魏晋南北朝時代の経学

■US-2 救難飛行艇開発物語

う~~~ん。
飛行艇好きにはタマランだろうけど、マンガの物語としてはちょっと。
かなり真面目に技術の説明をしているので、高校生以上じゃないと理解するのはむつかしいんじゃないかという内容。

 

マンガとしては、基本、登場人物は皆、開発者としての気概があるよーな人ばかりなので、悪人がいるわけでもない。
これまでの技術をふまえて、どのような要望にどのように答えていくかをある意味淡々と解説しているようなマンガ。

 

■ゲイバーのもちぎさん

 

う~~~ん。
面白いんだけど、この著者の他の本よりも面白いかと言われたら、どうかな…いや、一定レベル以上は面白いけど、なんかこれまで以上にスゴイ絵が雑になってるし。。

 

 

後期■第4章 魏晋南北朝時代の経学

後漢が終わり、魏晋南北朝時代=いわゆる三国志の時代、中国の思想はどうだったのか?

前回、後漢時代にすげえ秀才・鄭玄により儒教の学問=経学がまとめられた。

その後、基本的には鄭玄による経学であるものの、それ以外には3つに分類される。
 1,同じく儒教だが鄭玄を批判するタイプ
 2,老子道家思想から儒教を批判するタイプ
 3,仏教から儒教を批判するタイプ

 

ここらへんから、老子荘子思想が儒家思想とごちゃ混ぜになりつつ発展しはじめる。むかしから道教は人気があり、国教としては儒教だが、そこら辺いいとこどりしようとして混ざっていく。

 

同じく、印度からの仏教が伝来し始め、その仏教思想で儒家思想を読み解こうとする一派も登場しはじめた。

 

4章の雑なまとめは以上。

まあ、日本も古来の神道と、印度からの仏教はかなりごちゃ混ぜになって発展してきた。天皇は純粋な神道だと思われがちだが、それは明治政府が作り上げた幻想を含んでおり、その証拠に歴代の天皇の墓は仏教の寺にある。
なお、明治維新前後からは西洋思想が一気に浸透し、さらに敗戦を経て、宗教とは何かを考えることはほとんどなくなった。

中国工場の琴音ちゃん

中国工場の琴音ちゃん

 

古本屋で1,2巻100円だったので買った。なかなか面白い。
著者は「中国嫁日記」の井上純一

blog.livedoor.jp

実際に存在する中国のフィギア工場での出来事を4コマギャグにしてある。
確かに日本との文化の違い?はほぼノンフィクションでギャグになるっぽい。

 

1巻ではまだまだ中国は発展途上で賃金が安かった描写だが、2巻では徐々に日本を追い抜いていく感じがよくわかる。

俺は全くフィギアに興味は無かったが、このマンガでフィギアの現状がぼんやりわかった、気がする。

・企画から出荷まで半年~1年ぐらいはかかる。
・人気が出るキャラクターは予測しにくい。
・現在のフィギアは1万円ぐらいザラにする。
・顧客層は限られていて、ある意味収集癖のある顧客に提供する。
・その顧客へのマーケティングは「買う理由」よりも「買わない理由をつぶす」

 

また、工場経営者側の視点からは
・仕上げに職人のレベルがそのまま反映するため、1~2人のキーとなる職人が商品全体のキモになる。
・そのため、キーとなる職人をいかにつなぎとめるかが重要。
・ただし、中国では同じ会社に勤め続ける方が評価が低く、会社を渡り歩いた方が社会的評価が高くなる文化がある。

・なので、熟練職人がいないとなると、高品質のフィギアがつくれない。

・従って、中国の人件費が上がったからといって日本に工場をつくってもイチから技術を磨かねばならず、そう簡単にはいかない。

 

へ~~。

なお、連載中に反日デモが起きており、その内容も描かれている。
キッカケは思想教育による反日であるものの、そのデモの内容は社員の待遇改善とか、結局は共産党への批判となったため、その後デモは"法律で"禁止された。

 

 

