「難しい」はムツカシイ?

この歳で資格試験を受けてたんだよね。。
難しくはないが、範囲が広い。
勉強したのは数日とはいえ、しばらくこのブログの更新が無かったのも微妙な緊張感で余裕がなかったからである。

 

息抜きにエッセイを読んでたら
「むつかしい」表記が気になった。
オッサン向きの教養とは何か的な内容なので、子供向けではない。
なので漢字にしない理由も無い。

 

「難しい」じゃダメなのか?
「むずかしい」じゃなくて「むつかしい」が正しいのか?

 

と思って、google先生に聞いてみたら
文化庁に一応の回答があった。

文化庁 | 国語施策・日本語教育 | 国語施策情報 | 第5期国語審議会 | 語形の「ゆれ」の問題

結論からいえば、どちらでもよい。

 

そのホームーページに「六ヶ敷」と書いて「ムツカシキ」と読むとあるが、これは古文書に登場する。そもそも江戸時代の古文書においては当て字は当たり前であって、発音があっていればよい。
その漢字の意味が文章とあってるか否かはどーでもいい。
なので、古文書は漢字が読み取れたからといって、文章が理解できるとは限らないのだ。

 

それを古文書を少しかじった時にはじめて知ったが、これでさらに古文書解読がいかにムツカシイかを思い知った。

ワクチンの話

ワクチンの話は興味深い。

なぜアメリカはこれほどの短期間でワクチン開発が可能だったのか?
吉崎建彦の日記「かんべえの不規則発言」5月26日が面白い。

tameike.net

もともと短いが、さらに要点だけ書くと、

開発してる最中に、イケそうなものがあれば治験(有効性の有無、副作用などのテスト)とワクチンの生産、さらには配布と接種の準備を同時並行に実施した。

アメリカでも日本同様に様々な組織があって縦割りはある。そこを軍人、陸軍大将がトップの組織編成で垣根を超えるという有事体制によって乗り越えた

という話である。

 

一方、日本でコレができるか?といえば、法治国家がぁ~憲法がぁ~というハナシを超えることがタブーだった。

確か塩野義製薬がワクチン開発していると聞いたが、治験が終わらないという。それを超えて生産・配布・接種などは日本だと法律の壁を破れない現状は良いのか悪いのか?

 

少し前に、日本政府は歯科医でもワクチンの注射が打てると通達したが、これは違法行為である。

日本政府という統治権力が法をあえて無視したのである。
しかし、政府がこんな違法行為を推奨した理由は素人でもわかる。国会を経て法改正をするなら半年はかかるからだ。

 

今回のケース、法治国家がぁ~と、普段、声高々に唱えるいわゆる良識派といわれる方々からの非難は聞いたことが無い。

 

さらに変なのはワクチンを絶対公平に!という主張である。

予約キャンセルで廃棄せざる得ないワクチンがあれば、その場にいる人間にどんどん打つ方が効率的でしょ?という当たり前の話に反対する神経がよくわからない。

公平に分配できないならワクチンを捨てろという主張を本気でしているように見える。
公平vs効率の対立は、有事において不毛である。

 

震災の時にもあったが、100人の避難民におにぎりが90個しかなければ、すべてのおにぎりを破棄すべきだ、という主張を本気で正しいと思っているのだろうか?

 

現在の日本の法律は平時でしか役に立たない、というのがよくわかった。有事体制の議論をタブー視したことで、結局は国家権力によって超法規的措置をとってしまったのだ。

 

あと、これは噂レベルだが、今回のmRNAワクチンと呼ばれるワクチンは、米軍が開発していたという。民間企業が先進国で流行してなかった病気の研究、それも通常10年以上かかるようなワクチン開発はしないというハナシもわかる気もする。

 

あと、日本のワクチン普及について面白いビデオがある。
須田慎一郎のyoutube

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これも要点を書くと、
ワクチンを打つのは無料だが、そもそも税金がかかってるんですよ、というハナシ。
それも、いくらでワクチンを打つのか問題は医師会がかなり抵抗した。医師以外が注射するのも医者の利権を脅かすので医師会が反対したという。

 

