ユーゴ産プログレ最高峰と言われる傑作"と書いてある。正直、1曲目は安っぽいゲーム音楽みたいで後半になればなるほど良い感じのプログレ

 

…というプチ自慢は置いといて、

問題は相変わらず小島祐馬「中国思想」である。

 

 

第4章 第二次の儒家思想

 

■易
怪しい占い師なんかの言う「当たるも八卦当たらぬも八卦」の元ネタ。
儒家思想、つまり孔子論語から発展したとされる思想であるが、著者によると孔子の後の世代によるものであって、孔子とはそもそも無関係である。

 

基本、陰と陽、プラスとマイナス、みたいな記号の組み合わせで表記するので、ゼロイチ0/1のデジタルっぽく見える。諸星大二郎のマンガにはよく易、八卦とコンピュータが組み合わさった話が出てくるが、当たらずとも遠からず的な感じっぽい。

 

確かに0/1表記なんだけども、易の思想の根本は二項対比と流転といえるようだ。
陰と陽、男と女、昼と夜、静と動…などなど、物事は相対的な性質のバランスの上に成り立っているとして、それは安定せずにグルグル変化する、とする。

ず~~~と表が続けばやがて裏になる、という感じ。

 

八卦、というのは、いわば0/1の組み合わせで

 000

 001

 010

 100

 011

 101

 110

 111

以上の8パターンのことを言う。これがいわば世界の元素記号という思想である。

 

著者の指摘する、易と儒家との最も大きな違いは、男女関係にあるとする。易の根本は男女すなわち夫婦とするが、儒家の根本は親子・父子関係にある。ここらあたりから、そもそも易思想は儒家思想とは違うんだよ、とする。

 

儒家思想で世界の全てを表現することはむずかしかったが、この易や五行の理屈で世界を描くことができるようになったような感じらしい。

 

■五行
先ほどの易は0/1パターンであったが、五行はその名の通り、5パターンで世界を描く思想である。

(全然関係ないけど、五行といえば諸星大二郎の「壺中天」とか五行先生が登場する諸怪志異シリーズは傑作だよね…)

 

なんで5パターンなのか?というあたりはあやふやで、その根拠はかなり古いとされるものの、後世に改ざんされたと思われる。とりあえず、水・火・木・金・土のパターンで世界は分類されるする。まあ、ポケモンの分類みたいなものか。

 

全てが5パターンになるので、季節も5パターン。数も、音色も5パターンに分けていく。本書には書いてないが、五臓六腑の五臓(脾・肺・心・肝・腎)は五行思想から?

 

なお、その世界は易と同じく変化する。ずっと水にとどまらず、やがて火になり木になるとする。五行の「行」という意味が変化するということで、むしろ変化してくこと自体が重要。

 

この水・火・木・金・土を5大元素するという思想は、中世ヨーロッパの錬金術なんかに似てそうだが、著者はその思考とは異なると指摘する。水は生活に使うような水、火も普通に生活に使う火のことを描いてある場合があり、いわば生活の知恵的なものと抽象的な話がごちゃ混ぜになってるようだ。

 

そもそも本書のタイトルが"中国哲学史"ではなく"中国思想史"なのか?といえば、著者いわく「中国に哲学は無かったからだ」と書いてある。

 

哲学と思想との違いは話がヤヤコシイが、ひとつには古代から中国大陸において思想哲学よりは実生活で役に立つもの、ハウツー本じゃないと皆読まないという傾向があったとする。
そして、もうひとつには、人間関係しか重視しないという思考があったとする。西洋では自然と人間といった思考があるが、人間と人間との関わり合いとはいわば社会学的思考である。これが哲学とはならなかった要因だとする。

 

■春秋
要するに歴史書。ただし、理想と現実がごちゃ混ぜになってる。
通説によれば孔子が春秋を描いたとされるが、著者は易も五行も春秋も孔子より後の世代によるとする。

 

孔子から後、一番重要な思想は何かをめぐって、やっぱり一番古いものが重要じゃね?ということで、「俺が思う一番重要な思想は一番古かったハズに違いない」と、次々と捏造していったらしい。まあ、現代でもよくある話ではある。

 

ちなみに孔子の発言集とされる「論語」だが、前半はともかく後半は孔子本人のセリフではないとされる。だんだんと孔子が神格化されていくにつれて「論語」も編集されたらしい。
まあキリスト教新約聖書も3つの聖書が合体したとされるので、よくあるといえばよくある。

 