後期■第3章 王充その他の後漢時代の思想家

後漢時代の学問は、儒家の経典の解釈学であった。
その儒家の解釈学に対立する思想もあったことはあった。
その代表が王充である。

 

この時代となると、もはや孔子は神様あつかいで儒家思想は今で言うオカルトと入り混じって奇妙な発展を遂げていた。
そこを変じゃね?と批判したのが王充である。

 

例えば、この時代、孔子=天が使わした神様とあがめられるようになった。その神が地上にあらわれるとき、伝説の獣…麒麟キリンビールのマークになってる幻獣・キリン)があらわれるとされていた。
王充は、天変地異とか変な生き物とかの自然現象はあるけども、それと人間が生まれるのとは関係なくね?と批判した。

 

また、孔子の弟子たちも天使扱いであったが、その弟子たちが若死にしたり、失明したりしてロクな目に合ってないことや、そもそも孔子は結局権力者にはなりえなかったことも事実なんだから、神様じゃ無くね?と批判したのである。

 

著者はこの王充をかなり高く評価している。
現代では当たり前の批判だが、当時ではかなり異端であるが合理的である。その合理性を著者は唯物論者として評価しているのだが、その…唯物論者とか、この前にも出てきた階級闘争などマルクス主義用語がちりばめられていて、そのマルクス主義に対して好意的なんだな~というあたり、本書の時代を感じるポイントではある。

 

その他の後漢時代の思想家はオマケ程度に紹介している。

ケンペーくん

ケンペーくん、古本屋で見つける。

帝国陸軍憲兵、南重十四郎大尉が現代に復活し、サーファーくずれや暴走族や婚前交渉する婦女子たちを軍刀や十四式拳銃でバッタバッタと皆殺しにするだけのマンガ。

 

20年以上前に読んだ気がするんだけども新装版を古本屋で見つけたので再読。

amazonで検索しても、手持ちの新装版は出てこない。1996年発行って書いてあるからなぁ。。

 

新装版ってことで新しい話が付け加えられていたが、昔の話の方がキレがある。
誰しも迷惑なヤンキー連中をボコボコにしたいな~と一瞬でも思ったことがあるだろう。ケンペー君は有無を言わさず軍刀なんかで天誅をくらわして去っていく。
滅茶苦茶なマンガだが謎の爽快感もある。

 

著者はエロ漫画家とのことで、エロ漫画出身と言えば
最近、エロ漫画出身のKAKERUが面白くてネットで読んでいる。

魔法少女プリティ☆ベル」は連載終了したけども
■「科学的に存在しうるクリーチャー娘の観察日誌」連載中
■「織津江大志の異世界クリ娘サバイバル日誌」連載中
■「ふかふかダンジョン攻略記〜俺の異世界転生冒険譚〜」連載中

magcomi.com

全体的にかなり理屈っぽい戦術マンガといえる。
あえて例えるなら、路上のケンカを論理的に漫画化した森恒二ホーリーランド」+大自然サバイバル+異世界モノって感じ。ただし、これでもかと不必要なエロシーンが出てくる。

 

 

 

後期■第2章 後漢の経学と鄭玄

 

前回、漢の時代の後半に儒家思想・儒教を国教とする、までであった。
この後漢の時代、孔子が亡くなってから500年ぐらいは経過しており、孔子の提唱した儒家思想って結局なんなん?という議論が無数に語られるようになってきた。

 

孔子を頂点とする儒家思想を学問として体系化したのが「経学」と呼ばれるものである。

 

500年経過すると、文字を判別することすら難しくなってくる。そもそも印刷も無かった時代であって、文字もずっと同じだったわけでもないので、文字が判別したところでどう読んだらいいのかわからない。

 

例を考えるのもアレだが、
仮に日本語で夜露死苦と書いてあれば、現代人としては「ああ、アホの暴走族が画数の多い見た目が仰々しい漢字を使って"ヨロシク"とテキトーな挨拶をしているだけ」だと理解できる。
これがまったく現代日本文化と日本語がわからない外人に解読させると、
・夜のロシアは死ぬほど苦しい、というロシアの現状を書いているのでは?
・夜のロシアは死ぬほど苦しい、つまりロシアの政治批判ではないか?
とか、無茶苦茶な解釈が出てきても不思議ではない。

