前回までのあらすじで…
日本の左翼は
1、革命を捨てて人権思想を推し進める方向
2、資本主義の限界はココだ!と指摘する方向
へとかじを切りました。
1、革命を捨てて人権思想を推し進める方向
人権思想を推し進めた結果では「フェミニズム」云々、最近では「LGBT」とかなんとかあたりでしょうか。
共産主義の根底に人権がある、というのは前のサヨク入門一歩前で書いた通りです。
が、暴力革命の無い共産主義なんて、クリープのないコーヒーみたいなもんです。
そーいえばクリープ、最近見ませんねぇ。え?知らないですか?クリープ…
1985年CM 名取裕子 森永クリープ 小林麻美 SEIKO
って古すぎてわかんねーって?そうですか…
2、資本主義の限界はココだ!と指摘する方向
一方、資本主義の限界はココだ!という方向性では、環境問題と経済政策とかです。
サヨクはエコロジー・環境問題が大好物です。
1970年代にローマクラブが「成長の限界」を発表して以来、環境問題が取り沙汰されるようになり、日本でも石油ショックなんかで大問題、原発大爆発もありましたし、つい最近ではレジ袋が有料化になりました。
(※レジ袋を有料にするとなんで環境問題が解決するのか俺にはサッパリわかりませんが)
サヨクが環境問題を好きな理由…それは、ヘーゲル哲学をもとにマルクスが唱えた「資本主義が超発展したら、その資本主義の内部から問題が起こる」のと同じ理屈だからです。
ん?だったら、マルクス的に考えれば、技術の向上と機械化で環境問題もクリアできるんじゃね?という方向も、これまでのこのブログを読んだ方にはご理解いただけると思うんですが、多くのサヨク側は、環境問題は資本主義の限界の証拠だ!革命の日は近い(?)と思っておられるようです。
ちなみに、東日本大震災で原発が爆発した際、まさしくマルクス的理由で原発賛成!と言い切ったサヨクは吉本隆明だけなんじゃないでしょうか。
で、もうひとつの経済に関してですが、最近、本屋で"脱成長"とか"クソ年収で豊かに暮らせ!この貧乏人め!"などという本を見かけますが、ここらへんも現在のサヨク活動の特徴と言えましょう。
興味深いのは、そーいう本を書いてる著者は、失業の心配のない大学の先生だったり、金持ちだったりというトコでしょうか。まあマルクスもボンボンでしたし、勉強できたのは資本主義ロンドンの図書館で無料で本を読めたからですけどね。
そして、サヨクの好きな経済政策は、福祉社会の推進です。
子供の教育や老人医療、そして貧困層が豊かに暮らしていける社会を目指すというのがサヨクの目標です。だれもが平等に、というのは俺もいいと思うんですが、その手法にはかなり疑問があります。その福祉の財源として税金ガンガンいこうぜ!というのが俺には引っ掛かります。
今がバブル経済ならともかく、税金増やしたらもっと景気悪くなって余計駄目になんねぇ?と俺は思うんですけどね。今の経済状況でサヨク政党も消費税増税OKって…国民困るっしょ?福祉に反しねぇの?
んでもって、ちょっとテクニカルな話になるかもしれませんが…
財政均衡(プライマリーバランス)とかっていう言葉をニュースか何かで聞いたことないでしょうか?要するに、国が借金してるのはよくないので借金返済しようぜオラァ!という話です。自民党はともかくサヨク系政党もみんなコレを言います。
個人の福祉が大事なら国の借金なんて後回しでいいハズです。
日本の国の借金が1千兆円?知るか!ボケ!というのが正しいサヨクのハズです。
「いやいや、国家が破産したら元も子もないでしょ?」
という議論がありますが、現在の国債利回りを見る限り、世界でもっとも破産しない国は日本としか言いようがありません。
もし、日本が独自で通貨発行できないような発展途上国だったら、俺も借金返済した方がいいとは思いますけど、そーではないですよね?
「いやいや、いずれ日本は借金で破産する!」
というのは、サヨク得意の日本経済ダメ論の根拠でよく言いますけど、このブログで書いたとおり、マルクスが唱えた"資本主義に限界が来る"という話と一緒だと思いませんか?俺には"資本主義に限界が来て欲しい"に聞こえますけどね。。
そりゃまあ100年後か1000年後か10000年後には日本は破産するかもしれませんが、そりゃいつだよ、って話です。んでもって、今の物価変動と国債利回りからして、破産する確率は日本は世界中でイチバン低くね…?
そもそも世界的にみれば、財政均衡というのは財政タカ派=右翼的発想です。一方で国の借金が増えても福祉にまわそうぜ!というのが左翼的発想です。いやマジで。
なぜ日本のサヨクが財政均衡(プライマリーバランス)なんかを言うのか、俺には理解できません。
えーっと、何の話だったっけ…?
