解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯

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「解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯」ウィエンディ・ムーア

オススメ度 ★★★

 

この前に送った「スエズ運河を消せ」「ナチを欺いた死体」は、イギリス人が主役であったが、このジョン・ハンターはその2冊ともぶっちぎりの奇人英国人であった。いや、そもそもハンターの奇人っぷりは世界で比類なきレベルである。

解説にあるように「ドリトル先生」や「ジキルとハイド」のモデルとなったといわれるが、モデルとなった実在の人物がそれ以上に頭がおかしい。

 

18世紀半ばというから250年ぐらい前のイギリスの話である。

田舎でなんの才能も見せずボンヤリ暮らしていたが、10歳年の離れた医者の兄から手伝いを依頼されてロンドンに来た。その手伝いとは、毎晩のように死体を盗んで解剖するという仕事だった…。

 

当時の医学的知識は千年以上前から変化なく、治療といえば血を抜く"瀉血"がメインで、薬といえば水銀やカニの目玉というレベルであった。なぜなら人体を解剖して観察するというのはケガレた、神を冒涜する行為であったためである。

もちろん医療制度はあるが、全く科学に基づかない教科書のみで、人体など切ったことがない医者ばかりが権威を誇っていた。

 

今の日本でも、解剖できる死体は多くない。当時の英国では、死体が無いと天国に行くことができないと信じられていたので一般人への理解は無理である。死体を解剖できるのは死刑囚ぐらいで、見世物となっていた絞首台の下には外科医あるいは委託された死体回収屋が群がっていて、床板が抜けたと同時に首に縄がかかったまま文字通り"足の引っ張り合い"をしていたという。

 

死体を正規ルートで入手するのは年に数体レベルで非常困難であったため、裏ルート、つまり墓地から盗むのであるが、見つかったらリンチで殺される可能性もある。

ハンターは非合法組織である死体調達屋の元締めに上り詰め、毎晩のように死体を調達してきたという。しかも、妊婦を解剖したいと望めば、数日のうちに妊婦の死体が用意されたというのだが、これはもはやホントに墓場からなのか疑うレベルにまでなっていた。

カネになる死体をめぐって、当時のロンドンでは死体争奪戦が繰り広げられていたようで、その模様も完全にキチガイ沙汰である。

 

はじめは兄の依頼で解剖していたが、やがて解剖スキルは兄を通り越し、解剖的知識も凌駕していった。

当時のイギリス医学会において外科医は地位が低く、内科医こそが本当の医者とされた時代である。ハンターの兄は権力志向が強く権威主義的医学を捨てないことで、やがてハンターとたもとを分かつことになる。

 

ちなみに、兄と同居した家では、メインストリートに沿った表側の玄関からは社交界用の人々が出入りし、裏通りに面した裏口からは毎晩死体が運び込まれていた。

その後にハンターが建てた家も同じように明るい社交界用の玄関と死体用の裏口があった。これが「ジキルとハイド」のモデルである。

 

ともかく死体を解剖しまくったハンターは、これまでの医学書を全否定して医学会にケンカを吹っかけて行ったこともあり、医学界から猛反発を食らうものの次々と新発見をしてくるので医学会側も無視できない存在となっていく。

 

まあこう聞くとなんかヒーローっぽいが、歯科治療において、抜けた歯の治療として貧乏な子供の歯を引っこ抜いて買い取り、その場で歯茎に歯を差し込む、ということもしていた。もちろん、当時に細菌感染や血液型という概念はなかった。

 

やがてハンターは生き物とという生き物を解剖しまくるようになる。ミミズや蜂、サルからキリン、ゾウ、クジラ、また植物に至るまで解剖しまくり、膨大なコレクションを作る。さらには地質学的観点から、化石というのは古代の生物であると指摘し、その化石から現代生物とのつながりを考察するなど、その思考は生物全体、生物の派生に関する研究となっていく。

何度も書いてアレだが、当時はキリスト教だけが真理であったため、キリスト誕生まで世界は存在しなかったし、化石というのはノアの箱舟の時に死んだ動物の名残だと思われていた時代である。

ダーウィンの進化論が発表される約70年前の話である。

 

医学会どころか聖書さえも無視するハンターは、生涯にわたって、さらに死後においても社会的に抹殺しようとする連中に取り囲まれていた。

 

お偉いさん方からは敵だらけである一方、ハンターの人望は厚く、多くの弟子が集まってきたのも事実である。そのうち、最も有名なのかジェンナー、あの天然痘のワクチンを開発した人である。天然痘のワクチンは、病気になった牛の膿を人の体内に入れる、という狂気に満ちた実験であったが、その精神はハンターによる。

 

鶏のとさかに人間の歯を移植する手術をしたり、自分のちんちんに淋病をうつしてみる実験をしたり、とりあえずやってみて、うまくいったらOKという思考錯誤は科学的思考ではあるが、かなりヤバイ。

 

世界中から変わった動物を集めて飼育し、さらには解剖して骨を積み上げた家は近所でも噂になっていた。ある日、水牛の牛車に死体を詰め込んで運搬していたら水牛が暴れだして死体がばらまかれるなど、日常生活もかなりヤバイ様子であった。

 

冒険家キャプテン・クックや経済学者アダム・スミスなんかを交えた様々な逸話が語られるが、ロンドンに2.3メートルの巨人=チャールズ・バーンがサーカスの一員としてやってきた話も面白い。

 今でこそ成長ホルモン異常の"巨人症"だとわかるが、ハンターはその巨人の死体を手に入れようと四六時中追跡しまくり、そのおかげでバーンは”ハンターに殺される"と本気で逃げまくってたようである。

 

と、あんまり面白かったんで、この本が原作のマンガ「解剖医ハンター」吉川良太郎・黒釜ナオ 全3巻を読んでみたがつまらん。。このマンガはフィクションがかなり混ざってるおかげで、ちょっと変わったお話レベルになってしまった。せっかくノンフィクションでありえない面白さなのに勿体ない。まあ、医学会との権力争いとかはマンガにしにくいというのはわからんでもないけど。。