 

いや、ホントに「夜露死苦」みたいな当て字の文章が多かったらしく、その場合は発音が重要である。しかし、500年以上も前の文字をどう発音したか?を研究するのはなかなかむつかしい。

 

仮に「夜露死苦」をヨロシクと正しく解読できたとしても、少女が顔を赤らめながら「ヨロシクお願いします」と言ったのか、ヤクザにポンポンと肩を叩かれながら「んじゃ、ヨロシク頼むわ」と言われたのかで、意味は全然変わってくる。

 

まあ、そんな感じで、実際に儒教を学ぶ学問は大きく2つに分かれた。
ひとつは、文字を特定してどう読むのか?だが、
大きな流れとしては、その文章をどう解釈するのか?という「解釈学」である。

本書によれば、現代の法律を例にして。法律をどう解釈するべきか?という問題があるが、それとまあ同じようなもんだと書いてある。

 

そもそも孔子の時代に定義という概念が無い。モヤ~っとした会話みたいな感じなので、それをどういう状況でどういう意味で言ったのか?という解釈をめぐって、様々な学派、派閥ができはじめた。

 

その枝葉に分かれまくった儒教を、この後漢の時代におおよそ統一させたスゲエ秀才が出現した。それが鄭玄(じょうげん、ていげん)であった。

さよならキャンドル

清野とおる「さよならキャンドル」1巻読む。

comic-days.com

あの「東京都北区赤羽」の作者、清野とおるの最新作。

清野とおるの初期作品はちょっとアレだけど…「東京都北区赤羽」以後、ハズレが無い。

「東京怪奇酒」も良いが、この「さよならキャンドル」は「東京都北区赤羽」を彷彿させる素晴らしいキチガイ漫画である。

 

この著者、初期作品を除いて、おおよそ"近所にいる変な人"の狂気を描いたものである。この店、空いてるのか閉まってるのか…この人、話しかけて大丈夫か否か…という日常と狂気の境界線を描くマンガとして俺は好き。

 

 

後期■第一章 後漢以後の社会と士人階級

ヨーロッパはキリスト教が国教となったが、中国では後漢より儒家思想・儒教が国教となった。その中心勢力が「士人階級」と呼ばれる人々であった。

 

士人階級とは何かという説明に「知識階級だ」と書いてあるが、具体的には地方の役人+貴族のハイブリッド型という感じ。

 

その「士人階級」の特徴は次の3つ。

1、小役人が肥え太る。
儒教によれば、トップの人間は道徳に優れていなければならず、私腹を肥やすなどもってのほか…であったが、その下部組織はやりたい放題だったようだ。
田舎の役人にでもなれば三代続けて裕福に暮らせるという言葉「中飽」があったそうで、これは事実だったと書いてある。

 

最下層の農民から直接の税金でメシを食う田舎の役人たちは、その子供が役人にならなくても土地を買うことで富裕層であることを維持し続け、人事異動した役人らとも提携して社会勢力を維持し続けた。

 

なお、あくまでも農民に食わせてもらうシステムが完成していたおかげで商工業を発達させなかったという。

 

2,田舎の宗教的+知識人的役割
ヨーロッパにおける神父あるいは牧師という立ち位置は、その地域の良識の道しるべになり、同時に権威そのものだった。その立場と同じなのが「士人階級」であった。
国教が儒教であり、その儒教を知るものとして存在する階層であったため、その地域における権威ある立場であった。

 

歴史的に仏教や道教との争いはあったが、所詮は「士人階級」同士の勢力争いであって、農民たちには関係なかった。

 

3,知識の独占
今の日本では誰しもが学校に行くことができ、図書館も利用できる。しかし、清以前の中国においては文字通り「士人階級」が知識を独占した。

 

その知識というのが儒家思想・儒教のため、自然科学はもちろん農業はおろか商工業も進展しなかった原因ともなる。

 

