寝つきに何を考えるべきか問題

仕事なり何なりで気になることがある場合は別として、寝るときに何を考えながら寝るのか。
はやく寝たいのはやまやまだが、寝ようと焦るとかえって寝られないものである。
果たして何を考えるべきかを考えてきた。

 

ン十年前に読んだ椎名誠のエッセイでは、アメリカ開拓時代の白人になってインディアンを狙撃する狙撃手になるのだという話があった。狙撃するチャンスをうかがうも、なかなかインディアンがこない。ずっと銃を構えて待っているうちにウトウト…なるという。


俺は一時、その話と戦争映画なんかを混ぜて、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争におけるサラエボ市街で、ビルの窓からの狙撃をずっと想像してた。

自分は狙撃手で、ずっとビルの陰から誰か出てくるのをずっと待つ。
それも、もう何年も使ったアイディアだったもんで飽きてきた。

 

最近は「レッド」を読んだこともあってか、日本で革命を起こすにはどうすれば良いかを考えると、いい感じに寝ることができることに気が付いた。

そもそも革命するといっても、何をどうすべきなのか。

前提として、一般市民なんかの賛同は完全に無視して、とりあえず革命ありきで考える。

 

日本国の政治を、ガバナンスを完全に掌握するには正当な選挙以外にどうすべきなのか?
そもそもが法を無視して、新しい法を制定する必要がある。
う~ん、やっぱクーデターしかないのか?

 

あ、もし現代日本で新たに幕府を開こうと思ったらどうすればいいんだ?
そもそも幕府ってどういう定義なんだ?

鎌倉とか江戸とか、とりあえずは軍によって統治するんだからクーデターでいいはずだ。
それを天皇が承認すればいいはず。

 

なので皇居を占領して…となると、なんか「日本のいちばん長い日」みたいになってくるな。。

この漫画版だと、漫画家の星野之宣の主張が垣間見える。天皇には戦争責任がある、と。そもそも責任が無いというのは無責任ではないか?という主張は興味深い。映画版だとかなり天皇に同情的に描かれるのに、対照的である。

 

ともかく、それで幕府ともなると、やっぱ将軍が…とか考えてると、ウトウトと…。

スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース

一番面白い漫画って何?と聞かれると、無難なところで
手塚治虫火の鳥」シリーズ。
シリーズの特にどれ?と聞かれると「鳳凰編」かな~と答える。

 

んじゃ、2番目は?と聞かれると、キッパリ
坂口尚「あっかんべェ一休」と答える。

 

決して火の鳥とそん色ない、究極の漫画ともいえるのが
坂口尚「あっかんべェ一休」だ。
ただ、絶版だったんで古本で1冊1万円超えてた。

 

その傑作がついに復刊した!それも大判で全4巻!

もう、即買いしましたハイ。

 

 

■「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」見る。


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スゴイ。アニメの進化を見せつけられる。
前回「スパイダーバース」でこの作風に度肝を抜かれたが、今作はさらに先鋭化してる。


物語はまあ…いいとして、絵が桁違いすぎて状況を呑み込めない。

ひとつの画面の中に、切り絵+鉛筆+CG+油絵なんかが入り混じって、キャラクターごとに絵のタッチが異なる、という異常さ。
しかも、抽象と具象が入り混じって、これ以上抽象的になるとわからないギリギリのラインでのデザインがコンマ何秒で表現される。

それがほぼ全編アクションなので、もう何が何だか情報処理が追い付かない。
一コマの絵を描くのにどれほど時間がかかるだろうか?と心配になるほどの絵が、延々と2時間以上続く。
アレかな?AI使ってるのかな?

 

ともかく物語はマルチバースもの。
バタフライエフェクト」とか、そーいう別次元の平行宇宙的なアレ。
マーベルシリーズにおいて時空を操るヒーロー「ドクター・ストレンジ」がでたあたりで、もはや何でもアリの世界になった。

 

本作においては、なぜかマルチバースは有限っぽく描かれる。
なにしろ、スパイダーマンはコミック・アニメ・実写含めて過去作を列挙するだけで膨大なキャラクターが存在する。
それに少しアレンジを加えればほぼ無限に異なるスパイダーマンを描くことができる。
そのスパイダーマン群(?)がそれぞれマルチバースなんだよ、という説明が妙に説得力があるので、物語が成立してる。

 