で、平日ワクチンを一回(一本?)打つと
国が都道府県に2070円支払う。さらに都道府県は医師に支払う、という仕組みである。
休日は4200円である。
もし、都道府県が大規模接種会場をつくれば、その経費が引かれて医師に支払われる。なので、大規模接種会場は医者は積極的に動かない。
和歌山県は経費を引かずにそのまま医者に手数料を支払ったので接種率が高くなった。

 

そして、7月末の期間において特別ボーナスとして
週100回以上すれば一回2000円加算
週150回以上すれば一回3000円加算
一日50回以上なら日額10万円支払うという。

つまり、7月末までに平日週150回打てば一回につき5070円、150人打てば合計76万5百円。

これなら医者もやる気出るでしょ?というハナシ。

 

ともかくオリンピックはやるらしい。

社説でオリンピック反対と言い出した朝日をはじめ、すべての日本の大手マスコミは五輪のスポンサー契約でそれぞれ60億円支払ってるので、いざオリンピックがはじまれば、手のひら返しで大キャンペーンするのは目に見えている。

 

その後は国政選挙だし、まあ、オリンピック終わったら内閣支持率は上がる気がするけどね…。選挙前にコロナ大爆発したらダメだろうけど。

グリーンブック

「グリーンブック」見る。よかったですよ。


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オバマ大統領就任直後から、こういう黒人差別問題を扱った映画は山ほど公開された。ハリウッドは山ほど脚本をストックしていて、状況に応じて製作して公開する仕組みであることは知られているが、それぞれ質が高いのにも驚かされる。

 

本作もまあ、紹介動画が全て説明してしまってるけども、
要するに黒人差別問題を扱った黒人と白人との友情物語である。

 

ほぼ全てが予定調和なんだけども、演出がウマイ。

 

極力説明は無いし、感情的な場面も極力抑えている。
ふとした行動、目線なんかで状況説明と感情表現をしている。

 

こーいうのを邦画ですると、セリフで説明したり、あからさまな演出で良くも悪くもわかりやすすぎるようにつくるだろう。

邦画の客層は凄いバカを想定する。
この人は怒っているのか泣いているのかを、真っ赤な顔で「怒ったぞ!」、泣きじゃくりながら「悲しいなぁ」とか、非現実な演出…まるで舞台演劇のようにわざとらしく演技させる。
そうじゃないと馬鹿の客にわからないと言わんがばかリである。

 

一方で、本作は演出は抑えている。
例えば、主役の黒人は裕福だが、ある場面でド貧困の黒人が労働している場面に出くわすのだが、お互い、少し手を止めて目を合わせるだけ。これですべてが説明されるようにできている。

 

無論、クライマックスになると感情の爆発はあるが、それは爆発せざる得ない状況がそうさせることでうまく誘導する。実にウマイ。

 

…ただ、俺なら残りの数分は蛇足だった。
俺が監督なら、最後、主人公の2人が雪の中、ひとりは車を降りて、ひとりは車に乗り込んで「メリークリスマス!」と去っていく。このシーンで終わらせるけどなぁ。。

i-新聞記者ドキュメント

某Hが微妙だけど見ろよぉ!とゆーので森達也「i-新聞記者ドキュメント」見る。


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ナルホド、某Hが"微妙だった"という感想もわかる。

パッと見た感じは東京新聞の望月衣塑子が主役のドキュメンタリーなのだが、どんどん話がズレてくるからである。

 

当時官房長官だった菅を悪、望月を善として描こうとしつつも、中盤から監督の森達也が官邸になぜ入れないのか?という話が割り込んできて、グダグダしはじめる。

 

辺野古基地問題はまだわかりやすく演出されているが、前川喜平や伊藤詩織、籠池夫妻らに関して説明は無いので、事前にこれらの人物を知ってないと多分わからないだろう。

望月を介して当時の事件の中心人物を次々と映すので、これ…何の話だっけ?という感じにもなる。

 

要するにこの映画は森達也プロパガンダなのだ。

 

常々、森達也は公正中立な報道などありえない、と明言しているが、俺もその通りだと思う

本作はいわゆる左翼、リベラルの立場を表明している森達也プロパガンダ映画としてみれば、すべての内容にスジが通っている。

望月衣塑子は、たまたま森達也の身代わりとして映っていると見ればわかりやすい。

 

しかしながら、森と望月には決して相いれない違いがある。
それは、フリーの森と、サラリーマンの望月の立場の違いである。

 

そもそも論として言うのも当たり前すぎてアレだが、
報道は商品、売り物、カネをもらってなんぼである。
望月がなぜ新聞記者として記事が掲載できるのかといえば、東京新聞の読者がカネを払ってでも読みたいだろう、と東京新聞側が判断したからである。

 

民主主義のためとか人権のためとか云々で報道したいなら無料でやればよい。
本気で中立公平というならカネを受け取っては公平性に欠けると思わないのか?