ただし、役人なるには儒教の試験に合格せねばならない。しかもどんな庶民でも受験できる。
この試験システムのため、かえって社会制度が硬直化したという。

 

誰でも試験さえ受かれば「士人階級」になれる。
貧乏農家が嫌なら試験受かればいいじゃん!という理屈で、農民らによる武装蜂起などはほぼ起きなかった。

 

無論、「士人階級」同士の勢力争いはあったし、いわゆる「易姓革命」といわれるものは、単に王朝の交代である。
後漢から清まで約2千年間、この階級制度は維持し続けたのである。

後期 序文

 

 

後期■序文

やっと前期を終え、後期となった。

 

ただ、この序文に本書の神髄がある…ような気がする。
かなり長いが、そのまま引用してみる。というのも、これ以上俺がまとめることができないので。。

 

 中国において、古来、学問の重要な対象とするものは、人間の社会生活であった。したがって政治・経済・法律・道徳などの社会的事実に重点をおき、たまたま形而上学的研究にさかのぼることがあっても、その出発点は人間の社会生活、すなわち人と人の関係にあったのである。この点は、ギリシャ初期の思想が主として人間の自然生活、すなわち人間と自然の関係に重きをおき、印度のそれが人間の宗教生活、すなわち神と人との関係から出発しているのに対して、中国思想の特徴の一つと言えると思う。

 

 また、中国には、今日のいわゆる哲学の体系というものはない。少なくとも中国固有の思想には、それがない。もし中国思想の中において強いて哲学的なものを求めようとすれば、社会思想、すなわち社会組織の根本に触れたもろもろの思想があるのみである。宗明時代の理学は、外来の仏教思想の影響を受けて、形而上学的色彩がやや濃厚であるが、要は社会思想の根本的説明にほかならない。

 

従来の中国哲学史というものは、中国思想の中から、ギリシャ哲学や印度哲学に類似するもろもろの思想を抽き出して羅列したものにすぎない。このようにすることは、全体としての中国思想を破壊するものであって、これによって中国思想の神髄をつかむことはできない。私がここに中国哲学史とせずに、中国思想史とするゆえんは、中国思想を、そのあるがままに、全体として見て行こうとするためであって、従来に慣用せられた中国哲学史と多少その内容を異にするものがあるためである。

 

…とまあ、このような次第である。

 

形而上学的って何?という説明はいささか難しいけど、絶対的な真理みたいなものがどっかにある、あるいはそれを想定することで世界の成り立ちを理論的に説明するという思考方法…かな。

まあ、そういう哲学は中国に無かったため、無理やりヨーロッパやインド哲学の似たところを引っ張り出してきて説明する人もあるが、著者は"そんな真似事はしません!"というのである。

 

漢の時代の後半、後漢儒家思想による封建制度が打ち立てられ、それがほぼ2千年近くそのまま続くことになる。

なので、本書は前漢時代までを前期、後漢時代からを後期としている。

911と対テロ戦争

ネットフリックス「ターニング・ポイント」全シリーズ見る。

www.netflix.com

ニューヨークの911テロから、アメリカ政治がどう動いていったかを描いたドキュメンタリー。

俺はそもそもアメリカが何故そこまでアフガニスタンにこだわるのかをよく理解してなかった。

 

アフガニスタンについては、映画「ランボー3・怒りのアフガン」に登場するアフガン人にこんなセリフがある。

「ここがアフガニスタン。昔アレクサンダー大王が、次にジンギスカン、そしてイギリス、今はソ連が支配を試みている。でもアフガン人は負けない」

 

ソ連がアフガンに侵攻したとき、アメリカは世界の共産主義化を防ぐため、アフガニスタンの武力勢力・ムジャヒディンにCIAを通じて膨大な資金と武器を援助した。
やがてソ連が撤退し、アフガニスタンタリバンが支配する国となった。

 

そして、911が起こる。

 