ただ、そんな物語なんか気にしてる暇はない。
延々と奇々怪々な画面にトリップするのがこの映画だろうと思う。

なんだかよくわからない

まだ読んでる途中なんだけど、よくわからない小説。
アルフレッド・ジャリ「超男性」

フランス貴族同士の無駄話?と思ってたら、なぜか途中から自転車で機関車を追い抜く話になってる。それも5人一組で一台の自転車をこいでて、後ろに小人がくっついてる?頭は呼吸器のついたヘルメットをかぶって、足は自転車にくくりつけられてる?状態なんで自分の前後の景色は見えないんだけど、どうやら自分の後ろの奴は死んでるっぽい。だってすごい腐敗臭がしてくるから…という感じの、ワケがわからない小説。

 

まあ、よくわからない小説でも読むかと思い立ち、澁澤龍彦なら大ハズレはなかろうと選んだ一冊。


予想通りといえばそうなんだが、よくわからない。
日本語としても意味が分からないレベルである。

 

新井英樹「ひとのこ」

俺の好みで申し訳ないんですが、この作者とはウマがあわないんですよ。
この人の漫画の根底は暴力や性愛を通じてアイデンティティとは何かを問う。そのキャラクターはおおよそ自己顕示欲が強すぎるか、あるいは真逆に自己肯定感が低すぎる。そのためにずっとヒステリックな人物描写が続くんだけど、これが俺にはちょっとキツイんですよ。でも「ザ・ワールド・イズ・マイン」は好きです。

 

本作「ひとのこ」は、現代日本でイエスキリストの生まれ変わりがでてきたらどうなるか?という漫画。
もうひとりは世界で最も裕福なイギリス人?が、このイエスの生まれ変わりの日本人に帰依(?)せざるをえなくなる。

 

こーいうモロに宗教がテーマの漫画は、モロに作者の力量が表れるテーマだけに興味津々だったが、最後まで読んでも俺にはわからなかった。。

う~~ん、結局、何だったんだろう…。
エスの生まれ変わりは、ほぼほぼ、他人が持ってるスマホを突然叩き落とすだけだったんだけど。。

 

■もうね、わからないことがもはや面白いアニメ。
「スナック バス江」


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原作のファンだったというのもあるが、ほぼ原作通りのグダグダ感が良い。

俺はスナックなんて2回ぐらいしか行ったことないけど、場末のスナックのなんともいえない雰囲気感がそのままアニメになっとるのが良い。
ワクワクすることなんてないし、なんならその場に居ずらい雰囲気感すらある。

雪山の絆

ネットフリックス「雪山の絆」良かったですよ。
「アテナ」ほどではないけど、アテナ以降、一番良かった。


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50年前に南アメリカで飛行機が雪山に墜落し、搭乗者たちは死んだ人を食料にして生き延びた実話の映画化。
だいーぶ昔にも映画化されてて、その記憶がうっすらあったが、今回のは迫力が桁違いだった。

 

どーやって撮影したんだ?と思ってたら、メイキングがあったんで見たら、想像を超えた規模とカネをかけて撮影してたのがわかって驚いた。

 

映画の冒頭、この物語は果たして悲劇なのか奇跡なのかと問う。

確かに事故そのものは悲劇に間違いない。
ただ、飛行機の搭乗者ほぼ全員が同じラグビーチームの仲間だった。
 そもそも互いのコミュニケーションがとれていた。
 そもそもラグビーの選手で体力があった。
この2点が大きかったし、なにより最後、決死の冒険が功を奏したのが奇跡だったように思える。

素直な戦士たち

某Hの宿題本、城山三郎「素直な戦士たち」読む。

 

幼児教育から大学受験まで、虐待レベルで教育にのめりこむ親子の姿を描いた小説。
昭和53年の本とゆーので、ひと昔の本ではあるが、まあ今も似たり寄ったりの感はある。

 

この本、最後はどーなるかと思ったら、意外とアレでした。
多分、今でこそ教育虐待という単語があるほどに異様な教育の結果、凄惨な事件が何件もあったからこそ、どれだけキツイ話になるかと思ってたら、意外とまあアレでした。

 

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本作とは関係ないけど、教育の話になると、いつも思い出す。
長年付き合いのある職人さんで、自分の娘が法政大学に受かったという。
それは凄い。こんな田舎でよく勉強できましたね!と俺は素直に驚いて素直に褒めた。
しかし、その職人さんは渋い顔をして、大学なんてカネがかかるだけだという。
どうやら謙遜ではなくて本気で嫌がっているようなのだ。

 

聞くと、その職人さん自身は高卒で、大学なんて無意味だという。
娘さんが希望しているので仕方なく行かせてやる、という感じなのだ。

 

