戦争における『人殺し』の心理学

某Hの宿題本、デーヴ・グロスマン「戦争における『人殺し』の心理学」読む。
戦争で敵を目の前にし、さらに自らの手で敵を殺した軍人がどのような心理状態になるかを網羅した本。

 

具体的な内容をざっくりいえば、
※人に向けての発砲は心理的に強烈なブレーキがかかる。

第二次世界大戦までのデータでは8割以上の兵士が、敵を目の前にしても発砲できない・あるいは無意識的に上に発砲して当たらないようにしてしまう…本能的に殺人を避けようとするのではないだろうかと指摘する。
ただし、ベトナム戦争からは数値が逆になり、9割の兵士が敵に向かって発砲するようになった。

 

アニメ「幼女戦記」は第二次大戦をベースにした架空戦記ものだが、物語中、敵国都市の占領にて、非戦闘員…一般市民への攻撃を如何にすべきか、という作戦内容が描かれる。
降伏勧告、猶予といった一連の手続きを終え、抵抗する市民への発砲について部下が忌避する。上官である主人公は、これは命令であると強調することで発砲する部下の責任を回避させる様子が描かれる。

 

※殺人の距離が近ければ近いほど、心理的負担が大きい。
スコープなどを使わずに目視して射殺し、相手が倒れる瞬間、その後の死体を目撃した兵士の心理的負担は非常に大きいものがある。
逆にいえば、スコープや画面を通じての狙撃・爆撃、あるいは目標を見ない=数人がかりで砲撃を行う場合などの心理的負担は比較的軽い。さらに、上官からの命令に従うこと、集団で役割が分散されることでさらに責任が分散されて心理的負担は軽くなる。

 

よく日本の時代劇で、両軍の激突シーンでは全員が刀で切りあうシーンが描かれる。

しかし、これはまず現実に無かったと言われる。リアリティのある描写については「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」の評価は高い。
戦国時代、弓矢の攻撃は強力であった。その弓矢の攻撃を防ぐため、でっかい盾というか柵を数人がかりで少しずつ前へ押しやる、というのが主流だったそうである。


本書による「距離が離れていればいるほど殺傷に抵抗が無くなる」という記述そのまま、戦国時代でも滅多に正面から斬りかかるということは無かったらしい。濃霧で視界がきかず、両軍が思いがけず相対したときに壮絶な斬りあいになってしまったという記録がある。

 

俺は、昔の大砲…でっかい砲台から、まん丸の球を相手に打ち込む…なんて、どこに当たるかわからないから、武器としてどれだけ有効なんだ?と疑問であったが、本書で納得がいった。

ひとつは、巨大な音がするから。威嚇は重要で、とんでもない音がするだけで十分に有効な武器になりえた。

ひとつは、砲撃するのに数人がかかりのため、自分だけが人殺しになるという責任が薄まるり、仲間への忠誠心で打つことができる。

ひとつは、ホントにどこへ飛ぶかわからないので、むしろ心理的に打ちやすい。

ということだろう。

 

なお、突撃銃・ライフルが発明される前はマスケット銃だった。銃身に溝(ライフリング)が無く、弾が丸いために、ほぼ当たらない。このマスケット銃における戦闘シーンは映画「バリー・リンドン」に描かれているが、妙に牧歌的にみえる。


本書で興味深いのは、ベトナム戦争においてアメリカ軍の帰還兵にPTSDなど大量の精神病患者が発生した原因は、平和運動をしたため、という指摘がある。
従軍したものは、直接の戦闘に関わらずとも心理的に傷を負っている。この傷を癒すには、帰還した兵士を家族や社会、国家が称賛し、温かく出迎える必要があった。
にもかかわらず、平和主義者たちが戦争を禁忌するがゆえに戦争従事者に唾を吐きかけた結果、多くの帰還兵がPTSDやアル中、うつ病などの精神病になってしまった、というもの。

だからこそ「タクシー・ドライバー」や「ランボー」(1作目)、あるいは「地獄の黙示録」なんかの名作が生まれたともいえよう。
アメリカン・スナイパー」では、イラク戦争で従軍した狙撃兵が徐々に心を病んでいく様子が描かれる。

 

そーいえば、20年前に発売されたゲーム「コール・オブ・デューティ」の衝撃はすさまじかった。戦場に放り込まれた感じに、ゲームとは思えぬ圧倒的なリアリティに俺も度肝を抜かれた。これは米軍も同じだったようで、実際に米軍がゲーム制作に協力し、さらには高スコアの若者を実際に軍へ招へいすることまで行われた。

ただし、実際に現場ではあまり役に立たなかったという報告書を読んだことがあるが、どこまで本当なのかはわからない。
現実にクソ重たい装備を身に着けて、チームでの行動、下手すれば本当に死ぬ、という状況はあまりにゲームと違うのはわかる。

 

現代ではドローンが使われる。本書でも書かれているが、映画「ドローン・オブ・ウォー」での描写はリアルだそうである。アメリカの片田舎にコンテナが並んでいて、そのコンテナの中でドローンの操縦をしている。そのドローンは文字通り地球の裏側、中東なんかで飛ばしていて、アメリカ兵は画面を見ながら上官の支持で目標となる人物の捜索、追跡、あるいは殺害を行っている。
このドローン操縦画面はまさしく、ゲーム画面と同じとしか思えない。なにしろXBOXのコントローラーでドローンを操縦していた。今はどうかはわからないが、PS5かもしれない。
このドローン操作ならゲームと何も変わらない。実際、現在のロシア・ウクライナ戦争で、ウクライナ兵士が戦争前にドローンで遊んでたことが役に立ってるというコメントをしている。

 

 

本書の心理学的アプローチに関しては、色々な分野を網羅的になぞっている感じがする。
基本的にはフロイト精神分析を主軸に説明をしていて、実際にどうするのか?については行動主義的アプローチを参考にしている。ついでにDSM、さらにはユングまで持ち出して説明している。

 

俺としては、フロイトによる無意識の発見は天才だと思うが、それ以外の精神分析は科学として眉唾、ユングに至っては単なるオカルトとしか思えない。

DSMは好きだ。精神病を全部フローチャートで判断しようぜ、という試みは分かりやすくてよい。
ただ、一番有効性が高いと思うのは行動主義。結局はパブロフの犬の実験と同じで、何度も同じ条件で同じ行動を繰り返すことで未来の行動を決定づけさせる。
本書でも、ベトナム戦争時の射撃訓練において、瞬時に敵味方を判別して射撃を行うことを繰り返す。人型の標的が飛び出したら、反射的に2発撃つ、という訓練を繰り返す。
これで敵と遭遇したときに、瞬時に引き金を「ひいてしまう」状況をつくりあげることに成功した一方で、結果として大量の精神病患者を生み出してしまうのだが。

 

本書、最後の章は正直賛同できない。
要するにテレビや映画、ゲームの残酷さが現代の犯罪をより深刻化させているとの指摘だが、俺は眉唾である。


例えば、いわゆるユニバーサルカーブ…殺人犯は年齢が若いほど多い、というデータが何故か日本だけ当てはまらない。日本でもアメリカと同等にハリウッド映画なりゲームなりは解放されていて、ユーザーも多いからだ。

 

日本でも映画やゲームの残酷性についての問題が叫ばれるが、そもそも犯罪についてはテレビや新聞が朝から晩まで詳細を報道している。電車内でのガソリンでの放火事件では、犯人がテレビの報道を見て真似をしたと証言しているにもかかわらず、テレビ側がそれで何かを規制したという話を俺は聞いたことが無い。