このドキュメンタリーでは、911を起こしたビンラディンアルカイダを絶対悪として描くのだが、そもそも何故、アフガニスタンに援助した側のアメリカがテロの標的になったのか?は一切描かれない。

 

そこが不満と言えば不満、大不満である。

そもそもアメリカが裏からアフガニスタンを支配しようとしたし、宗教を甘く見過ぎた。人権と民主主義だけが正義だと思い込んだからである。

 

テロを受けた後、アメリカは集団ヒステリー状態になったことがこのドキュメンタリーでよくわかる。

 

何故アメリカはアフガニスタンにここまでこだわったのか?を、

まとめるとこうなる。
1,再度の911テロを防ぐためには戦争だ!と勢いづいた。
2,でもテロの相手は国家ではなく、世界に分散した組織であった。
3,ならば本拠地を根絶やしにするしかない。
4,なんか本拠地がよくわからない。
アルカイダはもやっとした宗教組織っぽい。実行犯は20人前後レベルだし。
5,だったらアフガニスタン全土を民主主義化して思想統制しよう!
6,アルカイダの関係者はドローン機でピンポイント爆撃だ!

でも民間人も殺しまくってアメリカへの反感がつのる。
7,アメリカ側のゴールが見えなくなる。何をしたらいいのか誰もわからない。
8,ハイ、もう終わり。撤退!←今ここ。

 

戦争のキッカケだけは別にして、中盤から終盤にかけてはベトナム戦争と同じである。

俺としてはアメリカ軍撤退の大混乱を描いた映画としてはカンボジア内戦の話だが「キリング・フィールド」を思い出す。


www.youtube.com

あの映像とアフガニスタン撤退の映像がリンクする。ちなみにこの映画、音楽の担当が俺の大ファンのマイク・オールドフィールドだが、多くの場面で映画と全然あってない気がするのは俺だけ…?

 

それはそれとして、やっぱり「中国思想史」

 


■第6章 前漢の思想統一

焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」という言葉がある。
言論統制を意味する四文字熟語で、思想に合わない書物を焼いたのを"焚書"、思想の違う学者を生き埋め!にしたのが"坑儒"。

 

俺はてっきり儒教思想で「焚書坑儒」したものだと思い込んでいたが、「焚書坑儒」は法治思想によって行われた。
思想統一を行ったのは秦である。秦は法家思想による画一的な法の支配であり、あまりにも独裁的であった。そこで「焚書坑儒」が起こったのである。
言論統制の元祖は、法治思想、法治国家によってなのだ。へぇ~。

 

秦の次に漢が誕生した際、秦の反省をふまえ、まあちょっと自由にいこうじゃん的なアレな感じで、かなりほったらかしでやりはじめた。

 

そのほったらかしが、やがてヤバくなってくる。

商工業が発達するにつれ、貧富の格差が限界突破、単なる金持ちが権力をもちはじめるに至る。


そこで、漢になって60年ぐらいした頃(漢の前半=前漢時代)に、ついに再度、思想統制するに至る。

ここの漢、前漢時代に採用したのは儒家思想であった。
それにはワケがある。

 

まず、この時代、地方の役人が圧倒的に権力を持っていた。農民の税金によってその役人らが支配階級として君臨していたのだが、秦の時代からの貴族は減って、庶民から地位を駆け上るものも出てきた。
支配階級となりえた庶民らによっても都合が良かったのが儒家思想である。

 

秦の法家思想は国家主義であり、絶対君主制ともいえる。コレといって理由も何もなく押し付けられた法を守らねばならず、カネや権力を持ち始めた個人は国家によってつぶされるのが法家思想であった。
半面、儒家思想は究極的には個人主義である。なのである程度の自由を認めた。
さらに、階級制は維持するが、道徳が優れた人間はトップに立てるという思想である。誰しもが自分は道徳家だと思うので、階級制度の上に立つ人間には都合が良かったのである。

そのため、前漢時代に儒家思想によって思想統一を行い、これが20世紀の清朝時代まで続くのである。そのため、思想統一は儒家思想によるものだと思われがちだが、そもそもは秦の法家思想が元祖である。