ともかく、俺が考える右翼と左翼のイメージ図は以下の感じです。
日本のウヨクは、個人を中心に同心円状に個人→家族→故郷(地域)→国家(天皇)、という国家感を持っているとイメージしています。
これを図A-1とします。
ウヨクといえばナショナリズムという言葉があります。日本人全員が一丸となって範馬刃牙みたいにやっちゃえ!という感じでしょうか。
具体的にはそうですね…自分の国に愛着があって、それを外国人に踏みにじられようなら、イヤな感じがする、そーいう感情がナショナリズムだと思います。最近だと日本の尖閣諸島に中国の船が!なんてニュースを聞いて、なんかムカつく!って感じです。
これが遠い外国の話なら、別に感情的にはなりません。ロシアのクリミア侵略とか、まあ知らんけど大変そうですね、ぐらいで終わりです。
その尖閣諸島に思い入れのある日本人、ましてや行ったことがない日本人の方が大多数のはずなんですが、なんでそんな感情になるのか、それがナショナリズムです。
近代国家である以上、国民は何らかの統一感がないとバラバラでまとまりません。江戸時代あたりまでは"お国はどこ?"と聞かれたら"会津藩だべぇ~"とか、今の都道府県ぐらいが国の範囲でした。今でもクニと言えば地元という意味でも使いますけども。
それが明治以降、日本という近代国家ができたので、図A-1の一番デカい円=国というまとまりが必要になりました。そこで、日本はあなたの国ですよ、という物語が明治以降に語られるようになり、今ではすっかり、まるで生まれながらにして持っている感情のようになった、という話です。
そこらへん、江戸から近代日本国家の成り立ちを描いたマンガに、みなもと太郎「風雲児たち」があります。オススメです。
もちろん、日本に限った話ではなく世界中の国民は多かれ少なかれナショナリストです。そうでないと国が成り立ちませんし、現在、国という枠組みは否定できません。
良いか悪いかは別として。
一部のサヨクが「俺たちは地球市民だ!」とか言いいますが、そーいう寝言は日本国籍を離脱して地球市民でパスポートを取得してから言って欲しいものです。
一方で、サヨクは、個人は個人ごとに階層なくバラバラなんですが、共産主義という思想でまとまっているイメージです。
これを図B-1とします。
この図B-1、サヨクの世界観の"共産主義"の文字を"キリスト教"と置き換えても同じです。
以前に共産主義はキリスト教と同じだと説明しましたが、これは西欧型個人主義、近代的な個人のイメージでもあります。
ちなみに、図B-1の"共産主義"を"天皇"と置き換えると、八紘一宇と同じになります。
図B-1と同じですが、これを図A-2とします。
八紘一宇とは、天皇のもとで誰もが平等という考え方です。
これが右翼といえるか左翼といえるかは面白いところです。
この図A-2、八紘一宇的な発想で、日本と満州国とを並列に満州国を導こうとしたのが軍人・石原莞爾だと俺は思います。
そこらへんの五族協和、満州国や石原莞爾なんかの話が、安彦良和「虹色のトロツキー」ってマンガに描かれています。オススメです。
同じくこの八紘一宇的な発想で、日本と韓国とを並列に発展させようとしたのは伊藤博文だったと俺は思っています。
前のブログで、伊藤博文暗殺についての本を紹介しました。
torisoba-bekunai.hatenablog.com
伊藤博文は図A-2タイプだったと俺は思います。一方で、山県有朋なんかは図A-1タイプで、あくまでも韓国は日本の一部であるべき!並列というのは許さない!という考え方だったと思います。
日本側の図A-1タイプらにとって、伊藤博文は邪魔だったのです。
そこで、日本側の図A-1タイプとしては、伊藤博文も図A-1に違いないと思い込んでいた安重根を鉄砲玉にして、伊藤博文を暗殺させたんじゃね?というのが、先のブログの本からの推論です。
実際、韓国を日本の国の一部とする=韓国併合は、伊藤博文暗殺後に成立しました。
現在、韓国は安重根を韓国的ウヨク・ヒーローとして祭り上げていますが、そう考えると実に悲しきヒットマンです。俺としては、逮捕後の安重根の潔さには感心するものがあるので、別の意味でヒーローとするのは理解できます。
…ともかく、実は安重根は日本側に操られただけじゃね?ということから、上記の本の著者はさらに調査をしようとしたんですが、現在、韓国側は調査を拒んでるそうです。まあ、韓国側の物悲しい事情はヒシヒシ感じますけど。
というわけで、ウヨクの話はおわり…え?ウヨクといえば天皇だろって?
う~ん、日本の国の制度としての天皇は理解できますが、崇拝対象としては理解できません。
ウヨクの方は、多かれ少なかれ天皇への個人崇拝が混じってるとしか思えないので、ウヨクとしての天皇の解説は、俺はできません。
正直、明治時代以前・以後で天皇は全く違うと思うんですよね。
この話はいずれ…ってまたクソ長いブログに…