著者の小島祐馬は本書の冒頭含め、何度も注意しているのは
・古典だからといって全てが正しいとは限らない。

後世の人が文章の前後に何か書き加えたり、文字や文章そのものを書き換えたりすることがある。

大事なのは、その思想が誕生した社会情勢である。
孔子の時代は乱世であるために封建制=階級制度が無いと社会が混乱したままだと考えるべきであり、その階級制度自体は変わらないが、上に立つ人は変わっていく。
高い道徳性を持っている人が階級の上に立つが、その人が道徳性を失うとトップから退くべきである…つまり革命してもよい。とする。
ただし、逆に考えれば革命が成功した場合、道徳的に優れていたから革命できたのだ、と考えることもできてしまうワケだ。

地面師

 

地面師とは、本書の副題"他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団"の通り、土地専門の詐欺師のことである。

 

2017年、積水ハウスが55億円という地面師らによる巨額詐欺にあった。その話には興味があったので読んでみた。

 

う~ん、これは目をつけられたらちょっと無理かもね。。
弁護士とか司法書士とか法律の専門家が騙される、あるいはグルになるケースもある。そんなの分かりっこないように思える。

 

詐欺にあった後によくよく考えたら奇妙な点はあるが、取引最中に気づけるか?といえば多分無理だ。さらに気が付いたとしても詐欺師連中がその場を取り繕うことで判断できなくなるだろう。

 

それに、ある日気がついたら自分の土地が勝手に他人の名義になってる、という事態にはどうしていいのかわからない。警察も民事不介入を理由に、よほど事件化させないとなかなか取り合ってくれない。

 

とりあえず、気を付ける?には
・東京都内など単価が高い・面積が広いなどの土地を持ってる。
・隣近所との付き合いが薄い(なりすましがバレにくい)。
・きょうだいや子供とか相続する人間がいない。

・相続する人がいても外国在住など現地に居ない。

・空き家とか草ぼうぼうとかで管理されてない感じ。
あたりを目を付けられやすい感じではある。

 

地面師は土地バブルの落し子みたいな存在で、
・地面師の首謀者はほんの一握り。
・実際の作業は10人以上で手順を細分化するため各人の罪が軽い。
・首謀者でも数年で出てきて、再犯する。
・法のグレーゾーンなのでそもそも罪に問うこと自体が難しい。
らしい。

中国思想史 第3章

 

第3章「原始儒家に対立せし諸家の思想」 まで読む。

 

■「墨家
墨子による思想。
全知全能の神がいて、人の行動の良し悪しで賞罰を与える。その神以下、人間は全て平等であるとする。ちなみに鬼もいるよ。
この平等思想は徹底しており、家族と赤の他人の間でも差は無い、とするのが儒家思想と最も異なる。

 

人は個々人の正義よりも社会正義にもとづいて代表者を選び、その代表者らがさらにエリアの大きな代表者を選ぶ…といういわば社会契約説に近い。

 

この全知全能の神と社会契約による統治ってキリスト教っぽくね?と思ったら、

むしろヨーロッパ中世の教会政治の思想に傾く可能性が多い。

と書いてある。

 

あと、音楽は不要。豪華なお墓とか葬儀も必要ない。

 

森秀樹のマンガに「墨攻」ってのがあったが、墨子の思想は基本的に不争、争いはいけないが、治安維持において悪人を打つことは仕方ないというのがある。墨守という言葉は、墨子が防御戦術に長けていることからきたという説もある…らしい。

 

■「農家」
まあ字のごとく、農業大事だよね的思想。
ただし直接的な書物は存在しない。

 

なお、墨子にせよ儒家にせよ他の思想派にせよ、おおよそ農業というか第一次産業絶対主義である。というよりも、工業、特にサービス業を憎んでいるフシがある。

 

これは2千年前に商業経済の理解が無かったというのもあるが、そもそも戦争まみれで食うや食わずの状態が続いた時代のため、食い物を生産する奴が一番偉い、というのもわかる。

 

■「道家
道家老子荘子列子による。
ただし、老子の実在はかなり怪しい…というよりも、著者はいなかったとしているようだ。

道家の思想は、自然主義である。ただ、自然がサイコー!というわけでなく、無欲と不争が肝心とする。
無から有が生まれる。人間は自然から生まれ出て、無に帰る。人間の欲が争いの原因となりえる。
「知足者富…足るを知る者は富む」というのは道家思想から。
人間がつくった道徳など自然状態ではないクソだろ!というあたりが儒家思想と異なる。