確かに職人の世界ではそうだろうとは思う。
さらに俺の地方、関西より西側、それも田舎ともなると関東の大学はほとんど知られてない。
一橋なんて聞いたことないといわれるし、日大は日体大と同じ。東京工業大学は工業高校に毛が生えた程度だと本気で思っている人はマジで多い。
法政もなにそれ?聞いたことないレベルだったのだろう。

 

学歴は意味があるのか?
皮肉ではあるが、学歴の必要性を知っているのは学歴のあるものに多い。

 

大卒で大手企業なんかに就職した者は、周囲も大卒であるし、取引先なんかもおおよ同じレベルである。
大卒側で忘れがちなのは、大卒は同じ世代で人口の約50%であるという事実である。
半分は高卒以下であることを忘れがち…東京の中心部で行きかうようなサラリーマンのほとんどは忘れているか、知っていても気にしたことも無い事実だろう。

 

 

俺の住んでるのが田舎、ということも含めてか、
まれに教育者…というか教育でメシ食ってる先生とか、教育学部なんかを出た人と教育に関して話をすることがあるが、必ずと言って齟齬を感じる。
そもそも、教育とは本質的に差別的であり人権に反する。
そんな性質を、真面目な先生方は理解できてない様子なのだ。

 

時折、"リベラル・アーツ"という単語を目にする。
何か自由な学問?的な意味で使われるが、本来は、リベラル=自由人=奴隷を使役する人間のための学問という意味である。
本来、学問・教育とはいわば貴族階級のための教養である、というのが教育の本質のひとつである。
ただし、それは産業革命以前の話である。

 

産業革命以前の戦争は今日では牧歌的?ともいえる軍人同士の衝突レベルであった。
しかし産業革命以後、国民を挙げての総力戦となった。兵器や食糧生産は、国民全員による生産力と直結してしまった。
兵器の生産は工業力の向上が不可欠であり、そのための人員はある程度の読み書きができる必要がある。
要するに富国強兵が近代以降に求められる教育である。

 

近代より前、職業は生まれつき決まっていた。
農家の家庭に生まれれば農家、大工の家に生まれれば大工であった。
しかし、近代教育はそれを許さない。
一旦、国家権力が強制的に家庭から子供を引き離し、国家のための生産性向上のために読み書きを教えるのだ。

 

教育の必要性については、ここら辺が皆、ごちゃ混ぜになっている。
もっと程度が低いと、教育は義務だからという。何故、国家の義務なのか考えたことが無い人がほとんどだ。
それに教育が道徳的に正しいから教育が必要だと思っている人は多い。

 

教育とは何か。
俺としては「カタにはめる」のが教育である、と思っている。

社会の一員として生きていくには、社会のルールを知る必要がある。
日本なら日本、アメリカならアメリカ、ブラジルならブラジルの社会ルールがある。
言語なり道徳習慣なり、それをまずは習得するのが教育である。
言語なら言語のルールがある。
そのカタを知ることで、はじめて一人前の人間として認められる。
そのカタが正しいか間違っているかは社会状況による。

なんのカタも知らない、なんのルールも知らない人間は社会で生きていけない。
その意味で教育は必要である。
教育が"必要悪"だ、とハッキリ述べているのは呉智英だが、その通りだと思う。

 

昨今、国籍や人種、性別なんかで差別してはいけないという風潮は、滑稽なほど強調されるようになった。
しかし、唯一といって差別しても許されるのは学歴差別である。
人種や国、性別なんかは過剰とも思える反応があるのに対して、学歴差別は許容されている。

 

科挙は千年以上、王朝が変わっても制度は残り続けた。
何故これほどまで長く続いたのか。それは革命を織り込んだ制度だったからである。
生まれつきの身分や貧富の差に関係なく、試験さえ受かれば高い身分が保証されたからだ。

 

最近では教育経済学という学問があるらしいが、実に資本主義らしくて感心する。
本当に自由に生きていきたい、と思うなら、自分で言語をつくればよい。
そうでなければ、すでにある言語を、社会ルールをおぼえるしかない。
そのうえで、複雑なルールにどう従うか、あるいはルールをどう変更するか考えるしかない。

 

近所の小学校にある謎の教育的看板。なんか意味があるのか?