 

広告をとるなど単に資本主義そのものではないか。
最近はどの新聞社・テレビ局も不動産収入が多くなってきているが、それも民主主義のためなのだろうか?

 

おそらく森はカネにならない報道などクソだということをAシリーズで痛切に感じたはずだ。名作映画「A」「A2」のAシリーズは結局カネにならず、ついに3作目「A3」はカネがなくて映画化できずに書籍となった。

 

本作の映画は、森や望月をすでに知っているような政治的立ち位置の顧客層に向けての作品である。
なので、こまかい説明などいらないのだ。
森も望月も知らない人、あるいは嫌悪感を抱いている人はそもそも見ない。

 

なぜ望月が官邸に入れて森が入れないのか?それは記者クラブ制度があるからである。
その記者クラブの説明は一応はされているが、歯切れが悪い。
なぜなら、記者クラブは新聞屋の利権である。そこをツッコミはじめると、東京新聞産経新聞も読売も毎日も朝日も敵に回す。森はフリーなので記者クラブ制度にケンカを売ることで視聴者から喜んでもらえるが、望月は記者クラブ側である。
望月は森の批判する東京新聞の利権を批判できない。

 

警察官に囲まれながら官邸に入る望月の後ろ姿と、待ちぼうけを食らう森との対比が演出されているが、これで望月と森が敵対関係に見えてしまうあたりが妙に本作のちぐはぐさを感じる要因でもある。

 

記者クラブ制度を批判したいなら、日本の記者制度を批判せねばならず、日本独自の企業内労働組合も批判せねばならず、泥沼になるのがわかってて描かないのもプロパガンダだと思えばスジも通る。

 

またそもそもの話になるが、報道、というのは少なくとも日本では江戸時代から政治的である。要するに相手の悪口を広めておとしめるのが瓦版=報道の役割であった。
誕生以来、報道は常にビジネスであり政治的である。

 

再度繰り返すが、新聞やテレビ、ネットのニュースも含めて、これらは単に商売である。
広告主、読者・視聴者に向けてサービスを提供し、カネをもらうという商売だ。
ジャーナリストに特別な倫理観・使命云々がある、あるいは必要だと思っている連中は、単に勘違いしたエリート意識である。

 

…しかし、最後の方のアニメ、いる?

完全にドキュメンタリーを放棄して、なんか筋肉ムキムキのマッチョに変身して周囲を威圧するアニメって…「森は暴力振るいたいだけ」というG監督のセリフを思い出さざるを得ない。
アニメは無かったほうが良かったと思うんだけど。。

見栄っ張り

10年以上の付き合いになるが、仕事の関係で年に一度会うおばさん、というか、おばあさんがいる。

 

もともと貧困とまではいかないが平均以下の家に住み、古い軽自動車に乗っていた。やがて昭和の匂いのする文化住宅に引っ越しした。

 

引っ越しした当初、こんな家で恥ずかしい、みたいなことを言ってきたのだが、そういう人はごまんといる。

「いやぁ~この周囲はそんな家ばっかじゃないですかぁ~」

と俺は適当に誤魔化して答えた。

実際、ほぼ交流の無い俺にとってはどーでもいい話だった。

 

そして、数年たって、今度は古い軽自動車だとカッコ悪いという。
なので、もっと新しい軽自動車…それも中古だが…に乗り換えたいという。

 

俺は、ああ、そうですかと答えるだけだったのだが、妙に考えさせられる。
俺のように彼女にとって無関係な人から見れば、そんなどうでもいい見栄っ張りは滑稽にしか思えない。

 

しかし、俺もそんな欲求があるのは間違いない。
裕福層から見れば、俺のカッコつけなど滑稽に違いない。
ただし、その滑稽な様子を俺本人は頭で理解したところで感情で理解できないんだろうなと思うのだ。

荷物、受け取りました。

某Hの荷物受け取りました。ありがとう。

 

■シャープのマスク、これ確かマスク騒動の時にえらい高値で取引された奴じゃね?なんかわかんないけど、ありがと!