 

荘子の思想で極端なのは不材=社会の役に立たない人であること、を目指せという。

宮澤賢治雨ニモマケズ」の詩にデクノボーと呼ばれたいと書いてあるが、その詩の人はものすごく社会の役に立ってる。荘子はそんな美談ではなく、例えば身体障碍者や刑罰で足を切られた人なんかサイコーだと書いてある。そういう点を「非社会的、独善的」であると著者は指摘する。

 

徹底して社会から逃避し、無欲を貫き通し、死ぬことでやっと楽になる…というロックで尖った思想である。

 

■「法家」
いろいろいるが、韓非子が最も有名。

法による統治、つまり法治国家であり、国家主義思想である。ここではじめて国という概念がでてくる。儒家による道徳だと国という大きな単位は扱えないとし、法というルールで縛ることで国家として成り立つとする。

 

国家は個人よりも優先されると説く。さらにいえば、個人なり小集団が力を持つと内乱が起こるので、個人は弱小化し、国家権力を強大にすべしと説く。

 

そして、同じく法家ではじめて軍事をOKとする。儒家とか墨家道家なんかは軍事を認めないが、法家は国家のために軍事力は必要であるとする。富国強兵である。

 

…これって、今の国家観じゃね?と思いつつ読んでたら、その通りに書いてあった。

この法家の説は秦の始皇帝が天下を一統した時、その指導精神となったものであり、漢以後においては儒家の思想をもって政治の表面を粉飾したため、政治の態様が甚だ複雑に見えるが、実際政治を指導したものは、後世においてもこの法家の思想である。

 

先日も「儒家」のところで書いたが、儒家は結局最後まで国家を形成する思想たりえなかった、というのがホントのところであるとハッキリわかった。

三島由紀夫 vs 東大全共闘


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映画「三島由紀夫 vs 東大全共闘」見る。
個人的には面白かった。

三島由紀夫には無論、驚異的な知性を感じるが同時に、二十歳そこそこの学生の知性にも感心した。

 

実際に三島由紀夫が東大全共闘約1000人に語りかける映像に、時折、解説するように当時の学生…皆70歳超えてるけど…のインタビューがはさまれる。

 

この議論はかなり抽象的で、そもそも三島の天皇論というか天皇観、左翼学生の理屈をある程度知ってる人でないと、多分、禅問答ようにワケが分からないようにも思う。まあ、その両方に興味が無い人はそもそも見ないとも思うけど。

 

この映画、というかこの討論が現代にあまり取り沙汰されない要因のひとつに、冒頭の三島のスピーチで"キチガイ"発言が連発するからだろう(笑)。昨今の事情で、ややお咎めなしとなってきた風潮で公開できたのかな?とも思わせる。

 

前半、反知性主義について、三島いわく反知性主義というのがよくわからない。単に知性が無いということか、知性の極致にあるものか、わからない。丸山真男は最後まで知性主義だったので君たちに殴られた」と語って、会場が笑いに包まれるというシーンがある。

つまり、三島は左派の学生運動反知性主義だと言っているし、学生たちも自覚している。そして、三島の言う「反知性主義がよくわからない」という意味は、俺が思うに極左思想を含む人権=近代イデオロギー反知性主義によって成り立っている。知性主義による政治とはいわば哲人政治であるが、これは実現したことが無い。従って反知性主義とは単にアホが良いと言っているのか、知性の果てに結局アホによって統治されるべきだ(具体的には投票)という結論に至るのか、よくわらかない、ということではなかろうか。
なので、内田樹反知性主義に関してのコメントはズレてる。内田樹反知性主義=単なるアホによる政治としか解釈していないように思われる。

 

で、一番難解なあたりと思われる部分は、学生の芥(あくた)と三島との議論であろう。

突然、幼子を抱える芥が三島にタメ口で語りかけるあたりから議論が始まるのだが、その議論は文化論のようにも時空間の哲学論のようにも聞こえて、この議論がかみ合ってるのか否かもなかなか理解しにくいと思われる。

 

芥のいう理屈は、個人はすべての世界から断絶することで本当に自由になる=なので全世界から孤立することが正しい、と説く。一方で三島は、生まれ育った文化で個人は形成される=なので自己を肯定するならその文化も肯定するべき、ということで対立している。

 

