3人のキリスト

「3人のキリスト」見る。


www.youtube.com

最後、これは事実だったんですよ~っぽい終わり方だったもんで、マジかとググったら全然違うじゃねーか。。


元ネタは「イプシランティの3人のキリスト」という実験。自称キリストだという妄想を持っている統合失調症3人を同室にして経過を見る、というもので、ここまでは映画と同じだが、wikiによれば実際の実験は単に思い付きで行われて結果はクソミソだったようだ。

 

映画は…G監督が見たら一週間ぐらい寝込みそうな演出だし、まあ皆見ないだろうからネタバレありで書く。

 

俺がキリストだぁ~!と叫ぶ3人を連れてきて、段々、主治医のもと打ち解けていくという内容。ハイライトはそのうちの一人が自殺するシーンである。

 

この映画の主人公の医師は、1950年頃の精神治療は薬と電気ショックであったが(今も同じじゃね?)、それを対話で治そうとする。
舞台となる精神病院の院長は主人公のやり方に反対していたが、段々と成果がみられるようになってきたあたりで主人公を病院から追い出して3人の治療を自分の手柄のしようと画策する。

 

そもそも権威主義的な院長が大嫌いだった患者のひとりは、最後、この院長が悪人なのは悪魔のせいであるためキリストである自分の身を捧げて院長を救おうと自殺するのである。

この自己犠牲はタルコフスキーサクリファイス」と同じ。
ちなみに「サクリファイス」は世界平和のために自宅を放火するんだけどさ…。

 

その自己犠牲と、対話を通じた治療を推し進めた主人公の人権意識エライね~的な部分で感動できるかがこの映画のキモであろう。

 

俺としては自己犠牲はわかる…という表現が正しいかどうか不安だが…自己犠牲の尊さというか、まったく見返りの無い、傍から見て無意味と思える犠牲への崇高さについては感じることろはある。

 

ただし、統合失調症患者といえども心をひらけば対話することができるよんだよ的な内容についてはかなりの疑問がある。
話としては単純で美しいけど、それはかえってマズイんじゃないか?

 

もし、この映画を見て、精神疾患の人ともわかりあえるんだ!的な感動を持ったならば、そもそも意思疎通ができない人間をどう思うだろうか?
話ができる・意思疎通ができてこそ人間だ、という意識はアブナイ。
相模原障害者施設殺傷事件にて犯人の植松は、意思疎通ができない重度障害者を殺した、という。

自分は植松ではない、と平然と公言できるほどの自信は俺には無いが、この映画を見て、いや~精神疾患といえども話せばわかりあえるんだよね~的な感想をもつほどの馬鹿にはなりたくない。

 

とはいえ、この予算規模で精神疾患をあつかう映画がつくれるのはエライ。
日本だとちょっと考えられない。

思いつくのは想田和弘「精神」ぐらい?これは本作よりも素晴らしい。

あとは脳性麻痺ではあるが原一男「さようならCP」これも傑作ではある。

 

そーいや、20年ぐらい前かな…知り合いの精神科医と飯食ってるときに、電気ショックってやってるの?と聞いたら「いや~アレ、スゴイ効くんだよ…暴れまくっててもピタッとおさまるんだよね」と苦笑いしてたのを思い出した。