 

■漫画太郎の絵本「ももたろう」は子供が4回ぐらい笑い転げて読んでました。
ちんちんとケツ表現がお気に入りの様子です。

 

ちなみに漫画太郎の代表作「珍遊記」の元ネタはもちろん西遊記ですが、その参考文献として編集者が漫画太郎に持ってきたのは諸星大二郎西遊妖猿伝」だったというのが俺のツボです。

 

沖田×華は「透明のゆりかご」を読むのが精神的にキツイので他のもあんまり読んでなかったんですけどこの作者、自身が発達障害であると自身のエッセイマンガ「毎日やらかしてます。」で語っている。

 

「不浄を拭うひと」はネットで1話だけ読んでました。
ま~、俺も実は遭遇したことあるんですけど…2回。今後は増えるだろうね…ともかく、ニオイが独特なんだよね。。

 

何というか、沖田×華はよくぞここまで描けると感心する。普通の人レベルの共感性があると精神的に参ってしまうような状況を事細かく説明できる能力は凄い。良い意味で空気を読めない、あるいは読まないのかも知れない。

 

■DVD「闇の伴走者」…ここだけの話、何年も前にG監督からもらったんだよね。。でも見てないんだよね。。面白かった?

 

ちばあきお、まあ子供が読めるようになったら学習漫画的に読むのも良いと思います。

 

■今回の本題は「イスラエル諜報機関 暗殺作戦全史」であろう。
ゆっくり読ませてイタダキマス。

環境危機をあおってはいけない その2

例えば、現在の出生率の世界平均は何人かご存知だろうか?


ある程度年齢が高い人は学校の授業で「人口爆発が起きていて、このままでは食料が足らない、資源が足りない、地球がもたない!我々は宇宙船地球号の乗組員なのだ!」という話を聞かされたはずだ。


なので、出生率はすごく高いだろう…5人とか、それ以上かな?と思いがちである。

 

「FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」

この本によれば、現在の出生率の世界平均は約2.5人らしい。
もはや発展途上国平均ですら夫婦で子供は3人できていないのが現状だ。

 

上記のFACTFULNESS(ファクトフルネス)は、おおよそ昔学校で習ったような世界危機云々の話は、今や状況が全く異なっているのだよ、という本である。

 

環境問題も同じである。
昔、大問題だ!と喧伝されたものは、実はそーでもなかった、というのは多く存在する。というのが本書「環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態」の趣旨でもある。

本書で大事なのは、環境問題は現状のデータからして誇張されているが、全くないワケではない。ということ。これが第一章の趣旨だ。

環境問題はそれぞれ改善の余地はあるが、100%改善しようとするとコストがかかり過ぎて不効率あるいは不可能である、という内容ともいえる。

 

冒頭の出生率のハナシに戻ると、
例えば内閣府のホームページを見てみると、人口増加のグラフがある。

www8.cao.go.jp

「第1‐補‐1図 世界の人口の動き」の右肩上がりのグラフを見れば、やっぱりスゴイ勢いで人口が増えてる!と感じる。

 

しかし、出生率は2000年代以降3以下である。何か奇妙に感じないだろうか?
実は、2050年頃に世界人口の増加はほぼ終わり、2100~2200年頃の予測は、ほぼ横ばいとなるのだ。

 

では、食料はどうなのか?人口増加による飢餓・栄養失調問題は?

 

現在、食料は、現在の全人口をささえるのに十分な量が生産されている。
これは、小麦なんかの生産量と価格を見れば一目瞭然。
小麦の生産量はソ連崩壊時を除いて増加しており、価格は下がる一方である。
つまり、飢餓の原因については政治と輸送コストの問題といえる。

 

では、エネルギー問題は?
石油の埋蔵量と消費量をグラフにすると、毎年のように発見される油田、さらにシェールオイルなどの技術革新における埋蔵量の増加と比較すれば、全世界の石油消費量の増加はさざ波程度に過ぎなくなってしまう。

 

…と、世界的に問題とされた様々な環境問題について疑問を投げかける内容である。

ここらへんまでが第2部ぐらいの話なんだけど、とにかくこの本は分厚い。
2段組みハードカバーで580ぺージ以上の論文なのでなかなか読み終わらない。