肩をすくめるアトラス

本作を知ったのは数年前だったと思う。その時は絶版で、古本価格はどえらいプレミアがついてた。
で、つい先日、検索したら新たに文庫版が出てた。
確か大長編の小説って聞いてたけど文庫版?と思ったら、3冊セット。

アイン・ランド「肩をすくめるアトラス」

早速取り寄せてみたら、かなり文字が小さいし行間も詰まってて、ぱっと見で文字がギッチギチ。
老眼泣かせだぜ…しかも3冊とも分厚い。

 

う~~~~ん、長いッ。
加えて、読みやすい文章ではない。長文の抽象的な比喩表現なんかが続く。英文訳なんかだとこんな感じの、主語がよくわからなくなる長文多いよね。。
読み終えるのに一ヵ月以上かかったと思う。

 

そもそもこの小説、アメリカ含んで世界的に超有名なんだそうだが、俺はず~~~っと知らなかった。

wikiによれば、

1991年、アメリカ議会図書館と米国最大の書籍通販組織「ブック・オブ・ザ・マンス・クラブ」(the Book-of-the-Month Club)が同クラブの会員5千人に「人生で最も影響を受けた本」を尋ねる調査を実施したところ、『肩をすくめるアトラス』は、聖書に次いで2番目に多い票を集めた。

 

モダンライブラリーが1998年に非学術的なオンライン投票で決めた「アメリカの一般読者が選んだ20世紀の小説ベスト100」で、『肩をすくめるアトラス』は第1位になった。

 

へぇ~。知らんかった。

俺としては70年近く前に書かれた本書をこれまで全く知る機会が無かったことが逆に気になる。
そもそも小説、それも半世紀以上の歴史があるものって、前衛文学なんかを除いてアメリカってのは聞かない。日本かヨーロッパあるいはロシアあたりでもうお腹一杯って感じというのもある。

 

ただ、本書に限って言えば、中身を読めばナルホド、日本で無視される理由はわかる。
個人主義、資本主義こそが道徳的であり、社会・共産主義クソ食らえという小説なのだ。

 

日本では現在でも大学など学術的分野については左派色が強い。
近代日本文学が影響を受けたロシア文学をはじめ、フランスなどヨーロッパ系も基本的には社会主義的思想が濃い。
本書において、税金で食ってる大学の先生だったり、政治家なんかで経済収支を無視して社会福祉の充実を唱えるよーな人を"たかり屋"あるいは"無礼な乞食"とクソミソにこき下ろしている。

 

誰がその原資を、富をどーやって稼いでいるのかよく考えろ、と。
努力やアイディアで社会変革を起こすような実業家に対し、社会福祉の名目で富を強奪する社会が本当に健全なのかよく考えろ、と。

これは日本のインテリ層が黙殺する内容かもな、と妙に納得する。

 

そーいや能力主義、資本主義を道徳的に"善"とする小説って読んだ記憶が無い。
プロレタリア文学ってのがあるが、キャピタリズム文学(?)ってのは聞いたことが無い。
※プロレタリアの逆なんだからブルジョアじゃね?というご指摘については、単なる金持ち、ブルジョアたちも登場するが、役立たずはホントにクソ無能として描かれる。

 

ただし、本書において社会主義共産主義あるいは資本主義という単語は一切登場してなかったはずだが、本書を思想小説という位置づけで読めば、こういう解釈になる。
直接的な説明は無いが、わかりやすく社会主義共産主義批判である。

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本書に登場する人物は無能か有能かに二分されている。
無能な人々は有能な人物に向かって、お前は有能なんだから無能の俺たちに富を分け与えろと陰に陽に主張する。
さらに、単に金を渡すな!無能な者たちの尊厳を守れ!とも要求してくる。

 

無能者たちは、必ずと言って婉曲な表現で、話が長い。
一方、有能な者たちの会話は短い。
「だからどうして欲しいんだ?」
要するにカネが、生活保障が欲しい訳だが、直接要求するのはさすがに下品だ、と無能の者たちも理解している。
そこでさらに婉曲な要求が続くことでウンザリする展開が延々と続く。

 

そんな中、政治的には無能者が勝利していく。
徐々に、有能であるがゆえに富を持つ数少ない人々を追い込んでいく。
組合員の保護であったり、新たな法律をつくることで、生産制限や調整、あるいは生産施設ごとの再配分を強制的にさせ、さらには異様なほどの税金を課していく。
すべては公共の福祉の名のもとに。

 

かつての成功者…巨大企業へと成長させた経営者たちが徐々に消えていく。
優れた商品を開発すればするほど、経営を合理化させればさせるほど、次々と政府に接収され、勝手に分配されてしまうからだ。
責任者になれば、無理難題を押し付けられる。

 

残されたのは、責任を取りたくない、あるいはもとから無責任な者たちだけが生産を担うことになるのが、うまくいくはずもなく、社会全体が徐々に傾いていく…というのがおよその物語である。

 

後半に、突然SF的展開もあったりするんだが、最大の山場は演説シーンだろう。
一章まるごとがラジオの演説シーンで、作中では3時間の大演説ということになっているが、俺はこの演説を読むのに3日はかかった。

 

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読後の素直な感想でいえば、少女漫画っぽかった。

 

基本的には、超やり手の鉄道会社・女性副社長ダグニー・タッガートを中心に物語が展開される。
そして、革命的新素材の開発に成功したイケメン社長、鉱山をいくつも所有する世界的資産家のイケメン、とある意思に基づいて海賊となったイケメン…って有能なイケメンたちとダグニーとの関係が描かれる。

その他の無能のクズ男たちはダグニーになんとかしてもらおうとすり寄ってくる。

これってずいぶん古典的な少女漫画的展開だよなぁ。

 

1957年の小説ということで、今から…え~っと…66年前か。
まだソ連が元気な頃というか、53年にスターリンが死んだあたりで59年にキューバ革命ってあたり。

 

著者はソ連の社会にいわば絶望し、アメリに移住した経緯があるようだ。
だからこそ、ここまで書ける、というのはわかる気もする。
そして、半世紀以上前の思想小説だからと全部が古臭いわけでもない。
現代でも、したり顔で説教する学者やマスコミなんかの主張は、まさしく本書における"たかり屋"だ。

 

一方で、本書にすべて賛同できるかといえば、それも考えさせられる。

 

まあ、そこらへんは某Hにも考えてもらいたい、と半ば嫌がらせで3冊とも送ってみた。

あと、登場人物の多くは巨大企業の有能経営者たちで、無能な連中は俺たちの「邪魔をするな」という主張が強く語られる。ここらへん、巨大企業の経営者ともなれば理解の度合いも深いのかもしれない。

その感じ、末さんはどう感じるのか「ジョン・ゴールトって誰?」と興味本位で聞いてみたい気もする。