ゆるキャン△

「レッド」といい、地震といい、航空機事故といい、正月早々に心がすさんでしまったので、どーでもいい映画を見る。

 

■「マリー・ミー」


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もうね、10分程度ですべての話が予測できるコメディ。

上記のyoutubeの紹介動画が2時間かかって語られるだけである。


要するに「プリティ・ウーマン」の逆で、超セレブの女性がさえない男性と付き合う話。

しょーもない…のに、なぜか最後まで見る。
とにかく時代を感じる。
プリティ・ウーマン」における無意識的ともいえる男性優位社会を、すべて昨今の政治状況を踏まえた状況に置き換えたらこうなるんだと妙に感心する。

 

主演のジェニファー・ロペスはともかく、ぱっとしない男役のオーウェン・ウィルソンはいつも複雑な役柄をこなす。

 

 

■「映画 ゆるキャン△


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最近聞かなくなった"萌え"。萌えアニメブームの最後の方に「ゆるキャン△」があったんじゃないかと俺は勝手に思っている。


萌えアニメ自体に俺は興味は無いが、この「ゆるキャン△」は5人(だったっけ?)の女子高生がキャンプするだけのアニメ。
そのキャンプ描写が妙にリアルというか、キャンプ初心者が見てホッコリする、という内容だった。

 

その劇場版、噂には聞いてたが、主人公たちが社会人になって、再度キャンプをする、という物語であった。
そのキャンプが、かなりグレードアップして"地方自治体の役所の事業としてキャンプ場をつくる"という、劇場版として絶妙にリアルな設定を考えてるなと感心する。さらに物語としてちゃんと山あり谷ありで最後はまあ上手くいきましたよね的展開なあたりは予想通りといえば予想通りなんだけど、それが悪いわけでもない。映画としての脚本はこれで良い気がする(すげえ上から目線で)。

 

ただし、このアニメの客層からしてこの設定と物語どうかな?とは思う。
単純に萌えアニメ見たいだけの客に対して、そもそも成人しちゃった件と、一時的ではあるが全員が落胆するような場面があることは求めてない気がする。

山本直樹「レッド」

山本直樹「レッド」全4巻読み終える。最後、強烈なカタルシスをおぼえる。

 

そもそも正月に読む内容じゃないんだけど、読み終えたら北陸で巨大地震が発生。翌日には飛行機が衝突炎上…これは"レッド"のタタリか。

 

俺はてっきり、あさま山荘でリンチ殺人が行われてたと思ってたが全然違ってた。
レッドによれば、連合赤軍の連中が山小屋を転々と移動しながらリンチ殺人を行い、警察に追われつつも最後の生き残りがたまたま銃で武装してた。その最後の6人(だったけ?)が、逃走中にたまたま見つけた最後の山小屋が"あさま山荘"で警察相手にドンパチをしたワケだったんだ。

 

1~2巻ぐらいは、コレ誰だったっけ?問題がしばしば発生する。
登場人物が40人位はいるので、誰が誰だかよくわからん。
まあこんな感じかな程度に読み進めるも、3巻あたりから鬱病になりそうな展開がキツイ。

 

ほぼ完全に隔離された山小屋での集団生活で、目をつけられた順番になぶり殺されていく。

普通の精神状態なら何が悪いというわけでもなく、どうでもいい理由で難癖をつけられ、
加害者も被害者もまるで仕方がなかったかのように受け入れていく。
ず~~~っとジワジワ、順番に殺人が行われる描写が続くのはキツイ。
その殺し方を含めて、手慣れてない感じといい、妙なリアリティがある。

 

息苦しい3巻から、最後の逃亡を描いた4巻で、ついに"あさま山荘"にたどり着く。
今度は警察に向かっての銃撃戦で、あらん限りの暴力が解放される。
この展開が異様なカタルシスを生んでいる。

 

現実にあったとはいえ、暴力肯定の新左翼系にはウケけたんだろうな~と感心する。
そして一方の現実では、この事件を境に一般大衆から左翼活動家が嫌われるようになるワケだ。

 

レッドを読み終えてから、そーいやずいぶん昔にこんな感じの小説を読んだなと思い出したのが
大江健三郎「洪水はわが魂に及び」
内容はほとんどおぼえてないけど、確かシンパを募って、最後は小屋に立てこもって警察と銃撃戦する話だったはずだ。
あさま山荘事件が72年、「洪水はわが魂に及び」の出版は73年。

 

押井守も"レッド"の帯で「なぜ彼らは行って、僕は行かなかったのか」と書いてたが、
ホント大江健三郎押井守も左翼革命へのアコガレを隠そうともしない。

 

共産主義革命とは宗教運動ですよと以前に俺ぁブログで指摘したが、
歴史上、宗教戦争はお互い皆殺しになる。

 

同じ左翼系ならば、坂口尚「石の花」が何倍も優れているように思う。
んでもって"レッド"を描き切った山本直樹エライ。