 

ただし国家統治の実態は法治であり法家思想であった。いわば表面上は儒家思想、中身は法家思想というハイブリッド型が続いたのである。

 

ちと話は変わるが、
鈴木みそ「ナナのリテラシー」だったと思うのだが、その中で法治イメージとしてドイツ型とアメリカ型があるという。
ドイツ型は厳格に法を定め、現実を法によってしばる、というもの。

例えるなら制限時速30キロの道路があるが、いくら道路が空いてようが一旦決めた法を尊重する。
アメリカ型は現実で不都合な法があれば、法を変えていくというもの。先ほどの30キロ制限の道路がいつも空いてるなら40キロ、50キロ制限に変えていくべきだという論理である。

 

では日本はどーかといえば、基本ドイツ型だが運用はアメリカ型のハイブリッド型だという。

つまり、現実に守れないほどのルールをつくるものの、運用はその場の空気で決めるというものである。
むかし、オウムの信者が道路でビラ配りをして警察に捕まったことがある。

この理由は、"道路は通行の用として使用される"という法律を非現実的レベルで適用した結果、ビラ配りは通行していないから法律違反だというのでしょっ引いたのである。

確かホリエモンも執行猶予期間にしょーもない微罪で捕まると即刑務所行きになるというので、クルマの運転はおろか道もまともに歩けなかったという。

司馬遷の思想

気になるのは自民党総裁選より、中国恒大の借金

jp.reuters.com

3千億ドルって…え~~っと…30兆円ってスゲエな。
リーマンブラザーズが60兆円だったらしいので、破綻すれば半分のインパクト。

 

リーマンショック時に中共が行った財政出動は50兆円規模らしいのだが、
今回、もし破綻しても中共は手を貸さないような風向き。

jp.reuters.com

とにかく今、共産党は党より支持を集めそうな資本家をつぶして回ってる状態。


ちなみにアリババグループをつぶした最大の要因はサラ金とも聞く。
アリババグループからカネを借りてる中国人は国内人口の半分以上ともいわれ、カネを借りた以上は共産党よりもアリババに頭が上がらないことを意味するため、ツブしにかかったとも聞く。

 

マジで毛沢東主義に回帰したい、経済よりも思想を真っ赤に染め上げるつもりの方向性ならばどこまで影響が出るのかよくわからん。
まあ20年ぐらい前から中国破綻説は出てるし、実際に株価はずっと前から低迷しているので、今回も「またかよ~」レベルなのかも知れないが。
そもそも中国市場の株式総額よりも中共の総資産は余裕で上回っているので株式市場など関係ない説もある。

 

う~~ん、これって丁度読んでた司馬遷の話に近いものを感じる。

 

 

■第5章 司馬遷の思想

有名な歴史書史記」を書いた司馬遷は、自由経済主義者だったという。

 

第4章までの説明で、中国社会は農業第一で商業は反対、というのが秦~漢時代(紀元ゼロ年代前後)の思想であった。なぜなら戦乱で食い物が少ないというのもあるが、貧富の格差が開くからである、というのが最大の理由であった。

 

その農業第一主義を真っ向から否定したのが司馬遷だった。

司馬遷の時代、商業が発達し、農民はド貧乏になった。それで当時のトップ=武帝がとった政策は、金持ちを全部ぶっ潰す、という極端なものだった。


商工業者の財産に重税をかけ、財産を隠したものは、それを言いつけたヤツに半分やるから、お前ら金持ちの財産をチクりまくれ!という凶悪な政策だった。

そのため、庶民の財産が次々と没収されまくった結果、社会全体が混乱し、コネのある役人だけが私腹を肥やし、結局貧乏農家は何も救われなかった。

 

それを見ていた司馬遷は、金持ちになるのはそいつの能力であって貧乏は恥ずべきことだ、という今でいう自由主義経済的思考になったという。

 

そもそも個人主義的思考が強いのは、儒家思想や道家思想にもある。司馬遷個人主義自由経済主義という、現代でもかなり経済右派ともいえる思想であったようだ。