乾と巽 ザバイカル戦記

俺はあんまり安彦良和のマンガを読んでない。記憶にあるのは「アリオン」「クルドの星」「虹色のトロツキー」ぐらい。
アニメ監督として「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」これ、面白かった。

 

今回、某Hから送ってもらった「乾と巽 ザバイカル戦記」は、大正時代のシベリア出兵の話からはじまる。某Hありがとう。

 俺は第二次世界大戦ならまだしも第一次世界大戦前後の歴史は非常に疎い。日本軍がロシア兵と一緒にロシア内戦を戦ったというのは全く知らなかった。

 

なので、本書を読み始めてから状況を理解するのにかなり時間がかかった。無知だとマンガも読めねぇ…。
俺は恥ずかしながらザバイカル共和国を知らなかった。

 

著者は安彦良和ポーズともいわれる独特のポーズを含めて独特の絵柄はマンガというより一枚のイラストとしてのチカラが強い。「アリオン」なんかはほとんどイラスト集に近いようなマンガにも思える。いわゆるマンガというよりも洋物のグラフィック・ノベルっぽい雰囲気がある。

 

で、安彦良和の漫画はキャラクター中心ではなく物語中心…というか、実際の歴史の場合は実在の人物を登場させて状況を説明しつつ描き、その歴史の大きな流れに翻弄される若者を描く。

 

実在した人物が多数登場するマンガといえば最近では「ゴールデン・カムイ」が面白い。このマンガは実在した特異な日本人たちが時空を超えて集結しアイヌと異文化交流する、という内容でキャラクター重視のマンガといえる。

 

一方、安彦良和の漫画は物語重視である。そもそも歴史漫画は史実に沿ってなければならず、安彦はそのリーダーを描かない。そのときの主人公を含む民衆たちがどのような日々を過ごしたかをドラマ化して描いている。
架空の話、SFアニメの「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」ですら、ジオンvs地球連邦との戦争で翻弄される若者たちを描いているし、そもそも昔のガンダムの前日譚であるため、登場人物の運命はあらかじめ決められている。
そーいう意味で「ガンダム・オリジン」は安彦良和の得意技に持ち込んだガンダム話だったのかも知れない。
(いや、そーいや著者のマンガでキリストの「イエス」とか「ジャンヌ」とかあった。。俺、読んでない。。)

 

んでもって「虹色のトロツキー」も「乾と巽」も、主人公の政治状況を説明するために実在した人物…政治家とか軍人とか革命家とか、登場上人物がやたら多いし、セリフもすっごく多い。前もって知らないと、これ…誰?何の話?ボルシェビキって何?となる。できればざっとロシア革命あたりの知識があった方が楽しめるとは思うが、まあ知らなくても、今はこういう状況なんだな、程度の理解で読み進めるべきであろう。

 

んでもって、本書においてはロシア内戦、共産主義によるロシア革命についての説明はほとんど無い。なので、なんでチェコが重要なのか、日本含めてアメリカ・イギリス・フランス、さらにはロシア人がロシア人を殺害するのか、モー少し説明は欲しいところではあるが、ほとんど説明マンガになってしまう気もするので、そこらへん読者の知性に委ねられた感じはある。

 

と、まぁ…「乾と巽」はわかりやすい漫画ではない。コレ、ガンダムの人のマンガだ!わ~い!という人向けではない。シベリア出兵マンガだ!面白そうだ!という人向け、いきなり大杉栄が登場してニッコリするような読者向け、というニッチなマンガと言っていい。正直、話はわかりにくい。まあ、「虹色のトロツキー」も、トロツキーのマンガ!?という人向けのような気もするし。。

 

安彦の主人公は政治力はない一般民衆、下級の軍人である。
ガンダムの主人公も、戦局のキーマンとはなっても戦争自体を左右する存在とはならない。
「乾と巽」の2人の主人公、乾は砲兵のリーダー(軍曹)、巽は新聞記者である。砲兵が主人公ってのもマンガではめずらしい。
砲兵のマンガ…って、アニメ化もされた「ヨルムンガンド」の元砲兵マオがフレシェット弾で砲撃する場面ぐらいしか今は思いつかん。。

 

果たして圧倒的なカリスマとは一体何であろうか。「虹色のトロツキー」におけるカリスマ、トロツキーや「乾と巽」におけるレーニンは、一種の謎として描かれている。ここらへんも含めて、著者がちょうど団塊の世代学生運動に加わっていたときの体験・心境であろうことが容易に想像がつく。学生運動に参加していた一人として、左翼活動への憧れと疑問、そして無力さを感じていたであろうことが読み取れる。

 

主人公らはその時々のリーダーたりえない。理念を追い求める主人公たちが現実を知る、という漫画であり、劇的なカタルシスは無い。
実に渋い、ゲキシブのマンガである。阿Q正伝的シブさがある。

 

ただ、少々気になったのは「支那」「中国」表記である。
このマンガではchinaを「支那」「中国」両方で呼んでおり、「中国」の蔑称を「支那」のように描いているが、それは間違いである。当時の日本人…というか、日本人を含めて全世界的にchinaはシナと呼んだ。シナは蔑称ではない。蔑称は他にある。
著者は知っているハズだが、編集部あたりで差し替えを依頼されたのかも知れない。

 

ちなみに、現代にそのシナの蔑称を映画で使用しているのはシナ人監督によるシナ映画の傑作「鬼が来た!」である。日本兵が当時のシナの蔑称を用いてシナ人を差別している様子が描かれる。

movie.walkerplus.com

サヨク・知識人・良識派だという人に限ってシナは差別だといい、アホのウヨクはそもそもシナの蔑称を知らない。


英語でもフランス語でも秦の始皇帝の"秦"を語源とするシナ、シン(china,chine)を使う。このマンガはロシアが舞台なので、ロシア人はキタイ(契丹)と呼ぶ。
インドシナ半島とか東シナ海とかのシナはchinaの意味だが差別ではない。

 

chinaはチュウゴク"chugoku"である、という主張を日本以外にしていないのは当たり前で、chugokuというのは中央の国、世界の中心の国="Central country"の意味である。日本以外は相手にしないだろう。


中国という表記は日本書紀にもある。中国=中央の国、といえば自国を意味する。つまり日本書紀の中国とは日本の意味である。戦前まで日本において中国といえば中国地方であった。今でも中国銀行岡山県の銀行である。

 

ちなみに、このブログは某Hに気を使ってchinaを"中国"と表記している。