時間云々の話は、世界から隔絶されたなら時間など何も関係が無くなってしまうという芥に対して、三島は文字をはじめ思想というのは時間を経て形成されるでしょ?という話なのだが、2者ともに、かなり抽象的すぎてわかりにくい。
特に芥の思想については純粋に哲学的というか理想論、非現実的すぎるので理解しにくいものの、三島は瞬間的にその会話に応じていくのには舌を巻く。

 

まあ、この映画、難を言えば瀬戸内寂聴は要らないでしょう。。

2000年以降の少年向け戦争映画

FJO少年が戦争映画を見てるらしい。
とりあえず、俺が思いつく少年向け?戦争映画…昔の映画から考えるととりとめがないので、とりあえず2000年代以降の映画に限って紹介してみる。

 

2001年スターリングラード
 少年オススメ度 ★★★
同じタイトルの映画もあるらしいので注意。2001年公開のやつ。
少年が好きそうな肉弾戦+スナイパー合戦。
俺もこのスナイパー描写は痺れましたね。

 

2002年 ブラックホークダウン」
 少年オススメ度 ★★★
まあアメリカよりの映画だけどアクションがいいです。
やっぱ少年は戦争アクションもの好きじゃね?という一本。

 

2008年 「縞模様のパジャマの少年」
 少年オススメ度 ★
これといって戦闘シーンはなし。
ユダヤ人収容所の映画だが、主人公が少年なので少年向け?

 

2008年 ハート・ロッカー
 少年オススメ度 ★★
アクション有り、オッサン連中の泥臭い戦闘シーンは割と渋め。

 

2020年 「1917 命をかけた伝令」

 少年オススメ度 ★★★
ず~~~~~っと戦場を駆け抜けるだけ、というわかりやすい映画。
映像が最新で臨場感はあるので、飽きさせないと思う。

小島祐馬「中国思想史」

小島祐馬「中国思想史」二章まで読む。

呉智英の解説で

"極めて高度でありながら煩雑ではない。読む者に迎合しておらず、といって初学者を眼中に入れていないわけではない。まことにバランスがよい。

などとベタ褒めするので読んでみた。

 

本書の冒頭、序説はこんな感じである。

中国において書物を分類するに、経・史・子・集または甲・乙・丙・丁と分かつが、これが中国における学問の分類となる。
経とは、もと孔子の刪定し、あるいは編述したものを総称する語で、漢代では詩・書・礼・易・春秋の五経に楽を加えた六経または六芸というものをその内容としたが(略)

ウググ…やべえ…こんなの400ページ以上も読んでられないかも。。と危惧しつつ、とりあえず序章、一章(中国古来の社会状態の変遷)と二章(原始儒家思想)まで読むと、ああ、ナルホドと膝を打つことも多々あった。

 

儒家思想といえばまずは孔子論語である。俺は論語を1年ぐらいかけて読み通したことがあるのだが、結局、よくわからなかった。
誰しも一度ぐらいは論語の一節ぐらいは国語で習ったはずで、その内容は、おおよそありきたりな道徳的な話で、多分、つまらなかったはずだ。

なぜこんな小話集が封建制度の要となりえるのか?という疑問が最後まで残った。
そして、その論語封建制度国家としてどうやって制度化するのか?という部分も謎であった。

 

その点を、本書はバッサリと指摘している。要約すると、

孔子の思想は究極的には"個人主義"である。なぜなら、国家よりも家族(=親)を優先しているからである。(そもそも孔子の時代に"国家"という概念は存在しない)
道徳が優れている人によって世界を治めるべきだ、というのが孔子の思想であり、つまりは道徳的に優れた人が封建制度の上に立つべきであると説く。
封建制度をつくる根本原理は権力の有無ではなく道徳の有無である、と説いたのである。

 

あ~、これってプラトンの"哲人政治"と基本構造は同じなワケだ。
んじゃ、道徳的に優れてるかどうか誰がどうやって判断するの?という部分はハッキリしないため、後世は混乱していくことになる。

 

孔子の100年ぐらいあと、孟子が誕生する。
孟子はマジ孔子リスペクトし、孔子の思想を広めていく。(キリスト教におけるパウロみたいな立ち位置のようだ)そして、ありがちだが孟子独自の解釈を入れてしまう。孟子によれば道徳的に優れているかどうか判断するのは民衆だ!とする。
そして孟子の後、荀子が出てくるのだが、荀子孟子のいわば弱点を批判するような形で登場する。

 

なるほどな~…道徳的に優れているかどうか、自分で判断するとすれば、そりゃ誰しも自分は道徳的に違いない!と判断するだろう。

今の民主主義だって共産主義だってその根本は道徳であるのは同じだ。
その道徳の優劣で階級制度をつくろうとしたのが孔子であり儒家思想であったワケだ。

 

 

■三十歳バツイチ無職、酒場はじめます。

居酒屋マンガだが、普通の居酒屋マンガとは少し違う。
ラズウェル細木の居酒屋マンガとか「ワカコ酒」なんかは基本、客目線だが、このマンガは客数10席程度の小さな居酒屋をどうやって経営するか?という経営者目線マンガである。

 

酒は買ってきた発泡酒や缶ビール、料理なんかは基本、買ってきた総菜とかレトルトカレーとか、いかに手間なく原価率を下げて客を呼び込めるか?というあたりが根本になっている。
…これって、ホリエモンの動画にあった「デパ地下のタイムセールで安くなった総菜をその日の夜に出す居酒屋システム」じゃねーか…と思いつつも、それなりにひと工夫した料理のアイディアにナルホドとは思う。

 

極めてご都合主義的な登場人物と物語の展開は、なんというかリアル版「ミスター味っ子」的なマンガといえようか。…でも…なんか…パッとしない。。

橘玲「スピリチュアルズ」

 

スピリチュアルといえば江原啓之みたいな心底近寄りたくない連中らを連想する語感であって、これまでの橘玲とは真逆である。
もしもタイトルだけなら絶対に読まない本だが、著者が橘玲なので読むしかなかった。

 

この本の中身は、むしろ副題の"「わたし」の謎"である。わたし…人格とか性格とか、いわゆる人間の精神といわれるものの謎とは何か?を最新科学で説明した内容である。

 

本書のあとがきによれば、著者の橘玲は、これまで性格判断に全く興味はなかったがトランプ大統領の誕生ではじめてパーソナリティ診断に興味を持ったという。

 

俺もトランプ大統領が誕生した時、Facebookで大規模な印象操作が行われたと報じられたが、それが具体的に一体どういうのものなのか、全然わからなかった。AIがどうやって人の趣味趣向を判断し、どうやって投票行動までつなげるのだろうか?

 

冒頭、そのちょっとしたカラクリ?を書いてある。
とあるジャーナリストが、そのAIにfacebookいいね!と同じ要領で、200項目のいいね!のデータを提供した。例えば"ターミネーター2"いいね!、とか程度である。
その結果、そのジャーナリストの宗教観、政治観、職業や学歴、大学の専攻科目までほとんど正確に予測した。もちろん直接的な質問は全くないにもかかわらずである。
映画や音楽や読書の趣味程度の全く無関係と思われる項目を集計することで結果、恐るべき精度で個人的性格を言い当てることができるようになっている。

 

本書によれば、人の精神とは主に5つだけ。
・内向的か外交的か
・楽観的か悲観的か
・協調性、共感力があるか
・自制心がどれくらいか
・経験の開放性の程度

(最後の"経験の開放性"はざっくり言って芸術的センスみたいなもの)

で、
これってアンケートか何かで答えるの?といえば、少し違う。

例えば、内向的か外交的かを判断するには

 1,つばを飲み込む。
 2,舌に綿棒Aを当てる
 3,その後、舌にレモン汁をたらし、つばを飲み込む。
 4,同じところに新しい綿棒Bを当てる。
 5,綿棒Aと綿棒Bの重さをはかる。

(※以上はかなり要約した手順)
結果、重さが同じなら外交的、異なる(綿棒Bが重い)なら内向的である。

 

…なんでか?というのを人体の生理学的に説明してるのは興味深い。

 

以前の著作である「言ってはいけない」で、人間の知能はほぼ遺伝で(約70%)決まる、と書いていたが、今回も人間の性格は遺伝でおよそ(約50%)決まる、というものである。

 

橘玲は、人間の知能や性格は進化論で説明がつく、という哲学をもつ。俺もおおよそその方向は支持するが、微妙に疑問も残る。

それは永井均の提示した疑問ともいえる

"何故わたしは、わたしなのか?"

わたしという自我はG監督でもなく某Hでもなく、なぜわたしなのか?

という疑問はぬぐい切れない。

橘玲的立場なら"偶然"としか説明できないだろうが、最も重要な疑問でもある。

 

まあ、この本はG監督読まないと思うのでそのうち某Hに送ります。

※最後でリポーターのスピリチュアルが気になる流しそうめん

https://video.twimg.com/ext_tw_video/1298195420405829632/pu/vid/720x480/En-wsjrYxtaZbsSM.mp4?tag=10